GW

 

名神高速道路

 

渋滞だと思ったら

 

スイスイ

 

 

 

 

前方

 

大きな観光バス

 

行先は

 

” U S J ”

 

 

 

楽しそうな大型観光バスを

 

ビューンと

 

追い越し

 

岐阜へ

 

 

 

そこには

 

疲れ果てた

 

エースが

 

椅子に座っていた。

 

 

 

体を壊し

 

1日4時間しか働くことが出来なくなっていた。

 

 

 

その

 

弱ったエースに

 

きつい話をしに行く自分。

 

最低だ。

 

 

 

 

 

 

” どうですか 体の具合は。”

 

 

”新しいスタッフの採用が進まず申し訳ありません。

 

  時給を上げたけど

 

  まだ

 

  一人の応募もありません。”

 

 

 

 

 

”痛みが続いており

 

 長い時間の仕事は、まだ出来そうにないです。”

 

 当分、1日4時間でやらせてもらいます。

 

 

 

 

 

 

”そろそろ

 

 後進の育成をしなさい。という意味だと思う。”

 

 

 

 

 

”それは、

 

 わたしは、

 

 もういらない。というコトですか?”

 

 

 

 

 

”そういう

 

 キツイ切り返し方が

 

 まわりを怖がらせてしまっている。”

 

 

 

 

 

”先日、イオ〇モールの総会で、

 

 新しく着任された、

 

 ゼネラルマネージャーさんがいい話をされていた。

 

 

 

 

 

人の採用が出来ないと言っている

 

お店さんがありますが、

 

それは、

 

せっかく採用できた新人さんに、

 

自分たちもそうやって教えられたからと言って、

 

仕事をどんどん押し付けているからじゃありませんか?

 

 

ちゃんと

 

スタッフの採用ができている店はあります。

 

時給も、

 

それほど高くないのに。

 

なぜだと思いますか?”

 

 

 

 

 

”そういう

 

 おもしろい話だった。”

 

 

 

 

 

 

”それは、わたしが店の雰囲気を悪くしているから、

 

求人応募が来ない。

 

そう言いたいのですか?”

 

 

 

 

”その

 

 鋭いつっこみが

 

 怖いといっている。”

 

 

 

 

わたしらの仕事は。。。

 

近頃の若い人は。。。

 

と、

 

いったら

 

おしまい。です。

 

 

 

エースに求められる

 

仕事は、

 

誰よりも売り上げを作ることでもない。

 

お客さんを増やすことでもない。

 

 

うまく行かない

 

苦しんでいるスタッフに

 

仕事の面白さを伝え

 

スタッフにやりがいを感じてもらうことです。

 

 

スタッフが第一で、

 

お客様は第二。

 

 

なんです。

 

 

それが

 

分からないと

 

めんどくさい上司になるだけです。

 

 

 

 

 

 

 

”じゃあ 

 

どうすればいいのですか?”

 

 

 

 

 

”同僚への感謝と、見える化です。”

 

 

 

"後出し

 

ジャンケンで負ける度量です。

 

 

 

相手が

 

グーを出してから、

 

おくれてチョキを出して

 

笑って

 

負けることが出来るか?

 

 

ピエロになれるか。

 

 

そういうことです。

 

 

 

 

ようやく

 

立て直しにむけて

 

話ができるようになってきた。

 

 

 

案外

 

長所は、

 

短所だったりもする。

 

 

 

 

 

 

 

戦国時代

 

武田信玄に、


徳川家康が、一方的に負けた戦いがある。

 


 

”三方が原(みかたがはら)の戦い。”

 

 

 

戦国最強といわれた

 

武田信玄は、


 

織田信長の蠢動(しゅんどう)を一蹴すべく京の都を目指していた。

 

 

その途中、

 

徳川家康の領地を通過する。

 

 

 

武田信玄は、


 

徳川家康の城を、

 


一つ、

 

また 

 

一つ 

 

抜いてゆく。

 


 

そして


徳川家康の立てこもる、

 

本拠、浜松城に迫る。

 

 

 

しかし、

 

武田信玄は、

 

徳川家康の立てこもる浜松城を、

 

悠々と横切り


無視し、

 

京を目指す。

 


 

そのとき、


31歳の徳川家康は 

 

武田信玄に 

 

”勝てる!”と思った。

 

 

なぜなら、

 

武田信玄は、

 

三方が原(みかたがはら)という高台から、

 

細い下り坂をおりて

 

祝田へ向かったとの知らせが、

 

徳川家康にもたらされたからだった。

 

 

 

 

徳川家康は思った。

 


武田信玄は、

 

自分(家康)の領地のことには詳しくない。


 

武田信玄の大軍は、

 

細い道を、

 

身動きが取れない

 

ぎゅうぎゅう詰めの状況で、

 

坂道を下ることになる。

 

 

いかに

 

戦上手の武田信玄であっても、

 

背後から、

 

勢いをつけ

 

高台から襲い掛かれば

 

 

勝てる。

 

 


 

徳川家康は

 

さっそく

 

浜松城から、

 

武田信玄を追って出撃する。

 

 

 

 

そして、

 

細い道で身動きが、

 

取れなくなっているであろう武田信玄軍を


包み込んで、

 

殲滅するため、


鶴翼(かくよく)の陣を敷く。

 

 

鶴翼の陣とは、


鶴が翼を広げたような陣形のことで


敵を、その翼で包み込んで、絞りきってしまえば勝ち。

 

 

 

 

 


徳川家康が、

 

三方が原の高台に到着すると。。。

 


 

そこには。。。

 

 

音もなく、

 

整然とたたずむ大軍団が

 

静かに

 

こちらを

 

見ていた。

 

 

 

 

武田信玄は、

 

 

徳川家康が 

 

城から出撃したことを、

 

とっくに知っていた。

 

 

 

徳川家康は。。。

 

武田信玄に誘い出されてしまった。

 


 

 

武田信玄はつぶやく


 

 

” 若いな ”

 

 

 

後年、

 

徳川家康が、関が原の戦いで、

 

大垣城にこもる石田三成を、

 

するすると誘い出すさまは、

 

 この三方が原の戦いで、

 

 武田信玄が家康に取った行動そのものだった。

 

 

 


徳川家康に逃げる時間は残されていなかった。

 

 


そして

 

戦いが始まる。


 

大型トレーラーと、軽自動車が正面衝突するような戦いだった。

 


徳川家康は、

 

この戦いで、

 

2000人もの大切な家臣を失う。


 

 

徳川家康を逃すために、

 

次々と

 

家臣たちは

 

盾(たて)となって死んでゆく。

 

 

家康は、

 

この事を生涯忘れなかった。

 


 

のちに


豊臣秀吉から、

 

”そちの宝物はなにか ”と問われた時

 

 

家康は、即座に


 

”命を惜しまず 忠勤を尽くしてくれる家臣たちです。”と答えている。

 

 

 

 

武田信玄は、


城に逃げ帰った家康に、とどめを刺さなかった。

 

 

武田信玄の語った言葉がある。

 

 

 

”およそ

 

戦の勝ちは、

 

 五分(引き分け)をもって上となす。

 

 七分をもって中となし、

 

 十分(完勝)をもって下(最低)と為す。

 

 

 その故は、

 

 五分(引き分け)は、励(励み、目標)を生じ

 

 七分は怠(油断)を生じ

 

 十分は驕(驕り、過信)を生じるが故。

 

 たとへ

 

 戦に十分の勝ち(完勝)を得るとも、

 

 驕(驕り、過信)を生じれば

 

 次には、

 

 必ず敗るるものなり。”

 


 戦に限らず

 

 世の中の事、この心掛け肝要なり。”

 

 

 

 

武田信玄は、

 

こんな話もしている。


 
40代前半までは、勝つことを考えて戦った。


しかし、

 

その後は、


”負けないように

 

 戦った。”