>私が口を酸っぱくして繰り返し言うのは、今までどれだけの人に指摘されようとも、あなたは全く自分の過ちを認めてない事なんですよ。それでいて相も変わらず「間違いがあれば指摘してください」と繰り返すのです・・・・過去に散々言われてきた事を改めて書くと、ただ当たり前の事をあなたは書いてるに過ぎない。「まあそれは妥当だね」という事をわざわざ「私が発見した」とか書いてるから笑止なワケです。要するに幼稚なワケです。「遅ればせながら私も気付いた」と言うならば話は分かるのですが。<(EMCUさんのコメント)

 

 

EMCUさんはたまに私のコメント欄に書き込んでくれるのですが上記のようなことばかり繰り返して書かれるだけで私のどこに矛盾があるのかを指摘してくれないのでまともに返事のしようがないのです。私の書いたことに間違いがあるならばそこのところを指摘してくれれば返事もできますからどこに矛盾があるのかを指摘してください。そして何故、あなたは私の矛盾を指摘できないのでしょうか。

またEMCUさんは「あなたの言っていることは当たり前な事であり、自分が発見したなどと偉そうに言うな」と言われますが、私は今まで言われていないこと、すこし常識から離れていることを言っているから反論も多く世間ではなかなか絶対善を受け入れてはもらえないのです。

 

 

まず「絶対善はある」と言う事自体、皆さんなかなか認めてもらえず「絶対善など絶対ない」と反論をされてしまうのです。ネットなどを見ても「絶対善」を主張している人は殆どいません。しかし私は絶対善、つまり善のイデアがまず先にあり、そのイデアに名前を付けて善と言う言葉が出来るのだと主張しています。その言葉があるならば必ずそのイデアが先にあるのだと言っているわけです。ですから「絶対善など絶対ない」と言うのは間違いなのだと主張しています。善と言う言葉があれば必ず先に善のイデア、つまり絶対善はあるのです。これが真実なのです。

 

そしてまた私は「善とは本能的なものである」と主張しています。しかし哲学をやっている人たちは理性こそが人間的で素晴らしいものだと言う理性至上主義な人たちですから善は理性で作り上げるものだ、本能など関係ないと考えていますから私の主張は理解されないのです。確かに善のイデアは人間の理性で発見するものですが善とは本来、動物たちでも分かっているものなのです。本来、種族保存に合致するものを善と言うのです。ですから善とは本来、本能的なものなのです。

 

また絶対の意味は一般的に「あらゆる場合であっても変化しないもの」と言われていますが、私はあらゆる場合には絶対はない、絶対があるのは「ある場合の、そのあらゆる場合においてならば絶対はある」と世間の認識とは少し違ったことを主張しているのです。これもまたなかなか受け入れられないのです。

 

また世間では「絶対善と言うならば全世界に通用するものでなければならない」と考える人も多いのですが私は絶対善は「みんなの為」であり、その「みんな」とはその問題に関係している仲間の事であると言っています。絶対善はその群れ仲間でしか機能しないのです。そしてその仲間の最大は軍隊で守られている国民までであると言っています。勿論、他国も各々絶対善を用いて自国の国民を幸せにできるのですから絶対善は普遍性があるのです。

 

また世間ではプラトン達の言うイデア論が主流ですが、私はプラトン達は本当のイデアは分かっていないと主張しています。私は本当のイデアが分かりましたからデカルトの「我思うゆえに我在り」は「人間のイデア」を示しているのだと分かりました。また三角形のイデアは「内角の和が180度」なのだと分かったのです。現在においても本当のイデアの意味を分かっている人は殆どいないのです。

 

確かに私は「みんなの為になることは正しいのだ」とあまりにもありふれたことを繰り返して言っていますが、その「みんなの為」が絶対善であり、それに適うことはすべて正しいことなのだ、と言う事を本当に理解している人は誰もいないのです。

 

私の主張は当たり前な事ではなく世間とはすこし違うことを主張しているからこそ私の言うところの「絶対善」はなかなか世間には広がっていかないのです。EMCUさんも「お前は幼稚だ」と非難するだけではなく私の投稿に矛盾があると言うならばその矛盾点を指摘してください。

最近、私も投稿のネタがなかなか見つかりませんので皆さんできれば絶対善について分からない所、疑問点があればコメントをくださると助かります。誹謗中傷でないならば必ず真摯に返信いたします。