若先生の箱庭 心の安らぎを求めて その12 | あやかの小さなひとりごと。

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私が信仰させていただいている、神様について触れているブログです。
自然と本が大好き!
よろしくお願い致します。

こんばんはニコ

 

金光教の尼崎教会の津田昇平先生が運営されてらっしゃった「若先生の箱庭ー心の安らぎを求めてー」というサイトで、昇平先生より私へとご教和をお届け下さっているHさんから、有り難いラインが届きましたニコニコ

 

昇平先生からは、特段、このブログについてのコメント等はありません。

だから、余計に「誰かに添削されている」気持ちにならせていただいて。

それがとても嬉しかったのですニコ

 

また、一段と気を引き締めて。

気を緩めずに。

このように、ブログを書き綴ってゆければ、と思います。

 

私の名前は、しあわせという漢字一文字で「幸」といいます。

まったく同姓同名の方がいらっしゃるのですが。

 

亡くなった父はどうやら、好きだった女優さんがいて、その方のお名前を、私につけたようです。(ようです、というのは、本人が既に他界してしまっているので、聞く方法がありませんので)

 

私はこの名前が、正直、好きではなかったのです。

 

父は決して私には手を出す(虐待です)人ではありませんでした。

むしろ、優しすぎる人でした。

だから、人に裏切られ、そして、傷ついて。

母と私達兄妹を置いて、逃げてしまったのです。

それもまた、悲しい事だと今となっては思いますが。

 

話を戻させていただきます。

 

私は長女で、下に妹2人と弟1人がいます。

3才年下の妹だけが「幸」という漢字がつかず、他の兄妹は全て「幸」という漢字を両親から与えてくれました。

 

よく「名前は最初の両親からのギフト」だといいますが。

全くその通りだと思います。

 

以前は「好きではなかった」と申し上げましたが。

これは、私の子供の頃の話になります。

 

確か、小学3年生の頃でした。

親からつけられた名前について、発表するという機会があり。

私は、バカ正直に「しあわせになってほしいから、親につけられた」と言いました。

だけれど、あの頃の私は、父には逃げられ、母からは精神的な言葉の暴力を受け、おまけに酷いイジメにあっていて。

 

「生きていてもしょうがない」

「死んでしまうしか、生きている価値がない」と思っていました。

だから、この名前が大嫌いでした。

 

郵便屋さんも、大抵は「さち」さんとか「こう」さんとか、呼ばれる方がとても多く。

「ゆき」と読んで下さる方はいらっしゃいませんでした。

 

父が、この漢字で「ゆき」と読む事が出来るというのを知ったのはいつかは定かではありません。

それでも、今はこの名前を大切にしてゆきたいとそう、思います。

 

そして、神様から与えられた、この名前を大切にしていきたいと思いますニコ

 

私の名前を公表させていただこうかと散々迷ったのですが、どうしても、お伝えさせていただきたくて。

このような形で、ブログにアップさせていただきました。

 

 

つい先日、交通事故で幼い2人の尊い命が失われ。

また、今現在も重体の幼い命があることを知りました。

 

それは、めぐりというものではないかと思います。

 

天命と言いきってしまうには、あまりにも辛く。

運命とも違うと思うのです。

 

突然の事故で、苦しくて、辛くて、そして、とても痛かったと思うと。

私もまた、悲しいです。

 

その幼い魂が、無事に神様の元へと運ばれます様に。

ご祈念させていただきます。

 

献花台には沢山のお花とご供物がありました。

それは、人々の尊い真心があったからこそだと思います。

 

「可愛そうね」と人は言うのかもしれません。

だけれど、それでも、2年という命を精一杯生きる事が出来たのです。

 

2年という年月はあまりにも短く。

これから、いろいろ幸せというものを経験することが出来たのだと思いますし。

その経験が「もう出来ない」のだと思うと。

とても私も辛いです。

 

今は。

神様の元で。

御霊様になって。

安らかに眠っているという事を願っています。

 

願わくば、転生というものがありましたら、次には、きっと天寿というものを全うできますように。

と、北海道の空から祈っています。

 

あやか

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