太上は下これあるを知るのみ
メンバーが主体的に動く
私の人生哲学の原点である老子には、以下の一章がある。
老子十七章
「太上は下これあるを知るのみ。その次は親しみてこれを誉ほむ。その次はこれを畏おそる。その下はこれを侮あなどる・・(続く)」
(現代語訳)
理想的な君主は、民衆がただその存在を知るだけで何をしているのか解らないくらいで良い。次に良い君主は民衆が讃える君主で、その次は民衆が恐れる君主、その次は民衆から侮られる君主である。
無為自然の老子哲学を為政者に向けた有名な句。為政者、リーダーの立場で読めばなかなか味わい深くないでしょうか。
これをビジネス・組織論にあてはめた場合、リーダーは指示したりチームを引っ張るのではなく、ただ存在する、程度に部下から認識されるという事になります。
一見無責任な話に聞こえますが、そもそもこれが成り立つには組織としての高い完成度が前提となります。つまりトップが口を挟まずとも動いていける自立的な組織、メンバーが主体的に動き、リーダーが介入せず意思決定・判断が行われる組織、という事になります。
リーダーが何もしないという意味ではなく、作為を行わないという事である。自分の希望する方向へ圧力を加えない、マイクロマネージメントをしない。ティール組織のように上下関係ではなく個々が横の関係でダイナミックに意思決定・判断が行われ、組織自体も動的に進化していけるものが理想だろう。これにはスキームだけでなく、個々がそのように動けるメンタリティに至る、つまり心理的安全性、および精神的な文化の醸成・構築が必要となる。
このような組織では、社員は上司に判断・許可を問いかける必要がない。この状態ならリーダーは社内のガバナンスへ割く時間が最小限となり、経営そのものに集中することが出来る。
これを実現するには、社内の秩序が完成しており、業務フローも迷いが無く明確、つまり誰がやっても同じように業務が流れるようにしなくてはならない。
業務フローについて
誰がやっても同じように業務がフローする・・言葉では簡単に言えるが、そのようなスキームの構築は簡単ではない。局所的には実現出来るが、仕事全体ではどうしても個人の判断や手作業に委ねられる部分を排除出来ないからだ。例えば大企業ですら個人の作業ミスによる大障害が定期的なニュースの見出しと化している。小規模な会社ではもっと個人の能力・判断に業務がゆだねられており、なおさらだ。
いずれにせよこれが実現、または合理化が進めば、業務フローそのものに関する疑問・相談・判断が減り、管理オーバーヘッドが減る。ティール組織または「太上は下これあるを知るのみ」に一歩近づく。
ただ網羅的に細かいルールを用意するのではなく、出来るだけシンプルで弾みのある柔軟なポリシーとすべきである。そうしないと進化・改善の余地がなくなる。そもそも細かすぎるルールは作為に近いものがあり、弊害が増える。
弊社のような小さい会社では、経営者やリーダーは、コマンダーでありながらプレイヤーも兼ね、大企業でいえば多くのタスクを一人でこなす状態にあり、足かせにもなっている。私が常に直面している大きな課題だ。
今は主に以下のような事に取り組んでいます。
・迷いのない業務フローや規定の構築
⇒実施済みのつもりだが、完成度は道半ば。常に改善中。
・権限の多くをスタッフレベルに落とす
⇒実施済みだが浸透にはさらなる努力と時間を要する?
・小規模組織を維持する
⇒現状維持