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かくも怪しきロシアン・サウナ 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(51)

2024-04-27 05:35:42 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(51)

かくも怪しきロシアン・サウナ

 

ヘルシンキ(フィンランド)、モスクワ(ロシア)

 

 

 1973年、まだ春浅いヘルシンキ。古惚けた建物の半地下にあるヘルシンキ最古の公衆サウナ「コティハルユサウナ」に行ったのだが、残念ながら内部の情景など鮮明は覚えていない。
 おぼろげな記憶を辿ると――
 湯気の充満した洗い場に太陽光線がきれいな放射線を描いていた。石造りのひな壇が5段ほど設えられた、ほの明るいサウナ。その中では、常連客とおぼしき地元の人たちが、穏やかな様子で、白樺の枝葉を束ねた作ったヴィヒタ(英語ではウィスク)でお互いの身体をさすったり、叩いたりする音がリズミカルに響いていた情景が浮かぶ。
 他に覚えていることといったら、洗い場の石の床がヌルヌルしていて、部屋の隅っこにはコケが生えていたことくらいだ。

▲コティハルユサウナ(プロフットボーラー田中亜土夢氏のウエブメディア「MOI SAUNA」より)

▲サウナの洗い場(「MOI SAUNA」より)

▲サウナの内部(「MOI SAUNA」より)

 

 美しい湖畔の丸太作りのサウナで汗を流し、ほてった身体で冷たい湖水に飛び込む。そして、仰向けに浮かびながら、青い空を仰いで、「ああ、シアワセ」と呟く。フィンランドのサウナには、漠然とそんなイメージを抱いていた。ところが、公衆サウナは、なんともショボイもので、日本の古い銭湯に近い感じだった。

 勿論、美しい湖畔のサウナは沢山あるのだろうが、シベリア鉄道でヘルシンキに辿りついたばかりの貧乏留学生には無縁の場所だったのだ。ヘルシンキでは、京都で知り合ったリタ・ルッカリネンという女子大生のアパートに転がり込んで1週間ほどお世話になったのだが、サウナにはコティハルユに1回行っただけだった。

 2007年初冬のモスクワ。シールドマシン・ビジネスのパートナーが100年以上の歴史を持つ「バーニャ」に招待してくれた。ロシア語のバーニャには、蒸し風呂、浴場、入浴することなど複数の意味がある。
 ラテン語の「水に浸かる場所」が語源だという。スペイン語のバーニョ(baño =風呂、トイレ)と親戚筋の言葉らしい。

 日本では、「トトノウ」ために、まるで修行でもするように一人でサウナに入ることが多い。友人達と出かけてもやはりあまり話しなどせずに、黙って深刻な顔で熱さに耐えていように見える。しかし、ロシアにおけるバーニャは、温度環境も、楽しみ方も全く違う。フィンランドや日本で主流の高温(90~100℃)のドライサウナに対し、バーニャの温度は40~80℃くらい。湿度も高いため、比較的長く滞在することができる。

 バーニャは、友人達との社交、商談、そして特筆すべきは、政治の駆け引きの場でもあることだ。数人から10数人で利用できるプライベートな空間には、ロッカールーム、サウナ、大きくて深い水風呂、シャワー設備、そしてサウナに入った後にくつろぐためのリラクゼーションラウンジがある。

 座り心地の良いソファーが並んだ部屋のテーブルには、ウオッカにビール、イクラやスモークサーモン、茹でた蝦、ピンク色も鮮やかなビーツ入りのロシア風ポテトサラダなどのザクースカ(前菜)がずらりと並ぶ。
 大きなサモワール(お茶を淹れるための湯若挽き)には、湯がたぎっている。バーニャで血流が良くなって、上気した顔には自然に笑みが浮かぶ。皆、上機嫌になる。

▲赤の広場に立つ筆者(モスクワ)

▲バーニャでくつろぐ筆者

 

 そんなバーニャがロシアの政治に於いて、如何に大きな意味を持っていたのか。それを知ったのは、随分後になってから「外務省のラスプーチン」と呼ばれた佐藤優氏の一連の著書を読んでからだ。

 佐藤氏によると、ロシアの政治家にはバーニャ好きが多いという。その筆頭は、ソ連邦崩壊後、最初のロシア大統領になったボリス・エリツィンだった。人情に厚く、飲んだくれで、直情型のエリツィンは、バーニャで重要な政治的決断を行うことが多かった。
 
 1997年11月、シベリア中部の都市、クラスノヤルスクで当時の橋本龍太郎首相とエリツィン大統領との会談が行われた。この会談に先立ち、ロシアと関係の深い鈴木宗男氏と佐藤優氏が橋本総理にエリツィンとの付き合い方をレクチャーしている。

 両氏は特にロシア風サウナの作法を懇切丁寧に教えたという。クラスノヤルスクで急遽、パーティー用にサウナが増設されることになったとの情報が入ってきたからだ。佐藤氏の著書『インテリジェンス人間論』には、その時の様子が次のように描写されている。

 

佐藤 サウナでは白樺の枝で背中を叩きます。酔いが回るとエリツィンは変なところを突っついてくるかもしれません。それから、ロシア人は男同士でキスをします。キスは3回します。右頬、左頬、最後は唇です。
橋本 男同士でキスをするのは気持ち悪いな。
鈴木 総理、ここは国益です。それにロシア人は、本当の同士だということになるとアソコを握ってきます。これも「ああ気持ちがいい」といって是非うけてください。
 橋本氏は嫌な顔をして聞いている。鈴木氏の説明に誇張はない。私もロシアの政治家とサウナに入り、イチモツを握り合って約束をしたことが何回かある。旧約聖書にも「手を私の腿の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい」(「創世記代24章2-3節」)と書いてあるので、古式の誓いの伝統がロシアには残っているのだろう。
佐藤 プールはかなり冷たいです。
鈴木 エリツィンが総理のポマード頭をつかんで、水に沈めるかもしれません。これも親愛の情を示しているわけですから、よろこんで受けてください。

 で、続きが面白い。

橋本 宗ちゃん。ポマードじゃなくムースだ。 

 

 いやいや、面白い。橋本首相も冗談が通じるので、笑ってしまう。そんなことをロシア通の二人から言われて、橋本首相もさぞや驚いたに違いない。幸か不幸か、橋本首相とエリツィンが一緒にサウナに入ることはなかった。もし、両首脳がお互いのイチモツを握り合っていたなら、北方領土交渉はもう少し進展していたのでは、と妄想してしまう。

 佐藤氏によると、当時のロシアでは、エリツィンの寵愛を得るために夜な夜なサウナで激しいキスとイチモツの握り会いが繰り広げられていたらしい。おぞましいの一言では片付けることができない、鬼気迫る情景である。

 以下に、有名な「キス写真」を載せよう。これらの写真を予備知識なしにゲイの所業と見てしまうか、上述した文化的背景を理解した上で深読みするかはあなた次第だ。ま、いずれにせよ、私は見るに耐えないが…。

 

▲ベルリンの壁でキスするソ連のブレジネフ書記長と東ドイツの指導者ホーネッカー

▲キスするプーチンとトランプ大統領(当時)

                  

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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