小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

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出逢いと別れの島の春2024

2024年04月12日 | 母島 日常 日記
■「いってらっしゃい!高校生活楽しんでね!」
つい数日前、父島の小笠原高校に進学する母島の生徒を見送りました。

3月から続いた卒業、離島、入学がようやくひと段落しました。
そう、春は出逢いと別れの季節です。
船というたった一つの交通手段しかない島だからこそ、
人の出入りがハッキリと分かるし、
その見送りと出迎えは盛大に行われるのです。

恒例のサッカー部の胴上げを見ると、
母島の卒業を感じます。

今年の母島を巣立つ卒業の生徒は3人です。
2人は内地の高校へ、1人は父島の小笠原高校へ。
小さなころから知っている島の子供達。
これまでにその兄弟も見送って来ました。

兄弟と共に島を離れる家族、
これまでお世話になった先生たちとその家族、
他地域に赴任していくみんな。

島でその顔が見れないのは寂しいですが、
新天地で精一杯楽しんで頑張って欲しいと思うのです(#^.^#)


■島を離れていくははじま丸。
それを見送る島のみんな。
毎年、切なくなるこの季節。

島を離れるみんなの首や頭には、
みんなが想いを込めて作ったレイがあります。

船が島を離れる時に海に向かって投げて、
そのレイが島に辿り着くと、
またその島に戻って来れるという言い伝えがあります。
ははじま丸が離岸して、大きな汽笛が鳴ると、
みんなが一斉にレイを投げていきます。

みんな大声で
「いってらっしゃい!!元気でね!ありがとう!」
と叫んで走って追いかけます。

見送られる人、見送る人の中には
大粒の涙が溢れる光景も目にします。

僕が高校を卒業して、小笠原に初めて行こうとするとき、
高校の恩師が
「その土地を離れる時、自然と涙が溢れるような、そんな出会いをして来いよ!」
と言ってくれて、実際に僕自身2002年に母島を離れる時に、
ずっと泣いていたのを思い出しました。

それから翌年には小笠原に移住しているのですから、
人生は何があるか分かったもんじゃありませんね(#^.^#)

海面を漂うレイを眺めていると、
色んなドラマを思い出して、キュンとなってしまいます。

楽しいだけでなく、色んな感情があると思いますが、
その人の人生において、この島で暮らしたという時間が、
かけがえのないものになるといいな、そう願っています。

その後、父島では何隻ものの見送り船が伴走する、
盛大な見送りが繰り広げられますが、
母島の見送る人と見送られる人の距離の近い、
素朴な別れも僕は大好きです♡


■この春はコロナ禍が明けて、
数年ぶりに盛大な見送り式、出迎え式が執り行われています。
この3年間ほど実施できなかった期間が、
このセレモニーの大切さを再確認させてくれました。

見送る人にとっても、
見送られる人にとっても、
大事な節目になっている気がするのです。
学校での卒業式。
母島小中学校では小学生2名、中学生3名の卒業でした。

高校のない母島にとって、
中学卒業はそのまま島を巣立つことを意味します。

沢山の方の準備と応援、関わりのお陰で実施できるセレモニー。
色んな想いが交錯します。
本当にありがとうございます!

島を巣立つ子供達、ひとりひとりによる精一杯のスピーチは胸を打つものがあります。
5年前、長女が卒業式でスピーチして、
その後カナダに飛んで行ったのがついこの間の様な気がするのですが、
今度は来年、次女が卒業を迎えます。

子供の小さい頃は、慣れない子育てに翻弄されていっぱいいっぱいでしたが、
子供が親とあまり一緒に過ごさない年齢になってからは、
あっという間に成長し、巣立って行ってしまう気がします。

人生において、子供と一緒に過ごせるというのは、
すごく限られた時間ですので、
大事にしていきたいと思います(#^.^#)


■そんなお別れを過ぎると、
今度は入学式に新しい赴任する先生や職員、家族が島にやってきます。

本土から1000㎞以上も離れ、
コンビニもバスも映画館もない島に来るって、
想像できない心境だと思うのですが、
その緊張感もどんどん和らいでいくのを見るとホッとします♪

今年の入学生は
小学校が4名。
中学生が2名。

母島は小中学校で、同時に入学式も卒業式も行います。
入学式では新中学1年生が、新小学1年生と手を繋ぎ入学します。

長女が中1の時、次女が小1のダブル入学だったのが、
もう8年も前のことだとは!



■長女は現在カナダから帰国して、
母島で住み込みで働いています。
もう少しは島にいるようですが、
せっかくの英語が喋れる20歳なので、
どんどん色んな世界を楽しんでいってほしいと思います☆

次女にとっては今年は受験生。
果たしてどんな進路を選んでいくのか?
親としては楽しみです♪

28年前、当時仙台の中学3年生だった僕は
仕事しながら学校に通っていましたが、
将来の事なんて、のほほんと捉えていました。

その後、昼間はサラリーマンをしながら、
夜は工業高校に通い、
さらにはその後に遊ぶという高校生活を送り、
そこのご縁で小笠原に来るなんて、
夢にも思いませんでした(#^.^#)

そもそも、中学生の時に硫黄島は知ってても、
小笠原はあまり知らなかった気がします(ゴジラで知ってる程度)。

島の子供達も、
自分の娘達も、
自分や妻のこの先も、
どうなるか分かりませんが、楽しみな春のひと時です♪




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