旅する歴史家@ペルシア

ペルシア文化圏(イラン•中東•イスラム•中央アジア•コーカサスetc...)の歴史研究…

旅する歴史家@ペルシア

ペルシア文化圏(イラン•中東•イスラム•中央アジア•コーカサスetc...)の歴史研究者です。シルクロードの向こうの遠くて広いペルシアから旅日記を書いています。 🌹旅日記を通して沢山の方と出会えますように。 🌹コピーライトは著者に帰属します。

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  • ペルシア•シルクロード紀行といつもの日記

    ペルシア文化圏(イラン•中東•イスラム•中央アジア•コーカサスetc...)の歴史研究者です。

最近の記事

占領下のパレスチナにおける死への価値観ーペルシアのアネモネの神話と殉教文化ー

昨年10月に始まったガザにおけるジェノサイドは8ヶ月が過ぎ、意図的に作り出された食料危機や飢餓を併せたこの大虐殺によって、幼い子供達や女性達をはじめとする既に4万人近くの人々が犠牲になっています。 ガザの人々を日々襲うこのジェノサイドは対岸の火事などでは決してなく、人類全体を脅かす脅威であり、全世界の人々に倣って日本人の私達も固く反対世論と #BDS 不買運動を築く必要があると思います。 戦後イスラエルに占領された祖国パレスチナで、人生や家族や祖国の大地そのものを守るため

    • 古代ペルシアの宮殿遺跡ペルセポリス(中編)

      新春(ノウルーズ)の祝祭を催す壮麗な宮殿として建てられた優美なペルセポリスがやがて廃墟と化してしまったのは、アレクサンダーがペルシアに侵攻した際にペルセポリスを焼き討ちしたことに端を発しています。アレクサンダーは、当時アケメネス朝ペルシアの州(サトラピ)のひとつだったギリシアに対して反乱を起こしたマケドニアの司令官で、その後ペルシアにも侵略した歴史があります。 実はアレクサンダーの焼き打ちで廃墟と化したペルセポリスの悲劇は近代になっても繰り返され、欧米の考古学者などが発掘の

      • アケメネス朝ペルシアの宮殿遺跡ペルセポリス(前編)

        ペルシア(イラン)の世界遺産といえば、真っ先に思い浮かぶのが古代アケメネス朝ペルシアの首都ペルセポリスです。西はギリシア、東はインドまでの広大なアケメネス朝ペルシア帝国は20の州(サトラピ)から成る古代初の連邦国家で、2500年前も昔のものとは思われない技巧を凝らしたアスファルトを敷いた「王の道」がこの広大な連邦国家を結んでいたことは、世界史の教科書でもお馴染みですね。この広大なアケメネス朝ペルシアにはシーラーズ近郊のペルセポリスの他にもバビロン、スーサ、エクバタナ、という複

        • 世界の半分、サファヴィー朝の古都イスファハーン(中編)

          イスファハーンで数々のペルシア建築に足を運び、壮麗なドーム型建築やアーチ型の回廊の下に佇んでいる時にふと思い出すのが、子供の頃によく通ったプラネタリウムの大きなドームのこと。プラネタリウムに映し出された星座たちを仰いで見とれているうちに、夜空に飛び込んでしまったような浮遊感に包まれて、たった30分ほどの番組が終わって立ち上がると、足がふらふらしてしまったりしたこととか。繊細なタイル細工が一面に施されたペルシア建築のドームはもちろん、プラネタリウムとは比べものにならない壮麗さな

        占領下のパレスチナにおける死への価値観ーペルシアのアネモネの神話と殉教文化ー

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        • ペルシア•シルクロード紀行といつもの日記
          20本

        記事

          世界の半分、サファヴィー朝の古都イスファハーン(前編)

          イラン(ペルシア)の見どころとしてたぶん一番と言っていいくらい有名なのは、江戸時代とほぼ同時代に興ったサファヴィー朝ペルシアの首都だったイスファハーン。ヨーロッパから貿易商たちがペルシアの文物を求めて詰めかけ、フランスの旅行家シャルダンも挿絵入りの豪華な旅日記を残し、世界の半分と謳われたサファヴィー朝時代の壮麗な街は、今も当時の美しい面影を残しています。 たとえば、サファヴィー朝の王宮やモスクやマドレセと呼ばれるイスラム神学校や細い裏通りがどこまでも続く大バーザールが立ち並

          世界の半分、サファヴィー朝の古都イスファハーン(前編)

          ペルシア文学のなかのワインの酒杯(その1 ハーフェズ占い実践編)

          ペルシア文学におけるワインといえばやっぱり、まず思い浮かぶのがハイヤームやハーフェズです。今日はおまちかねのハーフェズをめくって、ちょっと文学的なハーフェズ占いを! 愛の旅人たる長老がそなたに酒を勧める時/「酒を飲み、神の慈悲を待て」と言う/ジャムの如く目に見えぬ秘密に達したくば/来たれ、世を映す酒杯の友となれ/世のことが蕾のごとく閉ざされていても/そなたは春風の如く結び目を解く人となれ (黒柳恒夫訳「ハーフェズ詩集」平凡社) 詩のなかでワインを注いでくれる長老はハーフ

          ペルシア文学のなかのワインの酒杯(その1 ハーフェズ占い実践編)

          世界最古のワインとビール

          シーラーズのワインの話が出たところで、今日は世界最古のワインとビールについて。 今までに見つかった世界最古のワインの痕跡は、イランのウルミエで出土された7000年前のワイン造りの壺やグルジアで発見された8000年前のワイン製造場跡だそうです。また世界最古のビールについては、イラン西部のザグロス山脈にあるゴディン・テペ遺跡で5000年以上前にビール醸造に使った壺(写真)やビール造りを図解した素焼きレンガ(写真)などが見つかっています。 ウルミエやゴディン・テペの発掘について

          世界最古のワインとビール

          古都シーラーズで薔薇色に染まるモスク(前編)

          今日はペルシアの古都シーラーズから。シーラーズというと聞いたことのない人でも、ワインの銘柄の「シラーズ」はきっとどこかで目にしたことがあるかもしれません。シラーズ(Shiraz)はワインの産地として有名だったシーラーズの葡萄を植えてつくったワインで、知る人ぞ知る手頃で美味しい銘柄ですね。40年前のイラン・イスラム革命でシーア派イスラム色が前面に出てくる前の王政イラン(当時の国名はペルシア)では、昔から伝統のあったシーラーズ産のワインが有名で、この古都の葡萄は今も所を変えて美味

          古都シーラーズで薔薇色に染まるモスク(前編)

          ペルシアのパンの話(中編)

          いつも焼きたてのおいしいパンが欠かせないペルシアの食卓には、キャバーブや煮込み料理とご飯という献立の時でも、ちゃんとパンが並んでいます。 パン好きな人たちがとにかくパンをよく食べることといったら!特にパン好きなことで知られているイラン西北のアゼルバイジャン地方の人たちはスパゲッティやご飯までパンに挟んで食べていたりとか(!)焼きそばパンやラーメンライスのような感覚なのかもしれないけれど、何が出されても、「お腹が一杯になるようにパンと一緒に食べよう」というフレーズをよく聞くし

          ペルシアのパンの話(中編)

          ペルシアのパンの話(前編)

          ペルシア文化圏の主食はやっぱりナンと呼ばれるパン。九千年とも言われる歴史を持つパン焼きの文化があるペルシアでは、街角のパン屋さんは朝も昼も夜もかまどで焼いた焼きたてのパンを買う人たちの行列でいっぱいです。 もちろん、キャバーブと呼ばれる串焼きや手の込んだ様々な煮込み料理と一緒にご飯もよく食べるのだけれど、主食はやっぱりパンなので、食事時のペルシアの街角はいつも、一抱えもあるパンの山を抱えて家路に急ぐ人たちと、おいしそうなパンの匂いで溢れています。 パンの種類は色々あるけれ

          ペルシアのパンの話(前編)

          ペルシアの七草粥(後編)

          昨日お届けした、願い事が叶うペルシアの七草粥。でもよく考えてみると、どろっとした見かけも、素朴ながらとっても甘い味わいも、今の日本に伝わる七草粥よりもぜんざいやおしるこのほうに似ているんですよね。 そこでぜんざいのルーツを辿ってみると、出雲に伝わる神在餅(じんざいもち)にあるそうです。十月に日本中の八百万の神々が出雲に集まるので神在と言って、小豆を煮てお餅を少し入れたものをお供えにしたそうです。そんなルーツを持つぜんざいやおしるこは、昔から立春の頃の節分に厄よけを願って頂い

          ペルシアの七草粥(後編)

          ペルシアの七草粥(前編)

          中国から伝わってきた七草粥の風習は、一月六日にうら若き乙女が春先の野に出て七種類の若菜を摘んで七草粥を用意し、一月七日の朝に頂くというものでした。旧暦のお正月は立春の前後だったので、春一番の若草をお粥にしてお正月の食卓に並べるという、農事暦のお祝いだった訳ですね。 さて中国からさらにシルクロードを西にたどって行くと、実は、七草粥の文化は遠くペルシア文化圏まで及んでいます。ペルシアに古くから伝わる七草の風習では、春先に七つの穀物の新芽を育ててお正月のお飾りにし、この新芽をコト

          ペルシアの七草粥(前編)

          世界の半分イスファハーンに佇むアルメニア教会(後編)

          さて、アルメニア地区を散策しながら、点在するアルメニア教会の建築を見ていくと、ドーム型の丸屋根やタイル細工、建物内部の装飾、庭の様式など、ペルシアの伝統建築と似ているように思われる部分がなぜか多いのです。どうやら、外から一見するとドーム型の丸屋根がかぶったモスクのようにも見えるのに、中に入ってみると、東方教会独特のカラフルな色彩に溢れたな装飾で散りばめられていて、教会だとわかる(!)というのがこれらの教会建築の特徴なのです。きっとオスマン朝下で迫害されていたアルメニア教徒たち

          世界の半分イスファハーンに佇むアルメニア教会(後編)

          世界の半分イスファハーンに佇むアルメニア教会(前編)

          ペルシアことイランの宗教はイスラムの少数派シーア派一色だと思われがちだけれど、実はシーア派以外にも様々な宗教の人々が住んでいて、それぞれの信仰や風習や言語などをしっかりと保っていることは、あまり知られていないかもしれません。 現在のイランそしてかつての広大なペルシア帝国にイスラムが入ってきたのは、6世紀前半のことですが、文明の十字路と呼ばれたこの一帯には、(たとえば砂漠日記で紹介したルート砂漠に眠る9千年前の文明など) 様々な地域に様々な古代文明が栄え、様々な宗教が行き交っ

          世界の半分イスファハーンに佇むアルメニア教会(前編)

          ハーフェズ占い

          前回お約束していたハーフェズ占いについて。 ペルシア文学の古典中の古典、神秘主義詩人ハーフェズの暗示と寓意に満ちた意味深長な詩は無数の解釈と読解が可能な詩体であって、その美しく暗示的で造詣に満ちた独特の詩法で、様々な思いで彼の詩を手にとる人々の心を力強くかつ繊細に癒してくれる。こうして、悩み事や心のわだかまりを抱えた人々が思い思いにハーフェズの詩集を開いて彼の神秘主義詩に水先案内を求めてみるのが、今でもペルシア文化圏で多くの人々に親しまれているハーフェズ占い。多くの家庭の本

          ペルシアの春のお正月(2)

          数千年という歴史を持つ庭園文化が根付いたペルシアの春は、春の訪れとともにまるで天上のような美しさを見せてくれるペルシア庭園の美とともに始まります。それは例えばフィッツジェラルドの英訳で一躍有名になった四行詩人のハイヤームがこんな風に歌った一瞬が永遠に変わるひととき… 菫は衣を色にそめ、薔薇の袂に そよかぜが妙なる楽を奏でるとき、 もし心ある人ならば、玉の乙女と酒をくみ、 その杯を破るだろうよ、石のに。 (オマル・ハイヤーム「ルバイヤート」小川亮作訳、岩波文庫) ペ

          ペルシアの春のお正月(2)