お気楽忍者のブログ 弐の巻

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安土城址 摠見寺へ持ち去られた文化財

2024年05月07日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記6

滋賀県安土町(現 近江八幡市)、標高190mの安土山は16世紀に織田信長がその居城である安土城を築いた場所。

天正10年(1852年)、本能寺の変の後に焼失してしまった安土城ですが、それ以降もしばらく織田家の居城として、信長の嫡孫秀信(三法師)が清州会議の後に入城し、二の丸を中心に機能していたようです。その後、秀吉の養子の豊臣秀次が近くに八幡山城を築き、天正13年(1585年)に安土城は廃城となりました。

過去記事<八幡山と日牟禮八幡宮(2013年)

摠見寺 本堂跡

安土城築城とともに郭内に建立された摠見寺は、安土城炎上の際に類焼を免れ、安土城廃城後も江戸期を通じて存在していました。歴代の住職は織田家の一族から選ばれることになっていたようです。しかし、本堂は嘉永7年(1854年)に火災で焼失してしまいました。

国の重要文化財の三重塔

享徳3年(1454年)に建立された三重塔はもともと近江国甲賀郡(現 湖南市)の長寿寺にあったものを、摠見寺建設の際に信長がここに移築したものでした。

過去記事<湖南三山 長寿寺(2019年)

摠見寺跡から、琵琶湖の内湖である西の湖が見えました。

元々、この辺りには長野の諏訪湖より少し大きい大中湖(だいなかこ)という内湖があり、それが安土山の際まであったそうですが、戦後の干拓事業で埋め立てられ、今はありません。西の湖は大中湖に隣接したていた内湖でした。

こちらも国の重要文化財の仁王門

元亀2年(1571年)に信長が甲賀に攻め込んだ際、柏木神社(現 甲賀市)から持ち去り、摠見寺に移築しました。

過去記事<柏木神社 お稲荷様の御使い

仁王門の金剛力士像も国の重要文化財。その頭部内側に応仁元年(1467年)因幡院朝作の造像銘が残っており、室町時代の作と云われます。

あまり筋骨隆々ではない仁王様は室町期の特徴を残してますね。

地元の長寿寺や柏木神社は訪れたことがあり、そこから信長によって摠見寺に持ち去られた三重塔や仁王門はぜひ見てみたいと思っていました。今回その願いが叶い、満足しながら安土山を下りました。

おしまい

過去記事<安土城址  天主閣址に立つ!

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