大阪府豊能郡能勢町山辺
摂津・山辺城(やまべじょう)別名 鷹爪城、小富士の城
山辺城は、建久二年(1191)能勢氏の祖 国基が当郡に来注以来、能勢氏の詰城であつた。戦乱期の天文年間(1532~55)能勢氏の一族である大町右衛門尉宗長が在城し、水原氏らと能勢西郷衆の雄として摂丹群雄の間に陣を張つたが、天正七年(1579)大町豊後守宗清・弥太郎宗治兄弟は織田信澄・塩川長満連合軍に、栗栖で戦い 敗死して落城した。
古来「能勢富士」といわれる城山は、標高428m、比高210mの険峻な円錐状の山でこの付近山城中では最北・最高位にあつて、北に高峰剣尾山を負い、南に山田・今酉・森上・栗栖・片山などの山城を望み、眼下に三田街道(東西)・丹州街道(南北)を見下す位置にあり、この地域では最高所にある最大規模の城である。
「能勢富士」といわれてる城山・・・地元でもあまり知られてないとか
城跡の西に通るR173から見る城山。特徴ある山容なので遠景写真を撮ろうと思っていたが、撮るのを忘れて、帰宅してからストリートビューで見てたら城跡ありますアピール説明板があった。今回城攻めの本陣を敷いたのは、あの山の右奥辺りで、こちら側に登城口はない。はずである。
そして、これまで能勢の山城を何度か攻めてまいりましたが、この城も能勢の得意技と言うても過言ではない、登城口不明、道なし、道案内なし、遺構表示なし、整備してない(?)、不親切極まりない城跡である。ただ、この城はこの場所に説明板はあるが、どうせなら城跡に立ててほしかった。そういうことで、これはストリートビューの画像です。
情報招集によると城山南東の激傾斜地に開発された住宅地をばんばん登ってくと廃給水施設があり、この辺りから登ると城跡までの比高が稼げ、最短距離で城域に突入できるという情報を入手。この廃給水施設の所が行き止りとなっておりまして、この辺りに本陣を構えて山辺城攻略作戦を開始します。
本陣までの史上最狂地獄坂を振り返る。ぐるじがっだ~
車やけど。
その廃給水施設の行き止りから城跡に取り付くのがこちら ここだけ地すべりしたかのようにハゲハゲになっておりまして(実際に数年前の大雨で地すべりしたとか)、このド斜面を直登することに。
ちょっと失敗した、横の林を通ったら木を掴みながらも登れたのに、ハゲ斜面を登るがために掴まる木がないのがツライ 直登すると斜径がキツく体がもたんので、ジグザグ侵攻作戦しましたわ。
ちょっとぐるじい~
途中で振り返る。
ハゲ地エリアを突破すると尾根まであと僅か。
見た目もっと掛かるか思うたけど、約10分で尾根に到達。
高橋成計氏作図縄張図を借用。
直登して辿り着いたのは、西にある主郭部と東にある東出丸(Ⅶ郭)を繋ぐ尾根部。まずここから東出丸(Ⅶ郭)攻略へ向かう。
すぐに虎口が見える。
Ⅶ郭(東出丸)虎口。
写すのをちょっと失敗して、虎口右の土塁を強調してしもた 何故かと言うと、あまりにも土塁の形状がカッコよかったので
Ⅶ郭内部。小規模ながらも重圧な土塁で囲まれている。
南面土塁。
北面土塁。
郭北東部に虎口。南斗!虎口から先に階段がこさえられてるんです。能勢の山城なのに珍しき城内に遊歩道がこさえられてる。登城道ないのに。
虎口から見る東面土塁。
虎口から見る北面土塁。
虎口から見る郭内部。
虎口を出て振り返っての虎口。虎口手前で1折れ付けられてる。
虎口を出てからの北東へ伸びる尾根。
虎口からの坂を下り、右を見るとⅦ郭を取り巻くが如く横堀と土塁。
横堀と土塁。
堀底を進んで振り返る。
もっと進んで振り返る。左がⅦ郭切岸。
もうちょっと進んで土塁に乗って振り返る。
横堀土塁の外側に小平段があり、その外側にも縄張図にも描かれてない横堀と土塁が。これは新発見か!と思い、ググってみると、これは切り通し道でどこからかの登城ルートではないか?という誰かの説。ここはわしの新発見説を推します。
横堀土塁は南東尾根となり落ちて行く。
Ⅶ郭から北へ向かってる土橋状な痩せ尾根へ戻って、もう少し北へ進軍してみる。
もう一つ土塁囲みの郭が。
土塁。
その先からの堀切。
堀切から東へ落ちる竪堀。
この様子では城山の北の方向からハイキングコースがありそうな感じなんですが、道は荒れぎみで人はあまり通った形跡ないんすけど。これ以上は城域でなさそうなのでここで引き返すが、この道がどこへ続いてるかは謎。
ちなみに 大手道は城域の南西方向からあると云われ、距離がある上に荒れすぎて通行困難とのこと。
登城地点の尾根へ戻り主郭部である西郭群へ進撃。
尾根から北斜面へ落ちる竪堀。
西郭群へ向かって縦走するが如く道は付けられておりまして、尾根から平段になる虎口を形成してそうな土塁に石が見えますやん。
積み石か自然石か? びみょー
虎口状な開口部。
郭状な平段。
平段の先に立ち塞がる城塁。
立ち塞がるから北斜面への竪堀。
立ち塞がるのでつづら折りで通路が設けられてる。
つづら折りからの削平度バッチ良好のⅥ郭 正面はⅣ郭切岸。
立木が伐採されある程度整備されてそうですやん。珍しい。ただ、しばらく手付かずという感じは否めない。
右を見れば上段への通路がある。
左を見れば何もない。
左の東斜面側に張り出し(横矢)状な出っ張りがあるが、斜面が自然崩壊した痕かも。
その東面切岸。
切岸の足元が気になったのでキケンを犯しながら少し下りると石積み!があった。そして電線らしきチューブもあった。電線はこの上に電波施設があり、そこまで通ってるものかと。
Ⅵ郭内には石がゴロゴロと散乱しとるんですね。経験上郭内に石がゴロゴロしてるということは上(切岸)から崩落してるわけで、こんなときは切岸を見上げてみましょう。
見っけ!
なかなかええではないか山辺城
Ⅵ郭から上段の主郭部へ。切岸に石積みの石たちがぁ! 堆積した落葉、枝、土を取っ払ってもっと石たちを露出させてあげようかと思ったが、手が汚れるのでやめた
階段の横は激谷。
階段を上がるとⅤ郭
右に見える北郭(階段が見えてるのがⅡ郭。その左後方にⅢ郭、Ⅰ郭がある)と、南郭(この画像左方向にあるⅣ郭)の間にあるキレイに削平された鞍部 である。
Ⅴ郭(鞍部)に突入し左(南)に見えるⅣ郭。
階段を上がった反対側(西)はごっつ谷。
まずは南に位置するⅥ郭攻略へ。
この城、切岸も郭の削平も丁寧に仕上げられてる印象でございます。表示板ないけどぜんぜん許してあげます
そういうことで(後編)へ続いてしまいます。
25/03/09