理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

デジタル化をあせるな!

Mです。

 近しい世界でゴタゴタがいくつも続いて、だいぶこの場から遠ざかっていた。
 その間に、世の中でもゴタゴタが発生して、しかも収まるどころか次第に深刻化している。デジタル庁という、名称と中身にだいぶ齟齬があるように見受けられる組織が進めるマイナカード騒ぎだ。

   

 すでにすべての国民に振られているマイナンバーを元にして、個人データを国レベルの統合システムに吸収して、将来的に役所業務の効率化とサービスアップが図れるようにするのだ・・・ 的な、見栄えの良い題目を唱えて突き進む公共サービスのデジタル化路線である。

 とはいえ、高度成長期の放漫ハコモノ行政とおなじく、マイナカードを作ればお金をあげるよ~~ と2兆円だかをばらまいたあげく、1対1で紐付けたはずのデータが食い違っているケースがいくつも起こったり、廃止するからと脅して紐付けさせた保険証が医療現場でアクセスできなかったり、初歩的なミスが元になった珍現象(笑ってはいられない!)が続々である。その後始末に、現場職員総動員で点検だ! と、今さらながらのアナログ対応。音頭取り大臣一人の責任にしてトンズラしようとする政府は、根本から考え直すべき断崖の淵にあると感じる。

 そもそも、政府関係者は、デジタル化という言葉をどこまで理解しているのか疑問だ。 たぶんなのだが・・・ 彼らの言うデジタル化は、だいぶ前に始まって経済界では当たり前になってきているペーパーレス化と同義なのでは、と思ってしまう。
 手書き文書、手書き書類、手書き仕様、手書き請求書、云々の様々な連絡、業務文書などを、一定のフォーマットに統一していってPC上で入力し保管管理する、文書・書類の電子化が、デジタル化という流れの始まりだった。
 ただ、これは、業務を手書きから入力に変えて、誰もが紙のやりとりなしに情報をPCとネット環境を使って共有することに目的があっただけで、真のデジタル化の前段階だといえる。なぜなら、同じアプリ、同じシステムを使っている者同士ではやりとりが出来るものの、外部の者がアクセスしても見られるモノは文書や帳票の写真と同じものであって、データそのものでは無い。現在多用されているAdobe社発祥のPDF書類と同じで、見て読むことは出来ても、データとしてはそのままコピペできない。つまり、電子化で止まっていて真のデジタル化情報ではないのだ。同じシステム内でのデジタル化で止まっている。
 そうは言っても、これだけでも、学術社会を含む産業界全体にとって、電子化は大いに役立ってきた。データそのものにアクセスされて改変でもされたらオオゴトだから、内容はわかるが元は浸食されない、というレベルでも、物事の効率は飛躍的にアップしてきたのだ。かつては膨大なファイルの中から必要なものを抜き出してコピーする、なんてことをしていた事務作業がなくなり、必要ファイルをひょいひょいと集めてつなげればプレゼン資料もあっという間に仕上がる。夜中まで会議資料を作っていた時代は、もはや遠い昔なのだ。(そうでもない事業所もまだまだあるけれど・・・)

 そんな文書作成・保管の効率化を、政府の皆さんはデジタル化と思っているのではないか、というのがMの読みである。デジタル庁大臣も、多分そうだ。

 しかし、本当のデジタル化はこの先にある。

 今問題になっているマイナカードへの紐付けトラブルは、電子化レベルの資料を個人のカードと紐付けて便利になります、と言っているレベルだ。誰がその紐付けをするのかといえば、行政職員と本人の責任。そこでミスがあれば、検証も出来ないまま紐付けが固定化して、コンビニで住民票を取ったら違う人のが出てきた、診察に行ったら保険証確認が出来ない、などが起こっても現場対応は不可能なのだ。そんなこんなのゴタゴタを、さあ総点検だ! と号令をかけたところで事態が収まるとは思えないのである。   

 かつての年金機構の消えた年金データもそうだが、結局は現場職員の入力ミスが何件などと、結果のミス検出数だけを公表して、修復を指示します、と逃げれば終わりだと考えているのではないかと思ってしまうのである。

 本当にデジタル化を目指すなら、国は最低10年はかけて、個人データと紐付けすべき対象を各界で絞り込み、個人データの侵害が起こらない境界を確実に作り上げることから始めるべきだ。今はほとんどデータとして入力されているはずの各種データを、「共通のデータベース」に落とし込むことが求められる。この共通データベース・システムこそが、デジタル化の中心となる。そして、これは神聖領域として保持されなければならない。浸食されそうになったらすべてシャットアウトする機構に守られる。
 ここで最重要なのは、①浸食されてはならない個人データの入れ物を国が保証して構築し、②その外側の各種システムを、相互変換可能なものに統一していく、という作業だと思う。いささか抽象的なので言い換えると、個人データは大金庫内の個人用施錠引き出しに納めておき、表に出して良いデータと本人しか見られないデータを別の容器に入れておく。これが、①である。行政、医療現場等が必要になるデータは、全国共通のシステムから既存の自治体サーバー、医療機関のサーバーなどにアクセスして①の箱から必要なモノだけ取り出せるようにする。これが②の共通システムである。だれが、いつ、なにを、取りだしたのかが逐次記録されていくことで、後の検証が可能となる。
 このような仕組みを作れたら、特定個人のアクセスコードをマイナカードに記憶させ、いろいろなサービスにアクセスして必要な情報をどこにいても安全に取り出すことが出来る。

 言うだけなら簡単なのだが、じつは、こういう統一システムを作るのはとても大変な作業になる。そもそも、世界にあまた在るデータベース・システムは、その構築者がそれぞれ企業化していて、共通部分はあるもののそれぞれが独自のシステムを作り上げている。同じシステム同士なら世界のどこからもアクセスしてデータの取り出し、加工ができる。しかし、他社システムに入り込んでそれを行うことはお互いに出来ないようにガードしている。それをやるのはブラック・ハッカー。だから、上述の②を行うには、国内に多数存在しているデータベース・システムの管理者了承を得た上で、国レベルでのデータ共有化を進めなくてはならない。その必要性を説き、納得させ、協力を得る、というのが本来のデジタル化を目指す「国」の仕事なのだと思う。

 これを行うには、何代もの政府が共通認識で立ち向かう必要があるだろう。政権が変わってもそれが継続できるほどの、国民的な共通認識を固めておかなければ、実現しないと思う。
 小手先の「便利です」説得で普及を図ろうとするマイナカードは、デジタル化社会の象徴にはほど遠く、やっと電子化社会に踏み込んだ程度の段階だということを、デジタル庁のお役人たちはわかっているはずだ。ただ、「電子化」イコール「デジタル化」と思っている政治家たちに付き合って黙っているだけだと思えるのだが・・・

 布マスクに800億円投じてしまった政権だから、マイナカード普及に2兆円なんて、
仕事しました、の証しくらいにしか思っていないのではないか。でも、そのお金も、物価高騰にあえいでいる国民から吸い上げたモノなのです。
 あっ、だからカード作ったらお金をあげる、って言ったのか!! 
 政府の言うこと聞けば、吸い上げたモノ少し返すよ、って。

 愚痴ってしまいました・・・