2011年3月11日に発生した東日本大震災から、13年の歳月が過ぎました。
あの日の午後、東北地方太平洋沖で起きた地震に伴う大津波と大規模火災
そして原発事故により、12都道府県で22.000余名の死者・行方不明者が出た
戦後最悪の壊滅的な災害でした。
今なお故郷へ戻れずに、避難生活を余儀なくされている人々も少なからず‥。
いつ何処で起きても不思議ない地震列島の日本ですから
不安に怯えながらも日々の平穏な生活に
喜んだり悩んだり心配したり‥。
思い起こせば13年前のあの時、Kimitsukuは腕を骨折した母の介護で
久し振りに故郷S町に行っていました。
やや認知症状が始まった母の受診の為、病院の待合室で待機していたら
一瞬グラリと大きく揺れましたが、その後は余震も無く安心していました。
やがて隣接する老人施設から大勢の入所者が避難して来て、エレベーターで屋上へ。
日頃の避難訓練の効果か、順調な流れに感心して見ていましたが
間もなく津波の心配は無いと連絡があったらしく
車椅子や歩行器の老人たちは、介護者に伴われ帰って行きました。
母の受診も滞りなく済んでからTVニュースを観ると
次々と信じられないような惨状が映し出されて言葉を失いました。
あの後、母はいろいろ有りつつも元気に暮らしていましたが
8年後の2019年12月29日、101歳10ヵ月の生涯を終えました。
今でも毎年3月11日には、大震災事故の犠牲者に合掌すると共に
亡き母を懐かしく思い出しています。