「白雪姫」大コケ?古典にポリコレ配慮する無理筋
製作費をかけた大作だったが期待するスタートを切れなかった『白雪姫』©Disney
ディズニーの古典アニメーションをライブアクションでリメイクした『白雪姫』の北米初週末興収は、わずか4300万ドルと実に残念なスタートとなった。
比較のために挙げると、大成功した『美女と野獣』は1億7400万ドル、『アラジン』は9100万ドル。多様性を意識したキャスティングが論議を呼んだ『リトル・マーメイド』ですら9500万ドルだった。
さらに問題なのは、観客の満足度だ。シネマスコア社の調査によれば、『白雪姫』の評価はB+。ディズニーのアニメーション映画のライブアクション化作品は、失敗とされた『ダンボ』も含め、これまですべて「A-」より下だったことはない。
家族向け映画に政治を持ち込む
“雪のように白い”設定の主人公を演じる女優にコロンビアとポーランドの血を引くレイチェル・ゼグラーを抜擢した時から、世間では「woke」(日本人がいうところの「ポリコレ」だが、アメリカ、イギリスではこの言葉が使われる)と批判の声が上がった。ちなみに、このライブアクション版では、雪が降る日に生まれたからスノーホワイトと名付けられたということにされている。
ゼグラーが1937年のオリジナル版を「時代遅れ」とけなしたり、パレスチナ解放を訴えたり、トランプ支持者を非難したりしたことも、火に油を注いだ。家族向け大作映画に政治を持ち込むとは、ディズニーにとってまさに悪夢である。
一方で、軟骨無形成症で身長132センチの俳優、ピーター・ディンクレイジは、「主演女優のキャスティングをアップデートしたのに背の低い人たちをいまだにステレオタイプで描くとは」と、このプロジェクトに疑問の声を上げている。結果的に、この映画で7人のこびとはCGで描かれることに。それはそれで軟骨無形成症の俳優から役を奪ったと批判された。
そんなふうに、誰も見る前からネガティブなイメージがついてしまったのだが、実際に見てみると、実はそう悪くもなかった。とは言え、推定2億7000万ドル(およそ400億円)もの製作費をかけた作品が「そう悪くもない」レベルだというのは、すでに失敗だ。
そして、じゃあどこをどうすればよかったのかというと答えはないのである。これはこうする以外なかったのだろうとしか言えない。1937年にアニメーションで語られた話の基本を守りつつ、2025年に人間の役者で2025年の観客の価値観に合うように作ろうという、そもそも無理なことをやった結果が、これなのである。
美貌に王子様が惚れるはNG?
まず、今の時代、「王子様が現れて救ってくれる」、「持って生まれた美貌で王子様を惚れさせた」、「(お金のある)王子様と結ばれてめでたしめでたし」という話を少女たちに聞かせたなら、それこそ「woke」な人たちから猛烈に攻撃される。
レイチェル・ゼグラーの街中でのショット(写真:Raymond Hall/GC Images)
(以下、ネタバレを含みます)
ルックスや、誰と結婚するかで幸せは約束されないのだと、今の女の子たちは知っていなければならない。だから、この映画のはじめで、白雪姫の父である王は、一国のリーダーはどうあるべきかを、幼い娘に教える。ここでもう観客には、「白雪姫が生き返って終わりではないのだろう」と読める。
「王子様」も、登場しない。オリジナル版の名曲「いつか王子様が」も出てこない。この映画で白雪姫が恋に落ちるジョナサンという男性は、泥棒だ。社会的階級でいうなら格下である。
ふたりはひとめぼれではなく、ある程度時間をかけてお互いを知っていく。彼のキスで息吹を取り戻すのは同じだが、目覚めた白雪姫は、自分から彼に熱烈なキスをする。性的行為に同意が必要な今の時代は、女性側もキスを求めていたことを示すのが大事なのである。
また、こびと(この言葉は一度も使われない)たちの家の掃除は、白雪姫がやってあげるのではなく、彼女も一緒になってこびとたちにさせる。「家事をやるのは女性」というのは、古いのだ。そうして、優しい心と勇気を持つ白雪姫は、みんなの支持を得ながら、国のトップとして成長していく。
無理やり今の時代に合わせた結果が…
この『白雪姫』はそんな白雪姫を描き、少女たちにポジティブなメッセージを送る。だが、人は『白雪姫』に、説教されることを求めているのだろうか。ゼグラーが言った通り、1937年のオリジナルの価値観は、時代遅れだ。しかし、だからこその純粋無垢な魅力もある。それを今の時代に合わせた映画を見たいと、誰が頼んだのか。
徹底的に違う視点からやるというのなら、話は別。事実、『白雪姫』は、別のスタジオやフィルムメーカーによって何度か映画化されている。原作のグリム童話は、もっとダークで残酷だ。
グレタ・ガーウィグ監督が、「典型的な美女」を逆手に取るという型にはまらないアプローチで『バービー』を大成功させたように、面白いものが生まれるかもしれない。
だが、ディズニーにとっては、あくまで自分たちの古典アニメーションをできるだけそのままライブアクションでリメイクするのが狙いなのであり、そんな自由はない。それでがんじがらめになっている。
たとえば、白雪姫のキャラクターはアップデートしても、「美貌に執着する継母が毒リンゴで殺す」という設定はそのままなので、お妃様のキャラクターはどうしても薄っぺらく、演じているガル・ガドットがちょっとかわいそうでもある。
悪役のお妃様を演じたガル・ガドット©Disney
無理のないオリジナルの実写化もある
2026年夏に公開予定のライブアクション版の『モアナと伝説の海』は、同じ問題に直面することはないだろう。オリジナルのアニメーション映画が公開されたのは、2016年。キャラクターには最初から多様性があり、ティーンの女の子が未知の世界を旅しながら成長していく物語で、今の価値観に合っており、無理がない。
さらに、オリジナルの映画は、劇場公開後、配信を通じてますますファン層を広げてきたという強みがある。昨年末に公開された続編『モアナと伝説の海2』も大ヒットしたし、ファンは楽しみに観にいくに違いない。
ライブアクション化の企画は発表されていないものの、2013年公開の『アナと雪の女王』も、男性ではなく姉妹愛のおかげで救われるという話で、すんなりといけるはずだ。それに、このシリーズもまた、現代の観客が子供の頃から見て育った、馴染みのあるものである。
逆に『白雪姫』の場合、劇場で観た思い出がある人は、もはやほとんどいない。ノスタルジアという意味でも、実はそう強くないのだ。『白雪姫』は、いじるべきではなかった。時には、放っておくべき作品もある。このライブアクション版が伝える本当のメッセージは、それではないだろうか。
(猿渡 由紀 : L.A.在住映画ジャーナリスト)