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【※ネタバレ含】『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』鑑賞の感想と、考察ポイントに関する若干の管見

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初入村の感想

ついに『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を拝見しました。
SNS越しにたいへんな盛り上がりを見ており、また60年ほども前に誕生した「鬼太郎」というコンテンツがいまだに愛されていることに静かな感動を覚えています。

漏れ聞こえる前評判とPG-12の指定からある程度は覚悟していましたが、非常に凄惨かつ精神的に辛い展開が続くハードな作品というのが正直な感想です。
しかしその中にも心を捉えて離さないある種の美しさがあり、幾度となく映画館に足を運ばれた方の気持ちも分かる気がします。

既に多くの村民の方々が本作の魅力を語っておられ、とりわけ肉体を有していた頃の目玉おやじと元兵士の水木のバディはまさしく「尊い」ものでした。

作中には多くの仕掛けが施されており一度の鑑賞ですべてを把握することは難しいものの、本記事では個人的に気になった考察のポイントをいくつか述べてみたいと思います。

なお、記事内には重要なネタバレを含みますのでご注意くださいませ。

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ムラという閉鎖空間における「情報統制」の不気味さ

終始じっとりとしたトーンで『犬神家の一族』や『八つ墓村』などを彷彿とさせる本作ですが、最初に背筋が冷たくなったのは水木が哭倉村に入ってまもなくのシーンです。

なにやら古びた格子越しに観察するかのようなカメラワークで水木の通過が描かれた直後、それは岩倉の上の小祠からの視点だったことを思わせます。
これは何かヒトならぬものの視線があるようで、常に見えないものから監視されているかのような気持ち悪さを感じさせます。

そしてヒロイン(?)の沙代と出会い、その従弟の時弥が登場しますが、この時も水木より離れた村の内部から来た彼が既に「余所者」の存在を知っていたことに驚かされます。
姿を見せていないはずの村人による監視の目と迅速な情報網は、哭倉村の不気味さをより際立たせるように感じられました。

村の入口がトンネルである哭倉村は、おそらくかつては峠を越えねば往来できない場所だったと思われます。

そうした山村がクローズドな空間として外界から遮断される不気味さが、第一段階の舞台設定として巧みに機能していると感じました。

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時貞を中心とした血縁関係への疑問

本作の中でもショッキングな展開の一つに、近親相姦を前提とした歪つで常軌を逸した家族関係が挙げられます。
そこでは龍賀家の女性はより強い霊力を継承させるため当主と子をなす風習のあることが語られ、沙代も祖父である時貞と肉体関係を持っていたことが明らかにされました。

既に多くの方が考察を重ねておられるため蛇足的ではありますが、ここで引っ掛かるのは乙米の「代々」「当主に身を捧げ」という言葉です。
代々ということから古いならわしであると推測され、時貞一代のことではないと理解されます。
すると乙米をはじめとした三姉妹はどうだったのでしょうか。
いくつかの考察では乙米らも父である時貞と関係していると考えるものがありましたが、彼女たちが出産可能な年齢になった時の「当主」は先代である可能性も否定できません。

だとするならば、時貞の子ども達には実子ではない者もいるのではという疑念が生じます。
作中で時貞は「立志伝中の人」と評され、龍賀製薬繁栄の礎を築いた人物であることがわかります。
「日清・日露の頃から」といわれるように、時貞が歴史の表舞台に躍り出たのは日清戦争が起こった1894年(明治27年)頃のことで、物語の昭和31年から62年の隔たりがあります。

時貞が当主となったのがいつのことかは不明ながら、近親相姦を繰り返してきたと思われる一族での家族関係は複雑怪奇なものである可能性は高いでしょう。

なお、沙代と時貞の肉体関係を知って水木が嘔吐するシーンは、彼の感覚の正常さを際立たせるものと感じました。

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龍賀の家紋は下り藤ではなく「龍尾の鱗」?

時貞の遺言状を開く際にはおびただしい人数の分家筋が参集していましたが、着物に紋を付けていたのは本家筋の乙米と沙代のみでした。
一見「下り藤」のように見える家紋ですが、これがアップで映るシーンがあります。
アマプラで見た際には1時間4分台、沙代が孝三の部屋にいる場面です。

家紋の形状はまさしく下り藤とそっくりで、藤原氏の紋であることから龍賀家はその系譜を引くのか、あるいは権威付けのために用いているのかとも思いました。

が、孝三の部屋の壁に大きく描かれたその紋を見ると、下り藤ではないことに気付きます。
その模様はまるで鱗のようで、両側に垂れ下がったのはあたかも龍の尾をイメージさせます。

「龍賀」という姓に因んだかのようで、ミステリアスな雰囲気をまとった紋でした。

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龍賀の龍とは“蛇”の象徴?

龍賀という姓は何やら示唆的ですが、この場合の龍とはむしろ古来畏怖の対象となってきた「蛇」を象徴するのではとも感じました。
そもそも蛇と龍は信仰の対象として同一視されることがあり、海に千年、山に千年生きた蛇は龍に変じるという伝説もあります。

三輪や出雲、諏訪など日本の古い神社には蛇と関連する神がおり、脱皮を繰り返す姿は永遠性の象徴であるともいわれます。

時貞が時弥の肉体を乗っ取って復活したのはいわば生命の更新であり、また時貞が操る狂骨は長い胴体を持つ龍蛇のような姿をしていました。

縄文時代の土器などの遺物にもその意匠が見られることから、蛇は列島におけるプリミティブな信仰に関わる動物と捉えられています。
一面では蛇行した姿から水神や雷神、貯蔵した穀物を鼠から守る穀物神とも位置付けられ、マムシなど致死性の毒を持つものは畏敬の対象でもあったそうです。
また蛇は男根を象徴するという説もあり、龍賀一族のおどろおどろしいイメージとも符合する部分が多いのではないでしょうか。

龍の秘密/米子市ホームページ
「広報よなご」に、平成9年5月号から平成17年3月号まで連載していた「米子の民話散歩」をまとめました。 米子に伝わるいろいろなお話をお楽しみください。
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鬼太郎の母の職業は「タイピスト」?

本作ではほんの僅かですが在りし日の鬼太郎の母の姿が描かれ、オフィスと思しき場所で勤務するなど人間社会に溶け込んでいた様子をうかがえます。
そんな中、一瞬だけタイプライターを操作している姿が映ります。
これはタイピストといって、手書き書類をタイプライターで印字する専門職です。
単純にタイピングするだけが業務ではなく、例えば書類の誤りを指摘するなど校閲者的な素養も求められる高度な職でした。
女性の社会進出は大正時代に始まるといわれることがありますが、劇中の戦後すぐではまだまだその人数は多くありませんでした。

タイピストになるには専門学校や養成所で学ぶことも一般的で、鬼太郎の母ももしかすると女学生時代を経たのかもしれませんね。
いずれにせよ、彼女は人間社会への深い理解と知識を持った職業人としても過ごしており、そうした性情が鬼太郎に受け継がれた可能性は大いにあるのではないでしょうか。

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一旦のまとめ

本作は鬼太郎シリーズのエピソードゼロに位置する物語とされ、エンドロールの映像は『墓場鬼太郎』へと至るものといいます。

情け容赦のないハードな展開でしたが、ゲゲ郎と妻がぼろぼろになりながらも最後に二人で過ごした時間があり、鬼太郎という子どもへと未来がつながれたことに一筋の救いのようなものを勝手に感じています。

妖怪という超自然的な存在そのものより、人間の醜悪な部分に恐怖する面が強い展開でしたが、今の時代だからこそ鬼太郎シリーズに込められたメッセージが真に迫る思いです。

おそらく何度も繰り返し観るたびに新たな発見がある映画ではないかと思いますが、まずは一旦のまとめとして次の入村に備えたいと思います。

帯刀コロク・記

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