imagine138 生きる | フィギュアスケート応援(くまはともだち)

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Imagine138 生きる

Imagineシリーズはフィギュアスケートとは関係なく

日常のことや思いを綴る記事となっています

お時間がありましたら、よかったらお付き合いください


今日は母についてお話ししたいなって思います。
おかげさまで体調が回復しました。
明日、横浜に連れてくる予定となっています。

昨年にお伝えして以来

気にかけてくださっている方も多いですよね🙏
今日までのことを、気持ちを整理するためにも

綴っていこうと思います。

母は今年80歳。

今から20年前、60歳の時に10歳上の方と再婚し

富士山が見える街で穏やかに暮らしていました。
義父には2人の子ども(兄妹)がいて

再婚当初は母のことを好ましく思っておらず

財産目当てではないかと勘ぐられ

距離を置かれていました。

そういう事情もあって、義父の兄妹と

私たち3姉妹が会ったことも1度だけ

20年前に再婚が決まって顔合わせをして以来

子どもたち同士でのやりとりは一切ありませんでした。

そして昨年、母が体調を崩し
「助けて」と初めて子供達にHELPを発しました。
その時は、軽度の鬱、ぎっくり腰で
家事をすることができないから
手伝いにきてほしいという内容でした。

そこで子どもたちが入れ替わりながら
できるかぎりの支援をし

ケアマネージャーさんや近所の方の

ご協力をいただき過ごしていたのですが

年明け、少し体調がよくなったと油断して

新聞の束を持った時に腰の左右の骨が

砕けてしまう複雑骨折になり

救急搬送されたものの

「入院してもしなくても痛みは変わらない」

という医師の説明を聞いて自宅療養を

選択した母でしたが。その後

朝、起き上がることもできない

お風呂も入れない、トイレにもいけない

階段から降りれない、ご飯も食べれない

眠れないと・・日に日に弱っていき
このままでは死んでしまうのでは

ないかという状況になったのです。

母が入院をしたくない理由は

義父をひとりにできないから。
側にいてあげたい思い。
義父は家事は一切したことがない人

ご飯もお風呂もゴミ捨てもできない。
一昨年心臓の弁膜の移植手術をして

足がむくみ家の中を歩くのにも杖が必要な

状態でもありました。

そして、こどもたちは関東に住んでおり

新幹線で通ってのサポートも長期間だと

やはり負担が多くのしかかってきます。

それで関東の夫婦で入居できるシニア

マンションや介護施設などを内見にいき

もう少しで契約というところで

母が服用していた抗うつ剤でNGになり

なかなか状況が進展していかない間に

どんどん母が弱っていきました・・。

3月の初めに母の元にいった時、家事などをすませ

帰ろうとした時に義父の娘さんがやってきました。

20年ぶりの再会でした。

久しぶりに会った義姉からは刺々しさが

まったくなくなっていて、実の娘のように

母に接してくれていました。

その理由は、再婚当初は母を認められない

と思っていたものの、義姉自身も

大病を患ったことがあり、その時に

母に助けられたことがあったのだと

そう話していました。

そこで、帰る直前、2人になったタイミングで

「母が今はトイレにも行けなくなっていて

ご飯も食べることができないんです

このままだと母が死んでしまうのではないか

どうにかしたい」

と泣いてしまった私に
「横浜で療養できるようにします」

そう言ってくださったんですね。

そこからは、本当にあっという間でした。
その翌週、一番上の姉が病院に母を

通院のため連れて行くと、腰以外にも

胸骨が骨折していることがわかりました。

そして、その日のうちに緊急入院。

無理をして家事をこなしていたことで

骨がかなりもろくなっていたようでした。
母が入院している間は、義父のそばには

義姉が泊まり込んで世話をしてくれることに。

 

「私が世話をしなくてはいけない」

 

と思っていた母の不安を払拭してくれました。

約2ヶ月の入院生活で母の体調は

みるみるよくなっていきました。そして病院から

「これなら退院して自宅療養できますよ」

と提案されました。

母はすぐにでも家に帰り義父のそばにいたい。

義父のそばが帰る場所だと思っているようですが

そうなるとまた同じことの繰り返し。
無理をして、体調を悪くしてします。

そうなっては意味がないと、
「横浜の姉(2番目)の家で自宅療養して

元気になったら帰りましょうね」
そう母に繰り返し話して、なんとか納得してもらい

明日、20年ぶりに母を横浜に迎えることが

できます。今日は2番目の姉の家に介護

ベッドが届いていて、横浜のケアマネージャーさん

も立ち会ってくださっているとのこと。

明日は、退院手続きをした、その足で

近くのホテルで義父と義兄、義姉と一番上の姉と私と

そして母で昼食会をする予定です。そして、横浜へ。

母は義父がいる家へ帰るつもりで療養を

がんばるきもちでいますが、子どもたちは

もしかしたら会うのはこれが最後になることも

あるかもしれない。そんな気持ちがあります。

90歳と80歳。なにがあるかなんてわからないのです。
義父と母だけでなく、私たち自身にだって何が

あるかわからないんです。

きっと明日、母は泣いてしまって。
退院できたのに家に帰れないことが

悲しくて泣いてしまうだろうなって想像しています。

でも、帰したらダメになってしまう。

また同じことの繰り返しになってしまう。

次はもっとひどくなってしまうと思うのです。
だから心を鬼にして離さなくてはいけない。

でも、何が幸せなのか
母にとって一番の幸せってなんなのか
大事なことってなんなのか
わからなくなっています

生きるって難しいことです
年齢を重ねるほど一人では生きられない
病気や障がいを抱えているご家族がいらっしゃる方
ご自身が病を闘われ不安を抱えていらっしゃる方
そういう方も多いと思います

それぞれの未来を考えて不安で眠れない時
涙が止まらない時
絶望感で押しつぶされそうな時も
あると思うのです

でも生きるってこと
生かされているってこと
この世に生を受けたっていうこと
逃れることもできないけれども

その時の最善を選択しながら
当たり前の明日はないと思いながら
一生懸命、生きたいなって
生きていてほしいなって思っています。

写真 イラスト:AC