この議論は、マスコミが伝えるところ、および
各ブログにおいても混乱しているようなので、
整理してみることにしました。
▼ 実名か匿名かの判断と、報道被害の話は別物
実名か匿名かの判断をどこが担うべきか、という議論と、
実名による報道被害(あるいは匿名でも起こる報道被害)への対策の議論
がないまぜになっています。
▼ まずは、実名を禁止することの効果(報道被害について)
現状の把握から入ります。
実名報道が現在なされていることがほとんど(マスコミ各社判断によるため)
だと思いますが、実名の発表が警察からあるとすぐ、報道各社は被害者住居、
近隣の取材をなすことができます。
では、実名報道をなくせば、「報道被害はなくなる」のでしょうか?
答えはNO だと思います。
ここで、場合わけをする必要があります。
○事件が匿名でもショッキング(商業価値がある)な場合
→マスコミ各社は匿名であるからこそ、周辺を探しまくります。
しかも、お通夜をやれば、それをかぎつけ、実名報道のときと変わりない光景が
繰り広げられると思います。
○ 事件が匿名だとショッキングでない場合
→報道被害とは直接関係はないですが、マスコミに無視される可能性が高まります。
そして、報道被害とは、これまた直接関係はないですが、
匿名にすることにより、マスコミの被害者へのアプローチが多少遅れるため、
初動捜査のチェックが働きにくくなります。
▼ 次に、実名か匿名かの判断を、担わせる主体(警察ORマスコミ)
による結果の違い(「実名にしたいかいなか」の被害者の意思)
そもそも警察が実名か匿名かを判断することにより、
なにが変わるのでしょうか?
現状は、マスコミが判断をしているのですが、
マスコミ各社は、視聴率主義やスクープ主義のもと、
競争している関係上、相互規制・自主規制がなりたちえません。
そうすると、「実名にしたいか匿名にしたいか」に関する
被害者の意思は無視される格好になります。
ここでは、例外はほぼないといっていいでしょう。すべては自主規制が聞かない業界性のせいです。
対して、
警察が実名か匿名かを判断することになると、
多少被害者の意思は酌まれる余地がでることになります。
現、犯罪被害者等基本計画では、警察の「匿名とすることの決定」
についてそれを守らなかったマスコミ各社に罰則はないようですが、
あったとしたら、匿名報道が維持される可能性は高くなります。
(もちろんネット上では実名が駆け巡るのでしょうが。)
罰則がなければ、行政による圧力という意味で、事実上マスコミが控えることもあるかもしれません。
場合によっては、被害者団体が、報道被害を根拠に報道機関に損害賠償請求する
形で事後的にマスコミに圧力がかかるようになるかもしれません。
警察が匿名と判断するときに、実は被害者は実名がいいと
思っていることも考えられますが、被害者の意思に反しているようならば、
被害者はいつでもマスコミにリークできるわけです。
だから、このときには仮に構成要件に該当したとしても、
被害者の同意により違法性が阻却されるので、実名報道をしても
問題はありません。
▼ 問題の本質
さて、ここまで議論を進めてきて、
忘れてはいけないのは主役たる被害者の気持ちです。
しかし、実名にしたいか匿名にしたいか、という被害者の気持ちは、
事件が落ち着いた際の「平穏な生活環境」を守りたいというところにあります。
実名であろうが、匿名であろうが、事件にショッキング性がある場合には、
事件が落ち着くまでは「平穏な生活環境」などありえません。
長期的な被害者の気持ちを重視するならば、匿名報道に可能性のある、
警察による判断はひとつの選択肢足りえると思います。
さてさて、もうひとつ、忘れていけない被害者の気持ちがあります。
それは、実名にしようが、匿名にしようが訪れる、
報道被害です。(マスコミの取材攻勢による)
カーテンの向こうにたむろする取材・お通夜、告別式に押し寄せる記者。
なんで二次被害にあわなくてはならないのか、
そこを理不尽に思っているわけです。
これは、警察が判断しようが、マスコミが判断しようが、
事件の存在がショッキングなら避けられません。
報道被害対策を、国がやるならばまだしも、
マスコミによる自主規制はありえません。
それは先ほどの理由と同じです。
つまり、本質は報道被害をどうするか、です。
今回の警察が実名か匿名かを決定するという条項では、
この点はクリアされていないわけです。
さらなる取材規制の動きが今後あるかもしれませんね。
いまのようなワイドショーを続けている限り。
▼今回法案に対する議論の結論
今回の犯罪被害者基本計画についての結論は、
「マスコミの自主判断にまかせる」ということにしたいと思います。
ただし、被害者の気持ちをマスコミも酌むシステムが必要です。
それは犯罪被害者団体がやってもいいと思いますし、
自主的にできる?ならば新聞社協会などがやればいいでしょう。
世田谷一家殺害事件では、被害者は実名報道されましたが、
遺族の方々は匿名だそうです。
それは、犯罪被害者の方が間に入って守っているからです。
このような仕組みを支援する体制こそが大事だと思います。
さて、なぜこのような結論にしたのかといえば、比較考量です。
警察に実名か匿名かの決定をさせた場合、
匿名報道への道がひらけます。
そうすると、犯罪被害者および関係者の、事件が落ち着いた際の「平穏な生活環境」維持の可能性が生まれるわけですが、
同時に弊害として
事件が匿名だとショッキング出ない場合マスコミに無視される可能性が高まり、さらには
初動捜査のチェックが働きにくくなります。
ここは価値判断なのですが、事件が落ち着いた後の平穏な生活環境
(プライバシー)よりも警察の初動捜査のミスのチェックという利益のほうが、
重要だとおもいました。
前者はかなり時間もたっており、
またそこまで持続的に興味を持っている人も少ないのに対し、
後者はマスコミがチェックしなければ誰もチェックできません。
以上の理由で、警察による実名発表と、報道に関してのマスコミによる自主判断
を支持します。これには、マスコミによる自主判断の弊害を、
犯罪被害者団体への支援などによりカバーできる可能性があるという
許容性が大きいことはいうまでもありません。
そして、今回の法案を支持するかいなかの結論に関係なく、
報道被害(二次被害)に対する取り組みをマスコミは忘れてはいけません。
そうでないと、今回の二の舞になりかねないといえるでしょう。
それぐらい商業ジャーナリズムの集合体は信頼を失っているのです。
(参考)
岡村勲
全国犯罪被害者の会代表幹事が鋭い指摘をしている。
http://www8.cao.go.jp/hanzai/suisin/kihon/9/sian/2-1.pdf