苔むせる二尊石仏五月来ぬ

「方円」2022年7月号円象集掲載。

5月6日に立夏を迎えるので、五月は夏の季語とされる。写真は大阪府豊能郡、川尻北の谷二尊石仏。この地区一帯にはこうした石仏、磨崖仏が点在する。亡父はここを2010年に訪問。その時の写真が上の1枚。私もその足跡を辿って、2022年5月に訪問した。その時の写真が下の1枚。12年の時を経て、石仏は苔に覆われていた。足元も苔に覆われ、危うく滑りそうになりながら、父が撮ったであろうアングルから、石仏を写真に収めた。改めて写真を見比べて、時の流れを感じるとともに、季節が絶え間なく巡る事を感慨深く感じて詠んだ句。

ここだけでなく、亡き両親が歩いた場所を吟行がてら辿って、写真に納めたり、句作に励んだりし続けている。昔と比べて、家並みが変わっているところ、道が整備されているところ、荒れ放題になっているところ、時と共に様々な変化が見られる。月並みな感想だが、時は巡る。万物は流転する。自分も年を取る。当たり前の事だが、それが時に寂しく、時に嬉しく、様々な感情をもたらしてくれる。これこそが人間の特権。こういう感情を大切にして、句作に活かしていこう。

 

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竹皮を脱ぎ青空に身を晒す

 

「雲の峰」2023年7月号青葉集掲載。

「竹皮を脱ぐ」は夏の季語。筍は伸びるにつれて下の節から順に皮を脱ぎ、それ以上は成長しない。竹の皮は自然に脱げる頃に採取し、物を包むのに用いる。皮を脱いで初めて竹としての姿を見せる。今まで隠れていた青い竹が、白日の下にさらされる。まだ色褪せない青い竹。それが青空のもとに現れているという新鮮さ、初々しさが眩しく見えて詠んだ句。

今は「若竹」と呼ばれる身。これから日に晒されて、若々しい青は日に日に薄くなり、黄色がかった色へと変化してくる事だろう。そうすると「古竹」と呼ばれ、親しまれる。若いうちは若いうちで魅力があり、年齢を経るにしたがって、違った魅力を見せる。人間にも当てはまるだろう。但し人は、単に年連を経るだけで、中身を伴わなければ魅力的ではない。自分自身が外面も内面も輝けるように、不断の努力をしなければならない。今、自分はそれが出来ているのか。最近疑問に感じている。変わらねば。

 

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言ひ合ひは嫌ひ憲法記念の日

 

「方円」2014年7月号清象集掲載。

1947年5月3日、日本国憲法施行。それを記念して国民の休日としたのが憲法記念の日で、春の季語とされている。歳時記でも例句はさほど多くない。この句は10年前の今日詠んだ句。国内外で、イデオロギーの違いなどによる対立が続いている事、身近なところでは、会社やご近所など、人の集まるところでも諍い、対立がよくあるだろう。それらをひっくるめて、仲良く平和でいたいという思いを込めて詠んだ句。

現実にはそうも言っていられないだろう。憲法上で言論の自由、思想信条の自由はきちんと保証されている。言い合いをやめれば、片方の言論、思想信条は封殺されることになる。憲法の条項は普遍的なものだという事は、頭の片隅に置いた上で、意見が違う人の考えを聞き、それを尊重した上で、単純に反対ではなく対案を述べるという事が理想ではある。ある会社のモットーに「尊論尊和」というものがある。曰く。話し合いの場では、自分の意見をしっかり戦わせて、話し合いの場が終われば対決をやめ、和する事が大切というもの。人間はついつい感情的になってしまう。難しい話だ。

 

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名主逝き桜を遺す家屋敷

 

「雲の峰」2023年6月号課題俳句佳作の句。俳誌「雲の峰」には課題俳句というものがあり、毎月出される兼題について2句投句する事になっている。この時の兼題は桜。親戚にかつての名主がいた。農地改革で田畑を取られた後も、600坪の屋敷に住んでいた。そのお宅には子がいなかった。時が過ぎ、高齢のご主人は他界。施設に入っていた奥さんも亡くなった。残ったのは大きな家だけ。その家に桜があったかどうかは、実は定かではなく、想像の世界になってしまうが、主がいなくなった家というものを身近に感じて詠んだ句。

私には兄弟がいない。両親が他界してひとり暮らし。父方、母方の伯母も高齢。いとこはいるので、身寄りが誰も居ないという事はないが、この句で表現したような事が、これからリアルに起こりうるのは確かな話だ。先週誕生日を迎え、お陰様で53歳を迎えた。まだまだそんな事を考える年齢ではないと思っていたが、あっという間に50を超えたという事を考えると、あまり悠長に構えていられない。幸い私には吹奏楽や俳句を通して得た仲間がいる。最終的にはひとりだが、いざという時には頼ってもいいのかなと、最近考えている。あまり悲観的に考えたくはないが、そろそろそういう事も考えねばと、最近思う。

 

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いつもより早き目覚めや雪柳

 

「方円」2006年6月号雑詠掲載。

我が家は北向き。2階の寝室は南を向いていて、窓から庭が見える。毎年春になると、真っ白な雪柳の隣に、黄色の鮮やかな連翹の花が咲く。私の部屋の窓は、ちょうどその雪柳を見下ろす位置にあり、窓を開けると、朝日を浴びた白い花が実に鮮やかに見える。休日、元来朝は早い方だが、その日はいつもよりさらに早く起きる。いいお天気で、窓を開けると白が目に飛び込んでくる。今日はいい日になりそうだ。何となくそう感じる。そんな朝の風景を切り取って、素直に詠んだ句。

この句を詠んでから18年。両親とも他界し、今は同じ家に一人暮らし。今は当時寝ていた部屋から、隣の座敷に移って、雪柳からは少し離れた。恥ずかしながら、庭の手入れは行き届かず、雑草が生い茂っている状態。それでも雪柳や連翹は咲いてくれる。側溝近くには満開の躑躅にチューリップ。冬は万両。何も手を加えていないのに、咲いてくれる。そこに土がある限り、何も言わなくても、当たり前のように咲いてくれる。そんな草花に感謝して、この連休中、たまには庭や生垣を手入れして、放置していたことを謝らねばならない。

 

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