「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

鳴海八幡宮

2024-05-09 07:30:00 | 日記
熱田神宮を巡った私達は、境内にある「宮きしめん」を食べに行きました。

2016年に行った時とは、「宮きしめん」のお店が全然変わってしまったことに驚きました。
すっかりカフェのようになってしまったからですね。






画像は、お借りしましたが、KIさんが皆様にと、「宮まんじゅう」をお土産にくださいました。
ありがたいことですね。

「宮きしめん」ももちろん美味しくいただきました。

境内を歩いている時に、KIさんが瀬織津姫の話から、鳴海八幡宮の鳥居の外側にある祠の話をしていました。

そこには、瀬織津姫の名前があったのに、消えてしまったということでした。

熱田神宮の後は、「名古屋では最近人気のある大須商店街が楽しいと思います」と、KIさんは計画してくださっていたのですが、「宮きしめん」を食べた後に振り子で聞いてみると、ミクネの神(天之常立之神)に、

ナルミに行け

と言われて、道々話していたのをしっかり聞いていたようですね。

KIさんも驚いていましたが、計画変更で、そこから鳴海八幡宮に向いました。

鳴海と言われても、私は地理的に良くわからなかったのですが、KIさんがお仕事をいつもしているお店の近くだったことが後でわかりました。

まずは、話に出ていた鳴海八幡宮へ連れて行ってくださいました。


鳥居の左側に、KIさんが言っていた小さな祠がありました。



他に人もいなかったので、私が祝詞を挙げました。
今回は、ちゃんと挙げられて良かったです。

境内の真ん中辺りに、ご神木のクスノキがありました。



調べると、室町時代からあるようで、樹齢1000年以上のようですよ。

本殿でご挨拶しました。



隣には、鳴海稲荷神社がありました。



🌟鳴海八幡宮

創建は不明。
貞永元年(1232年)に久野家初代が社職となった記録がある。

境内に聳える大楠は室町時代には既に大木であったと伝えられており、樹齢1000年~1200年と推定され、御神木とされている。

🌟境内社

高良社:建内宿禰命
北野天満社:菅原道真公
秋葉社:軻遇突智命
国造社:大国主神
須佐之男社:須佐之男命
金刀比羅社:大物主神
御鍬社:天照大神、豊受大神
稲荷社:宇迦之御魂大神
香良洲社:稚日女命
祓戸社:瀬織津比咩神、気吹戸主神

かなり沢山の神社が合祀されたのかと思いますね。
祓戸社は最後に記されていますが、祓戸社だから鳥居の外にあるのかと、私は思いました。


KIさんが次に連れて行ってくれたのは、成海神社でした。


続きます。


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熱田神宮 その2

2024-05-06 07:30:00 | 日記
熱田神宮の本宮の奥にある「こころの小径」は、以前に来た2016年の時にIさんが言っていましたが、ずっと禁足地になっていたとのことでした。

調べてみると、2012年12月に開放された場所ですが、守衛さんのいるところで9時〜16時で閉まるようです。

足を踏み入れると、原生林だからか何とも言えない良い香りがしています。


ご神木もパワーがありましたが、こちらのクスノキも圧倒する感じでした。

清水社では、柄杓で真ん中に水を三回掛けるとご利益があるとのことで、皆様が並んで水を掛けていました。


奥にある摂社が一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)です。




熱田神宮の最奥の地にある神社になります。



🌟一之御前神社は、祭神として天照大神荒魂(あまてらすおおかみあらみたま)を祀る。
荒魂とは激しく動的な事象を生み出す神霊をいい、勇猛さ・進取の象徴ともなる。
熱田神宮でこれが祀られる由縁も、伊勢神宮に荒祭宮があることと同義とされる。


私は、何年か前にIさんが伊勢神宮に行った時に、ミクネの神(天之常立之神)が荒祭宮の札を求めるように言っていたことを思い出しました。

私の家の神棚のような場所には、その札があります。



そして、私はとても昔に聞いた話を思い出していました。

2015/6/8の記事を抜粋します。


5月26日


ミクネの神(天之常立之神)

ミクネだ。
私は、嫌いだったスサノオノミコトのことがわかってくれて、ツカが沢山立ったことに感謝している。

なぜ、スサノオノミコト様のことは嫌いなのですか?

かわいくないからだ。

荒魂(あらみたま)のことですか?

そうだ。M子が昨日調べていたことだ。

昨日の「一霊四魂」のことですか?

イラタの神(天之御中主之神)の荒魂(あらみたま)がスサノオノミコトだ。
和魂(にぎみたま)は私だ。
そして、ナセの神(国之常立之神)のはらからはイラサトの神だが、魂ではなくパワーのある気だったのだ。
瀬織津姫は、私から分かれた魂だ。

それでは、ナセの神様はスサノオノミコト様から分かれたのですか?

そうだ。かわいくないところから分かれた魂だ。

私が、以前に聞いていたことと、違うように思いますが。

そうだな。綱が張られたから、教えてもいいということになったのだ。
「愛」が瀬織津姫で「智」がナセの神だな。

ということは、瀬織津姫は古い魂なのですか?

そうだ。セナの神(ニギハヤヒ)が生まれた時にまた生まれたのだ。
何回も繰り返されていたのだな。




🌟一霊四魂(いちれいしこん)とは、心は、天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つという日本の思想。

一霊四魂のもっとも一般的な解釈は、神や人には和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)・奇魂(くしみたま)・幸魂(さきみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているというものである。

和魂は調和、荒魂は活動、奇魂は霊感、幸魂は幸福を担うとされる。
荒魂には「勇」、和魂には「親」、幸魂には「愛」、奇魂には「智」というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊がコントロールしている。
簡単に言えば、勇は、前に進む力、親は、人と親しく交わる力、愛は、人を愛し育てる力、智は、物事を観察し分析し、悟る力である。
これら4つの働きを、直霊がフィードバックし、良心のような働きをする。


🌟直霊(なおひ)

イラタの神(天之御中主之神)


和魂(にぎみたま)
ミクネの神(天之常立之神)


荒魂(あらみたま)
スサノオノミコト


幸魂(さきみたま)
セオリツヒメ(瀬織津姫)


奇魂(くしみたま)
ナセの神(国之常立之神)


☆ 一霊四魂の話



私がなぜ、この記事を思い出したかというと、KIさんが感じた話が瀬織津姫だったからですね。

彼女は、熱田神宮の南門の近くにいるニギハヤヒと最奥にいるセオリツヒメが「会いたい!」と言ったのだと思ったそうですよ。


続きます。


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熱田神宮

2024-05-03 07:30:00 | 日記
3月6日に荒熊神社に行った私達は、名古屋に泊まり次の日は朝早くから熱田神宮に行くことになりました。

私が熱田神宮に行ったのは、荒熊神社に初めて行った2016年10月1日で、その後一度行き、今回は3回目になる参拝となりました。

荒熊神社でお知り合いになったKIさんが、朝早くから案内して下さりありがたいことでした。

KIさんも、いろいろ感じるタイプの方で、とても不思議な体験をされていました。
 
今回、記事にするので、お電話でその時に聞いた話を改めてお聞きしたのですが、私のブログのニギハヤヒの記事を読んだ時に、大変なグルグルなめまいがしたそうで、その時に、

会いたい!

と言われたらしいです。
一体、誰が誰に会いたいのか?というところからKIさんの調べが始まったのですね。
いろいろ調べている時はめまいが消えるらしいです。

そして、丁度その日に愛知県の小牧市の民家に隕石が落ちたそうですよ。
私は、知りませんでしたが、2018年9月26日のことで、wikipediaにも載っていました。


🌟小牧隕石(こまきいんせき)は2018年9月26日22時30分頃、愛知県小牧市の民家に落下した隕石。
L6普通コンドライト(球粒隕石)である。隕石が建物を直撃および落下直後に発見されたのは、2003年に落下した広島隕石以来15年ぶりとなる。
2019年2月19日から、3月17日まで国立科学博物館で衝突した屋根の一部と共に展示された。
その後は名古屋市科学館において三つに分かれた破片のうち最大の物をえぐれた屋根の一部や割れたカーポートと共に2019年4月6日より常設展示、二番目に大きい破片の寄贈を受けた国立科学博物館で2019年3月21日から常設展示している。


だそうです。
この小牧隕石が関係しているのかはわかりませんが、彼女は調べていて熱田神宮の端と端に、祀られている神様に注目したそうです。



私達は、まずは正門(南門)の鳥居をくぐりました。


そして、入って割と近いところの摂社に向いました。




こちらは、孫若神子(ひこわかみこ)神社で、ご祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)なのですね。

別名は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)となり、私の話に良く出てくるニギハヤヒのことのようです。

看板には、尾張氏の始祖とありました。

そこから、すぐ隣に以前にも行ったことのあるお社がありました。




こちらは、南新宮社(みなみしんぐうしゃ)で、ご祭神はスサノオノミコトなのです。

初めて熱田神宮に行った時に、Iさんがここは外せないと言っていて、祝詞も挙げていたのですね。

早い時間で、あまり人もいなかったので、私も一回だけ祝詞を挙げました。

しばらく挙げていなかったので、途中でつっかえてしまったのを、まーさんにバレてしまいましたが。。。

実は、調べてみると織田信長がこのお社を建てたという話もあるようです。
織田信長が1560年に桶狭間の戦いで今川軍を破ったことで奉納した「信長塀」という塀があり、熱田神宮に織田信長の痕跡があるのは面白いですね。



上記の境内図の左の位置関係を拡大してみました。

私達は、その後本宮に向かって行きましたが、いつ見てもパワーいっぱいのご神木を仰ぎました。





天気の良い日で、団体の皆様もずいぶんいらしていました。





本宮で、ご挨拶をして、本宮の後ろ側の「こころの小径」に向いました。

下記は、2016年10月1日に熱田神宮に行った時の記事です。


☆ 熱田神宮の話



続きます。


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荒熊神社に行きました その2

2024-04-30 07:30:00 | 日記
まーさんの計画の続きは、荒熊神社に行き、その夜は名古屋に泊まり、次の日は熱田神宮に行くということになっていました。

名古屋の宿泊はいつも完璧にしてくれるヒロミさんが手配してくれて、でもヒロミさんは平日ということもあり、泊まらずに東京へ帰りました。

Sご夫妻も福岡に帰ったので、まーさんご夫妻とのぶえさんと私が残り、次の日は荒熊神社でお知り合いになったKIさんが案内をして下さることになりました。
みーららさんも参加してくださいました。

まーさんの旅の計画は、 その後伊勢神宮から熊野に向かうという、またまたハードな旅になっていきました。



さて、荒熊神社に着くと、皆様が笑顔で迎えてくださいました。

社務所であるご自宅で、ずっとお話ししていたので、まーさんご夫妻は荒熊神社の山の上に行かれていないので、またの機会に行っていただくとして、私達は先代の清水宮司さんが本当にお元気で、お会い出来て良かったと思いました。



そもそも、私が荒熊神社に行って欲しいと言われたのは、2016年10月1日のことで、8年前になるのですね。

その頃はネットで調べても、よくわからないことが多かったのに、たどり着いたのは、行動力のあるIさんのお陰様です。

いつものことでしたが、知らない場所に行くのは、だんだん慣れてきた感じの時のことでした。
Iさんと初めて会ったのは、2015年2月1日ですから。


★ 知多半島の話 その3


☆ 南知多徒然



今年の1月2日にまた、荒熊の神に会って欲しいと言われると、やっぱり行かなければと思いますよね。

ご縁を繋いでくれているのは、いつも神様達の言葉だったりしています。

私がいつも感動するのは、90代になられる清水清元(せいげん)さんの記憶でもあり、温かい言葉です。
私の夫の病気のことをお電話の度に聞いてくださり、いつもお祈りしてくださっていたからですね。

私に対してだけではなく、信者さん達皆様それぞれにお祈りされているのはわかりましたし、私に

この人は、どうかね?

と、聞いてこられたり、大変な修行をされた方なのに、なかなか出来ることではないと思います。
ただ、信者さんに良くなって欲しいという利他の心の方なのでしょう。

節分から息子さんの英勝さんに宮司さんの仕事を継承したので、旅行にも行きたいとお話しされていました。

ご祈祷もしていただき、まーさんが清水清元さんの足の痛いところの治療をしていました。

まーさんは、治療師さんでもあるのです。
空のゴミ箱を持って、痛い場所の何かを取ってそれを捨てるという作業をするのですが、ゴミ箱の中に痛い素みたいなのが貯まるので、それを外に捨てに行くのですね。

まーさんがその治療をすると、清水清元さんはスッと立って歩けると言って喜んでいました。

まーさんは、やっぱり素直な方だから、パワーが入り安いのだろうと言っていましたが、私も手当てをしていると感じることですね。

素直な方は、多分細胞も素直なので、入り安いのだと思います。

私が手を当てると、大体は温かくなると言われますが、私の手にもその熱さが感じられたりします。

細胞が動いている感じもするので、不思議だといつも思うのですね。

ミクネの神(天之常立之神)は、私はただの道具で、宇宙からのパワーだと言います。
沢山の人にやって差し上げることで、私の通りも良くなるみたいですよ。
だから、そのパワーは使った方がいいみたいです。


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荒熊神社に行きました

2024-04-27 07:30:00 | 日記
まーさんの旅の計画を聞いたのは、今年の1月のことでした。

どうしても行ってみたいK会長のお店「そわ迦」と、荒熊神社にも行きたいとのことを聞いて、私はなんだか、渡りに船な話だと思ったのです。
なぜなら、1月2日に話してきた荒熊の神が、


清水(宮司)に会いに行ってやってくれよ。


と、言っていたからです。


多分、今年の節分で宮司さんは、息子さんの英勝さんにバトンタッチをするということがわかっていたからだと思います。

そして、3月1日が誕生日でなんと脅威の99歳(白寿)になられたのですね。


そして、「荒熊神社公式ライン」では宮司さんになられた英勝さんからお知らせが来ました。


明日(2月8日)発売の月刊誌「ムー」に神社の事が掲載されました。お知らせします。



私は「月刊ムー」は知っていましたが、今まで読んだことはなく、初めてアマゾンで頼みました。


と、いう訳で、まーさんの旅の計画は山梨県から愛知県知多半島に行くということになりました。

福岡のSご夫妻は荒熊神社に寄って山梨県に行こうとしていたらしかったのですが、みんなで行ってそのまま帰るとのことに変更してくださり、朝から向かうことになったのですが、前日からの雪はかなり積もっていて、まーさん達は早朝から車の雪かきをしてくれていました。



走り出せば、道路は積もっていなくて、南下して行くに連れて雪は無くなっていったので、良かったです。

Sご夫妻も、チェーンを使わずに済んだようですよ。

今回の旅の計画が始まった時に、なかなか会うことの出来ない名古屋在住のみーららさんにも声掛けをしていました。

待ち合わせは、その少し前にセッションでいらした方がおっしゃっていた玉鉾神社という神社にしました。

場所的には、知多半島の根元近くの神社だったからですが、ご祭神は明治天皇のお父様の孝明天皇で、珍しい神社のようでした。





神社の中は、いろいろな神様が祀られていて、マーケット状態でした。

孝明天皇は、一度も京都から出ることはなかったようですが、幕末の江戸時代の最後の天皇で大変な時代だったのだろうと、想像は出来ますね。


🌟初代宮司正八位旭形亀太郎は江戸時代に力士として大阪相撲、京都相撲で活躍していましたが、幕末動乱期に入ると力士隊を結成し、その隊長として宮中警護につきました。
元治元年(1864)の蛤御門の変では、孝明天皇を戦火から見事お護りし、大任を果たしました。
この至誠を帝はお喜びになられ守護符、御製を贈り、深い信頼を表しました。
後に旭形亀太郎は孝明天皇より勅願を賜り、日本国の守護のための神社を創建しました。


そういう人がいたのかと、私も勉強になりました。

ここの御朱印は人気のようですよ。

この神社でみーららさんとも合流出来て、荒熊神社に向いました。


続きます。


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