頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

この記事にばかりアクセスが集中したのはなぜ。

2024-04-28 23:17:04 | 日記
2014年6月3日(東大山中湖事件)
羽生辰郎(2008):学問とは何か―『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後 (MINERVA人文・社会科学叢書)
東大山中湖事件(1984年4月に、大学の2年生による、新入学生への大学生活の指導のための合宿旅行で、一部の酒に酔った人間が氷結した山中湖にボートで繰り出し、ボートが転覆して5人が死亡した事故。筆者である羽生も最年長者として参加していた。)についての、関係者に対するきわめて一方的かつ独りよがりな誹謗中傷とそれとは裏腹の著者の低レベルな自慢話で占められています。そこにあるのは、「常に相手が悪く自分は間違っていない。」という自己陶酔です。民青とのやりとりは、お互いに「ヤクザ」を連想させるレベルのものです。それでも足らないのか、本論中にも「エピソード」なる暴露話めいたものが挿入されています。<アマゾンの書評から>

この時の犠牲者はほぼ全員友人未満知人以上の人々。折に触れ、彼らのことを思い起こしている。左派の活動家としてリスペクトしていた人もいた。

山中湖事件とは、1984年4月に東大の文科3類の2年生が主催した、 新入学生に対しての大学生活へのオリエンテーション(説明会)の山中湖合宿にて起きた事故です。酒に酔った学生数人がボートを漕ぎ出し転覆して、冷たい湖水中に投げ出され、5人が死亡しました。当時、未成年を含む学生が酒に酔って騒いでの事故であるということで、マスコミの批判が集中しました。当然大学内でも学生の自治の制限という案が出ていました。そうした動きに対し、折原氏は「学生の自治を制限すれば、ますます学生が未熟になってしまう」と常に学生側をかばうような発言をされていました。<著者へのとある批判・2004年>

当時の急進的活動家の親御さんが実は高級警察官僚だったり、というような話はいろいろ聞きました。「代々木」一家のご出身で代々木、という人や、家族の事情でこの世界に関心を持った(あの泉市長から学生時代に直接伺いました)という人など、活動の動機は多様でした。私はブルジョア的な物取り主義のレベルだったように自覚しています。

小生のブログ。何故この記事にばかりアクセスが集中するのか。
翌日(1984年4月中旬)夕方、五月祭本部(常任委員会)の合宿で検見川寮にて作業していたところに事故の第一報が。犠牲者の顔ぶれに驚愕。(23歳にしてようやく独文に進学した著名活動家T氏など)我々にとっては「業界人」が並んでいる。「学生自治忍従の時代が始まるのか。」と一同ため息。犠牲者に新入生がいたとしたら、本当に終わっていたのだろう。小生自身は進学したばかりの地質学に突然モチベを失い、今後について悶々と思い悩む日々。事件に首突っ込んでる場合ではなかった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 教科書がまもなく。 | トップ | 偏差値の高い学校に美男美女... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事