カメラを片手に

東大寺東塔復元案は68mに

どんよりとした空模様でゴールデンウィークに入るも、いつも通りの一日。
最低気温は16.2℃、時折雨粒がおち最高気温も10時半頃の20.6℃と上がらず。
      11時、20.2℃、65%

東の春日奥山を眺めれば、若草山の芝の緑が深くなってきており、二重目と
一重目の境に人が・・・、足元は大丈夫なのでしょうね。


この24日に奈良文化財研究所(奈文研)は、東大寺東塔の高さを約68mの
七重塔の復元案を作成し発表されましたね。

奈良時代に創建時の東大寺、大仏殿の南に東塔・西塔の2基の七重塔を有し、
東塔は天平宝字8年(764年)に相輪が上げられた(『東大寺要録』巻7雑事章)。
南都焼討1180年で焼失したのち、鎌倉時代1223年に再建されたが、室町時代
1362年の雷火で再び焼失した。 それ以降、再建に着手されるも未完成に。

西塔は奈良時代の建立後、平安時代934年の雷火で焼失し、それ以降、再建に
着手されたものの完成をみなかった。

なお両塔跡は、近代まで礎石を残すも失われ、基壇の高まりだけが残された。
なお大仏殿の近く手向山八幡宮参道沿いに、復元された相輪が置かれている。
      

2015年から始まった発掘調査にて奈良時代の基壇の詳細が判明し、
初重方5間(一辺約15m)と推定されている。
      

これを踏まえて、東塔院跡地区では建物基壇の復元整備を行なわれており、
令和7年度(2025年度)の完成予定とのこと。
是非東塔を再建してほしいものですが・・・巨費がネックですね。

今回発掘調査並びに文献的調査を経て、初重方5間(一辺約15m)、七重塔、
本瓦葺で、相輪を含む高さが230.8尺(約68m)となる復元案を導かれた。

特に創建時の東塔の高さは、写本によって「23丈」や「33丈」とする史料が
あり、明治時代から見解が分かれていた。

奈文研は33丈説の根拠とされた文献「朝野群載」の写本を調べ、江戸時代後期
の国学者伴信友が23丈と記されていた箇所を33丈に書き直していたことなどを
突き止めている。

このことから奈文研は、約1世紀を超える論争に「決着を見た」として、奈良
時代の木造塔としては、現存する奈良・薬師寺東塔(約34m)を大きく上回
り、「創建当時は国内で一番高かっただろう」としている。

さて我家の擁壁の縁で、「タツナミソウ」の変種「コバノタツナミソウ・
小葉の立浪草 」が早くも数日前から咲きだした。
シソ科の多年草で本州・四国・九州と東アジアに分布し、野草としての花色は
紫が基本ですが、藤色、赤紫、濃淡がある桃色や白もあり、花色が異なるもの
を混ぜて植えれば、自然に交配してで異なった色合いの花が出てくるかも。       

タツナミソウの和名の由来は、真っすぐに立つ茎の先端に長さ約3cmで独特の
形の花穂が連なることから、波頭に見立て名付けられている。

特徴として茎の表面から直角に立つ毛(開出毛)が生え「ビロードタツナミ」
とも呼ばれている。

花の形は唇型で、かぶと状の上唇と前方に突き出る下唇で形成され、花の中に
は雄蕊が4つで、そのうち2つが長く、雌蕊は1つ。
  

なお花には普通に開く花と、小さな蕾の形のままの閉鎖花の2つのタイプが
あり、5月ごろの開花期以降は閉鎖花をつけるという。

花言葉は「私の命を捧げます」、1つの茎に咲くすべての花の向きが同じこと
からとされている。

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