穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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赤い津波に呑まれたる


 大正三年十一月十六日に認可の下りた特許二六八四九號、『四季常用魚類乾燥装置』の明細書を紐解くと、一目で面白い事実に気付く。


 発明者の名が、日本人のそれ・・でない。


 ゲオルギー・イワノヴィッチ・ソコロフ。


 帝政ロシアの民である。

 

 

樺太にて、鰊の「棚掛け」、乾燥過程)

 


 バーチャスミッション、スネークイーター作戦等々、『MGS』を知る者ならば、一種特殊な反応を示しそうな名であった。


 生まれはオデッサ黒海に面した、例の街。


「例の街」で十分罷り通るほど、ここ数年で急速に、一般的な日本人の鼓膜にも親しくなった名の土地だ。


 ソコロフの家は、ここで代々、水産加工食品を作って売って稼業としてきたものだった。


 彼自身も例に違わず、篤実な水産業者として何の疑問も抱かずに日々を暮していたのだが。――しかし、さりとて、疑問はなくとも、不満というのは抱き得る。

 

 

オデッサの街)

 


 ソコロフは従来の乾燥装置の質の悪さが不満であった。時間はかかるし、色は酷いし、そのくせ一度に仕上げられる分量の、些少さたるやどうだろう。漁具も漁法も日進月歩、獲れる魚の量たるや年々増しているというのに、ひとり加工技術ばかりが取り残されていいものか。


 ――いいわけがない。


 と、使命感が芽生えたそうだ。


 幸い息子が出来物である。


 これ幸いとペテルブルグへ向かわしめ、最先端の水産及び工学知識を吸収させて帰還かえらせた。


 以来、父と子、二人三脚で努力すること十余年。


 夥しい失敗作の山々と、多額の借金を引き換えに、彼らは漸く満足のいく成果物を掴み取る。


「これぞ完全な乾燥装置」と胸を張るに値する、新発明の誕生だった。

 

 

オデッサ港)

 


 ソコロフがユニークだったのは、コレの特許を日本に於いて獲得しようとしたことだ。


 当時からもう「漁業大国」の名声は響き渡っていたとはいえど、態々地球を半周してまで、容易ならぬ冒険である。


 再び明細書に目を向けて、記されている概要部分を摘出すると、

 


「本発明は側壁及屋根を硝子張とせる乾燥室の一端面に放熱装置を設けて外部より導入せる空気を加熱し得せしめ他端面に排湿口を並設し且両側を斜に削り墜したる床板を適当の間隙を存して鎧袖状に張装して床を構成し廃熱を室内に上昇せしめて利用し得べくせる乾燥装置に係り其目的とする所は日光と熱気との併用により被乾燥物に優良なる光沢を発せしめ且熱風の利用を適切ならしめ以て極めて完全迅速に乾了し得せしむるに在り」

 


 当たり前だが文章のみでは何が何だかわからない、いったいどういう代物か、具体的なイメージを構築するのは難しい。


 これについては附属の図面を見てくれとしか説明しようがないだろう。「J‐PlatPat」なる、戦前の特許情報を検索可能なサービスがある。そこで「26849」と検索欄にぶち込めば、すぐに如上の明細書をスキャンしたデータがPDFで手に入る。まっこと便利な世になった。が、直接貼るのは、著作権やら何やらでちょっと不安であるゆえに、憚りながら読者諸子には手ずから試してもらいたい。


 とにもかくにも、当該装置を水産講習所にて組み立て、実験してみた、その結果。「長さ十間幅一間半の乾燥室に魚類一万二千斤を入れて二十八時間で完全に乾燥」するという、好果を得ることが出来た。


 その表面は「魚類天然の光沢を損ぜず」、見惚れんばかりの仕上がりだったそうである。


 ソコロフの永い挑戦は、実を結んだわけだった。

 

 

(オホーツクの鮭)

 


 ほくほく顔で故郷に帰り、一層稼業に精を出さんと腕まくりしたソコロフであるが。――やんぬるかな、世界情勢の激変が、彼の可憐な意気込みを許してくれはしなかった。


 同年七月、開始を告げた第一次世界大戦により、大事な大事な一人息子が兵士にとられ。


 その安否すら不明瞭なまま落ち着かぬ日々を過ごすうち、今度は二月革命である。


 首都を震源に生起したるアカの津波の惨害を、ソコロフはもろに喰ってしまった。


 ブルジョワと認定されたのだ。


 死刑判決も同然の烙印だったろう。


 工場は掠奪・放火の憂き目、生命いのちの危機すら間近に迫り、取るものも取らず、ほぼ身一つで逃れざるを得なかった。

 

 

(だいたいこいつのせい)

 


 東へ、東へ――。


 シベリアの荒野を日の昇る方へ流亡し、ついに東端、ウラジオストクの街まで至り、やっと、どうにか、辛うじて、腰を落ち着ける場所を得る。


「場所」というより「隙間」とでも呼んだ方が正しいか。――とまれそこにて池田喜代松という名の日本商人と昵懇になり、こもごも折衝を経た挙句、最終的にソコロフは、己が発明品の特許を十万円ポッキリでこの喜代松に譲り渡すと決めている。発明品とは、むろん『四季常用魚類乾燥装置』、例の代物に他ならぬ。


 故郷を失い、資産を失い、手持ちのカネも残り少なく、更にはこのウラジオで、息子の訃報に直面したことにより、心の梁が折れてしまったようだった。


 ひとりソコロフに限らない。彼のようなロシア人は、当時それこそ掃いて捨てるほど居ただろう。


 恐怖政治下のフランスで、「近代化学の父」ラヴォアジエがギロチン台の餌食にさせられたが如く――。


 叡智も、悟性も、しょせん革命の狂気を前に、圧倒される運命だ。

 

 

(『ナポレオン -獅子の時代-』より)

 


 特許を購入した際の池田喜代松の発言が、幸運にも遺されている。


 最後にそれを引用し、この小稿を閉じるとしよう。

 


「金儲の為に買ったのでなく此権利が米国に売られると云ふ事を聞いて私の手に収めたのです、尚私は長く海外に在り母国製品の不評判な事が身に染みて居るので比較的多く輸出する魚類の改良を思ひ立ち親戚等の反対をも排して此業に従ふ事にしました、之が為に一般輸出品改良の端を開くことが出来れば仮令私は資産を蕩尽しても構ひません」

 

 

樺太、鰊の陸揚げ)

 


 フランス革命、六十万人。


 ロシア革命、九百万人。


 文化大革命、二千万人。


 革命など、結局は殺すしかないのさ。

 

 

 

 

 


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