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ブロッホの書斎。 エルンスト・ブロッホ・センター,ルドヴィヒスハーフェン。

 

 

 

 

 

 

【9】 エルンスト・ブロッホ――

「未成のもの」の「メールヒェン」

 


『第1次大戦後のドイツには、カウツキーの仕事を通して、エンゲルスが『ドイツ農民戦争』以来抱いていた関心を受け継ごうとした者たちがいた。その一人がエルンスト・ブロッホ(1885-1977)である。彼は、〔…〕処女作『ユートピアの精神』〔1918年〕を刊行し、つぎに『革命の神学者トマス・ミュンツァー』〔1921年〕を刊行した。』

柄谷行人『力と交換様式』,2022,岩波書店,p.377.

 註※「ブロッホ Ernst Simon Bloch」: オーストリアの作家ヘルマン・ブロッホ (Hermann Broch 1886-1951) とは別人。


 

 ブロッホの大学時代からの友人に、哲学者ゲオルク・ルカーチ(ルカーチ・ジェルジュ)がおり、彼らはハイデルベルクで社会学の巨匠マックス・ウェーバーと知り合って影響を受けています。ブロッホの処女作出版は、テオドーア・アドルノ,ワルター・ベンヤミンらとの交友をもたらしました。

 

 戦後ハンガリーで政治家・閣僚となるマルクス主義者ルカーチとは立場が懸け離れていると思うかもしれませんが、ルカーチブロッホは終生の親友であり、互いに著書の中では批判し合いながら交友を続けたのです。若いルカーチブロッホベンヤミンは、「“革命的メシアニズム”(メシアの再来を待ち望む終末論)に惹かれ」る同好仲間でした。「ルカーチは 1918年以後、ロシア革命の影響を受けてマルクス=レーニン主義に転じた」のです。

 


『一方、ブロッホは “革命的メシアニズム” への関心を維持し〔…〕た。にもかかわらず、神学に向かうこともなかった。彼が初期の仕事で行なったのは、〔…〕エンゲルスが 1850年以来考えた諸問題、また、それを受け継いだカウツキーの仕事に基づくものであった。ただ、ブロッホが彼らと異なるのは、〔…〕「経済的下部構造」(生産力と生産関係)に関してほとんど言及しなかったことである。

 

 ブロッホが一貫して追究したのは、資本と国家を乗り越える “力” 〔…〕史的唯物論から〔…〕では説明できないような “力” を見出そうとしたのだ。

 

 彼はこのことを、宗教(神学)を手がかりにして考えたが、それに依拠することもなかった。そこから、彼独自の思想が生まれたのである。〔…〕

 

 彼は、資本主義と国家を乗り越えることを、神学的問題として語ることはしなかった。あくまで、現実に存在する国家と資本の下で、それらを揚棄する可能性を追求しようとしたのである。〔…〕そのとき、彼は人間の社会史に関して、史的唯物論にも神学にもないような観点を導入しようとした。それは、彼独自のレトリックによって示される。

 

 

 

グリム兄弟『子供および家庭メールヒェン』  

 

 

 たとえば、彼は、資本と国家を揚棄する可能性を「希望」と名づけた。この場合、希望は願望ではない。つまり、人の主観によって招来するものではない。「希望」とは、「中断された未成のもの」が、おのずから回帰することである。彼はそれを次のように説明している

 

 メールヒェンは、幸福を見出すために遙かな世界へ、叛逆的未知のもののなかへ、圧迫からの解放に向かって、旅していくのだ。〔…〕『痕跡』もまた、ほんの片手間のような素材に、ありとあらゆる小さな物語やメールヒェンや、池の不思議の明細に、どんな重要な意義があるかを教えた。〔…〕その陶酔のなかにある歳の市、幸福を描く通俗読物、「人生の初め」にむかっての歩み、いわんや宇宙神(パン)の森のざわめき、海のざわめき、これらは意図に反して、叛逆的なしるしをおびているのだ。

 

 メールヒェンは、自分がそこへ追放されている民族的説話から脱したがっており、最初の「始め」のユートピアは、たんなる「太古」の先史的なものから脱したがっている。この「太古」とは、救いがたく過ぎ去り失跡してしまっているものか、さもなければ中断させられた未成の内実を内包したものかの、どちらかである。

 

 そして、これらロマン主義的な名称〔「メールヒェン」「ユートピア」――ギトン註〕を付された内実の、依然として残されている意義は、みずからロマン主義的にではなく、未成のもの、まだ成っていないものの志向からのみ、要するに、とどめられている過去からではなく、おしとどめられている未来の道からこそ、明らかにされるのだ。〔エルンスト・ブロッホ,池田浩士・訳『この時代の遺産』[原著1935],水声社,2008,pp.176-177.〕

柄谷行人『力と交換様式』,pp.378-380.  

 註※『痕跡』: ブロッホの前著(1930年)。邦訳名『未知への痕跡』。

 

 

 ↑上で、柄谷氏がブロッホから引用しているのは、じつは2段落目の「最初の初めのユートピアは、」以下だけです。しかし、それでは文意が明らかにならないので、池田氏の訳書から補充しておきました。

 

 この 1935年の著作でブロッホは、「資本と国家を乗り越える “力”」の現れを探って、さまざまな通俗読物や少年文学、大衆文芸を渉猟しています。「ドイツ農民戦争」のような反乱が鎮圧され、近代の労働運動が初期の活力を失った後も、「資本と国家」に叛逆するような「力」がなお生き残っているとすれば、それは、大衆の感性のなかに息をひそめているにちがいないからです。ただ、そこで、ブロッホ自身が生きている 1935年の時代情況から、彼が鋭く読みとったのは、大衆が無意識に “呼吸” している・そうした「力」は、「資本と国家を乗り越える」方向にも、あるいはそれとは逆に、ナチズムに心酔して「資本と国家」の抑圧を被抑圧者自らが増長する方向へも向かいうる、ということでした。

 

 ブロッホは、「メールヒェン(Märchen)」と「説話(Sage)」という2つの言葉を区別して使っています。「メールヒェン」とは、「幸福を見出すために遙かな世界へ、叛逆的な未知のもののなかへ、圧迫からの解放に向かって、旅していく」――そういうものです。しかし、「メールヒェン」がむき出しの形で――おとなにも子どもにも――与えられることはめったにない。通常は、「神話」や「説話」の中に埋もれている。それでも、「幸福を見出」そうとする・「解放に向か」おうとする子どもの感性は、そこから「メールヒェン」を見出し、「メールヒェン」を生きるのです。

 

 「説話」とは、「変更不可能なもの」についての報告です。「ここでは、人間たちは自分の身に起こることを甘受し、服従する。」服従しない者は「罰」を受けて屈服し、模範的に服従する者も、それで「英雄」になれるわけではない。ささいな御褒美をもらって「報いられるのが関の山である。」「哀れな者たち」は、自らの策略なり合理的努力が成功して救われるようなことはなく、救われる場合は必ず「殿さま」や「主君」や「仙女」の力によるのです。

 

 たとえば、「口をきいてはならない」といった「戒め」を破った王子・王女たちは、岩や小川に姿を変えられてしまう。こびとたちを無料で向こう岸に渡した渡し守は、たんに「喜捨」を褒められるだけで、もし渡さなければ、病気になってしまう。(『この時代の遺産』,水声社,p.202.)

 

 

 

 

 しかし、「メールヒェン」を探し求める子どもの感性は、成長とともに育まれるのです。成長するにしたがって、子どもは「いま,ここ」から逃れようと、もがく。「いま、ここ」にいたのでは「選択の余地」がないように思えるからだ。子どもは、「夢にえがいた遠方に、選択を探し求める。」「ほとんどの子どもたちは、泣く時には、両親のせいで、自分がいる場所のせいで、泣くのである。この場所の近さは」自分の近さではない。だから、「美しい遙けさが」子どもたちを早くから誘うのです。

 

 「まったく家におさまっているように見える子供が、自分のまわりを見まわすやいなや、その子はすでに、どこか別のところにいる。」家の中の「板と板との継ぎ目、床 ゆか と壁のあいだの隙間は〔…〕どんな洞窟もなしえぬ多くを約束してくれる。」子どもの見るものすべてが、逃避口を提供している。「蒐集もまた、〔…〕逃避を支援するものなのだ。おはじきやビー玉や切手が連れて帰られるのも、」それらが常に「遠方」への、少なくともそれらを捕獲した場所への、逃避口となるからだ。

 

 「子供は、自分が目を閉じると、」もう自分は人から見えなくなると思いこんでいる。「この遠方は古いものであり、子供自身と同じく原始のなかにある」が、にもかかわらず子どもにとっては、いつでも行ける「遙けさ」のなかにある。「遊んでいる子供は、おとなにとってはとうの昔に過ぎ去った〔…〕世界で、走りまわっている」。この遠い世界の「恐怖と魔法は、〔…〕希望にみちている。」(pp.178-179.)

 

 

『子供が聞かされることは、その子自身の中で生きる。養分を吸うのも、それが本からとなると、〔…〕反抗心は自由になり、それを外にあらわす子供だけが気づかれ、あるいは愛される。反抗心が多彩に現れ出〔…〕るほど、ますます子供はすべてにたいしてイエスと言うようになる。〔…〕

 

 聞き手たちは、ともにさすらい、夢を見ながら自分のものを発見する。メールヒェンを読めば、彼ら自身と同じような小さな多彩な人間たちがいくらでもいる。』メールヒェンの異郷を、ヘンゼルとグレーテルは手に手を取ってさまようけれども、『新しい家を見つけると、そこには魔女が住んでいて、またもや閉じ込めて焼く。また別の魔女たちは、宿を求めてきた娘に、〔…〕何年かかっても始末しきれないほどの糸を一晩で紡ぐことを命令する。出口のない恐怖が、〔…〕メールヒェンとして開陳され、〔…〕異郷でもまた家は監獄として、いやそれどころか全貌をあらわした追放の暴力として、働くのだ。だが奇妙なことにまた、メールヒェンの中では、出口の力がふたたび頭角を現す。弱々しくそしてずるがしこく、策略によって強くなりながら。策略は、悪を瞞着するすべを知っており、またそうする権利を持っている。

 

 貧しい兵士は、悪魔が金貨を〔…〕入れる〔…〕長靴に穴をあけておき、それを地面』に掘った『穴の上に置く。だから、一番鶏が鳴くまで悪魔が金貨を入れ続けても、まだ長靴はいっぱいにならない。兵士はたんまり』金貨を手に入れ、『悪魔は兵士の魂を取れぬまま退散する。〔…〕これらのメールヒェンは、神話的な力に抗する・小さな人間の蜂起なのであり、巨人に抗する親指太郎の理性なのである。〔…〕運命のかわりにひとつの歴史 ものがたり が始まる。灰かぶり シンデレラ は王子の妃となり、勇敢なチビの仕立屋は王女を手に入れる。〔…〕

 

 

グリム兄弟『子供および家庭メールヒェン』 

 

 

 メールヒェンは、通俗読物の中へ照明を送りつつ叛乱を表わし、説話は、神話から発祥しつつ忍受された運命を表す。メールヒェンの中には、小さき者たちの謀叛があり、呪縛の解明〔…〕を念じているとすれば、説話は、変更不可能なものについて静かに報告するのだ。ここでは、人間たちは自分の身に起こることを甘受し、服従する。〔…〕

 

 メールヒェンとは、〔…〕神話的な諸力にたいする、〔…〕さらにはモラルの響きを与えられた諸力にたいする、ヘンゼルの策略であり、貧しい兵士の策略なのだが、これとは逆に、説話は、〔…〕縮小された神話を提示するのみで、それにたいする反対を提示することはない〔…〕メールヒェンは、〔…〕みずからの勝利がそこで生じたその時と同じように漂っている〔…〕これとは逆に、説話は、〔…〕定着してしまっており、抑圧と同じように道徳 モラル 的で、年代記と同じように定常的で、みずからの内容の儀式性とまったく同じように受動的である。メールヒェンにたいしては、警官たちでさえ人間としては力を持たない。〔…〕いっさいが許されている。これとは逆に、説話にとっては人間たちは、〔…〕何ひとつ許されていない客体なのだ。メールヒェンは〔…〕神話的な諸力にたいする策略と光明との・子供らしいの戦いの歴史 ものがたり であり、人間的な幸福のメールヒェンとして、鏡に映された存在および幸福として終る。これとは逆に、説話は、神話的な呪縛を物語り、それがもつ他律的な魅力を与える。より古い秩序の幽霊物語であ』る。『メールヒェンの世界は、子供たちと革命のアプリオリとのなかで生きている。〔…〕

 

 メールヒェンの真の民衆性は、こんにちなお子供たちのなかで花咲き、人間的な幸福のなかで花咲いているのである。〔…〕「民衆ロマン主義」のなかにあるのは、そもそもただ農民戦争だけであって、騎士の城などではなく、ただ逃れ去ったことを描くメールヒェンだけであって、迷信ではない。』

エルンスト・ブロッホ,池田浩士・訳『この時代の遺産』,水声社,pp.180-181,202,204-205.


 

 このように、「メールヒェン」とは、いつ・どこであったかも定かでない「太古」において・「未成」のまま中断されてしまった内実が、繰り返し人びとのもとに回帰する現れであって、それが「成る」ことを「おしとどめ」ている先史・から脱出し、神話と「説話」の呪縛から解き放たれることを志向しているのです。それは夢となって、子どもたちに多くの顔を――自分と同じ者たちや、善良で弱々しい者たち、悪意にみちた怖ろしい人さらいや、子供を焼いて食べる魔法使いの顔を――見せるのですが、そのなかに、慈愛の笑みを湛えて・未来に「成る」ことを「おしとどめ」ようとする・あの思いやりにみちた顔だけは無いのです。(p.179.)

 

 

 

 


 

【10】 ブロッホとキルケゴール

 


『しかし、このように、「中断され、おしとどめられている未成のもの」の回帰、あるいは反復という問題を考えたのは、ブロッホが最初ではない。たとえば、マルクスとエンゲルスが『ドイツ・イデオロギー』を書いていたのと同時期に、キルケゴールが「反復」を論じた。彼は言う。

 

かつてエレア学派が運動を否定したとき、反論者として歩みでたのは、〔…〕ディオゲネス〔犬儒学派,樽に住むディオゲネス――ギトン註〕であった。ディオゲネスは、文字通り歩みでたのである。彼は、〔…〕ただ 2,3度のっそりと歩き回っただけだった。〔…〕反駁はそれで充分なのであった。〔…〕

 

 反復は、ギリシャ人たちが「想起」と呼んだところのものにたいする決定的な表現〔…〕である。ギリシャ人たちが、あらゆる認識は想起である、と説いたのと同じように、近代哲学は、人生というものはすべて反復である、と説くであろう〔説いたのは、キルケゴールが初めて。――ギトン註〕。この点について、おぼろげながらも予感していた近代哲学者は、ライプニッツただひとりである〔キルケゴール独自のライプニッツ解釈。――ギトン註〕

 

 反復想起は、じつは同じ運動なのである。ただ、その方向が正反対であるにすぎぬ。というのは、想起されるものは、すでに過去にあったものであり、いわば後方に向かって反復される。これに反して、ほんとうの反復は、前方に向かって想起するのである。したがって、反復は、それが可能であるならば、人間を幸福にする。これにひきかえて、想起は、ひとを不幸にする。〔前田敬作・訳『反復』[原著1843], in:『キルケゴール著作集』第5巻,1995新装版,白水社,pp.205-206.〕


 「反復」とはそもそも、聖書に書かれた主題である〔聖書に「反復」ということばがあるわけではなく、柄谷氏の聖書解釈。――ギトン註〕〔…〕アダムとイヴは神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、楽園を追放された。が、元の楽園に戻ることはできない。楽園は前方に、すなわち「未来」に見いだされなければならない。そして、それがキルケゴールの言う「反復」なのだが〔これも柄谷氏の解釈。キルケゴールはアダムとイヴについては述べていない。――ギトン註〕ブロッホが言う「希望」も、それと同じである。〔…〕ブロッホは〔…〕それを社会主義に見出そうとしたのである。むろん、それは通常の社会主義ではない。』

柄谷行人『力と交換様式』,pp.380-381.  

 

 

 れいによって、『反復』からの引用↑は、前後を補充しました。

 

 キルケゴールの叙述そのものを、少し説明しておきますと、古代ギリシャでは、人生についても、自然界、神々のイデア界についても、「変化」ということをどう考えるかについて大論争がありました。おおざっぱに言って、東のほうの人は、「万物は流転する」、たえまなく変化すると考えました。イオニアのヘラクレイトスは、河の水というものは、つねに流れているので、一瞬も同じ水ではない、と言いました。仏教などの東洋思想に近い考え方です(鴨長明・参照)。

 

 対して、西のほう、イタリアの「エレア学派」は、変化は、見た目にそう見えるだけで、じつは何も変わっていない。世界は永久不変の「ひとつのもの」である、と説きました。エレア学派の言う「運動」とは、状態変化をふくむ概念です。エレアのゼノンは、「飛んでる矢は止まっている」「アキレスは亀に追いつかない」などの詭弁的な喩えを語って、変化も運動も存在しない、すべては人間の見間違えにすぎないと説いたのです。

 

 

 

 

 

 東西から正反対の遊説家がアテネにやってきてぶつかったのですが、アテネのプラトンらは、けっきょく両方の折衷を採ったと言えます。それが、「イデア説」であり「想起説」です。人間が、「真」「善」「美」といったものを認識できるのは、それらが眼に見える形で存在する「イデア界」・にいた時の記憶を思い出すからだ、と言うのです。つまり、真理というものは、すべてアプリオリに決まっているものであって、人間はそれを「イデアの記憶」ないし「理性」という形で創造神から与えられて保持している。人間は真理を「発見した」と思うかもしれないが、じつは、大脳の奥に組み込まれていた記憶を思い出したにすぎない。新たな真理などというものは存在しない。なぜなら神は全知だからだ。というわけです。デカルト,ライプニッツら、近代初期の哲学者も「想起説」をとっていました。

 

 これに対して、キルケゴールの言う「反復」とは、どういうことか? 「想起」したことを忠実に再現することが「反復」なのか?

 

 たとえば、卑近な例を持ち出しますと(キルケゴールのこの哲学小説じたいが、卑近な事件によって語っているのですが)、むかし別れた恋人とやり直すとか、美しい記憶が残っている恋愛を、相手を変えてもう一度やろうとする、といったことがあります。この場合、頭の中はひたすら過去を向いているので、別れていた間に自分や相手に生じた変化、あるいは新たな相手の個性には、眼が向きません。だからたいてい、うまくいきません。「株 くいぜ を守る」という東洋の喩え話のようになってしまいます。

 

 しかし、キルケゴールが、「反復〔…〕人間を幸福にする。これにひきかえて、想起はひとを不幸にする。」「想起されるものは、〔…〕いわば後方にむかって反復される。〔…〕ほんとうの反復は、前方にむかって想起するのである。」と言っているところを見ると、「ほんとうの反復」は、たんに想起した記憶にしたがって過去を再現する、というようなこととは違うのではないか? そこには、新たな挑戦と発見と開拓があるのではないか?

 

 「楽園は前方に、すなわち[未来]に見いだされなければならない」と柄谷氏が言っているのも、同じ意味と思われます。

 

 原始共産主義社会をそのまま再現しようとする人は、ヒッピーには居ても、社会主義者にはいないと思いますが、それでも、マルクス、エンゲルス、その後の「マルクス主義」者、といった人びとが描いた範型にとらわれがちです。しかし、ここで柄谷氏とブロッホは:――そうした範型にとらわれてはならない。「社会主義」とは、決してやむことのない・つねに新たな創造行為だということを、どんな時代にも意識する必要がある。――そう言いたいのではないでしょうか。

 

 ただ、↑いまここで出した「卑近な例」は、あまりに卑近過ぎて、キルケゴールの哲学的思惟を低俗に堕 おと しめているのではないかと恐れます。次節では、『反復』の叙述に沿って、もう少しきちんと述べておきたいと思います。

 

 

 

 

 

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