こちら前々から目論んでた城跡なんですが、一部立入が制限されてるとのことで、後回しにしてたんです。全面解除になった情報もないまま、辛抱たまらず椿尾上城を攻めた後に突撃してしまいました。
奈良県生駒郡平群町椿井
大和・椿井城(つばいじょう)別名:椿井山城
椿井城は、築城時期、城主に関する確実な史料が残っていないものの、当初は在地土豪の椿井氏が室町時代から戦国時代の間に居城として築いたとされる。
天正期には大和国で筒井氏と松永弾正さまの抗争が続いており、弾正さまは滅亡する天正5年10月まで椿井城をおさえていたとみられる。
最終的に筒井氏の持ち城となり、家臣の島左近が居城したとされるが、史料からは左近の居城であったという事実は確認されない。
登城口近隣に本陣を定める場がないので「道の駅 大和路へぐり くまがしステーション」に本陣を定める。これは道の駅から望む椿井城南主郭部。頂に幟が上がってる(この画ではちょっと見えにくい)ので下の国道からも城跡だと一目瞭然です。
出撃の前に道の駅でパンフ、御城印を入手することもお忘れなく。
道の駅から椿井集落を抜け登城口まで約1㎞ ジミに歩いて行きます。けっして路地から飛び出さないようにしましょう。
所々に道案内があります。
これは元祖 飛び出しぼうや「とび太くん」では? 奈良まで出張ですか
椿井村の西入口に祀られた線刻の笠石仏。自然石を頭上に乗せた笠石仏で、胸から下に切断の跡が見えます。その昔、牛馬をつないで引き倒されたようです。なんで引き倒したんや?
城攻めの前にジミに歩いてジミに疲れた
椿井城への登城口はこの椿井井戸が目印。
なになに?この井戸の水を飲んで士気が上がったとな。
飲む気にはなれなかった
椿井井戸のすぐ近くにある登城口。
出迎えてくれるのは平郡町のイメージキャラクター「左近くん」。言わずと知れた島清興(通称・島左近)がモデルである。島左近は筒井家の重臣であったが、筒井順慶の死後に筒井家を退去 → レオン氏郷 → 小一郎秀長 → 秀長の婿養子秀保 → 石田佐吉が高禄で召し抱えたのは周知の如く。関ケ原で…討ち死にしたのか、落ち伸びたのかは定かではない。というのも死骸が見つかってないため様々な説がある。その島左近は平郡出身だということで、現在はご当地キャラとして奮戦してるようである。
左近くんの横でちょっと疲れた簡単な地図。現在地から南郭群へ攻め入り、北郭群へ乱入するつもりなんですが・・・
ご案内に書かれているのは、H25年4月より当面、北郭群は見学を制限しますと。もうだいぶ当面してると思うが、まだ北郭群には乱入できそうにないっすね。
とりあえず南郭群目指して「かかれー!」← 関ケ原で鬼人となる左近風で。
たちまち古墳があった。中は狭くて暗かった。
歩き難いことないが、意外と急勾配でもう息が切れる
意外とキケンな道でキンチョーする
道の駅の事務所の人が城跡まで30分で往復できますよ~ と言うてた。はぁ片道30分とちゃう? と、聞き直したが、自信ありげに往復30分です 道の駅から見たあの高さで片道15分? 半信半疑で進撃しました。 ほんでここで約半分。すでに15分かかってるやんけ~ 謀られた~!
めっちゃ急勾配でぐるじぐなってきたところで、明るい兆しが。最後の難関か
鮮やかなV字が。
南尾根を遮断する堀切のようです。
堀切から右(南)を見れば、こんな状態。郭はなくて自然地形の尾根であるかと。
左(北)の南郭方面へ進撃。
間もなく現れる堀切に架かる土橋に人工芝が敷かれてる その先は南副郭虎口である。しかし土橋に人工芝は初めて見た。
人工芝土橋から見る堀切からの竪堀。
南副郭虎口の土塁。
虎口土塁に石 自然石か?
南副郭 ほれ見ぃ 登城口からここまで20分かかった。わしの足で30分で往復できるはずがありませんわ けど意外と早く着いた
標柱の上部の「丸に三つ柏」は島左近が用いた家紋とされてるが、左近が使用した家紋という確たる証拠はないのですよ。
南副郭を北から。
眺望。中央やや下のオレンジ色(薄オレンジ)屋根が本陣にした道の駅。
案内板。お読みください。松永弾正さまの勢力下で築かれたと書かれてる。もっと弾正さまを推すべきである。
縄張図を拡大。現在地は南副郭。北主郭の方が規模も大きく面白そうなんですが、侵攻できないので、中央の鞍部から春日神社方面へ下山しなあかんのです。
南副郭から南主郭へ進撃すると、郭間をぶっちょん切る堀切。激斜面なのでトラロープをしっかり持って下りましょう。
堀切。
堀切から落ちる竪堀。
堀切の岩肌に石っは自然石
堀切から南主郭へは恐怖のロープ道 距離は短いのでそうたいそうなもんでもない。
ロープ道の側面に石っ! 積まれてるような気もするが、写真を撮るのにロープから手を放すので、だいぶ注意しましょう。
南主郭虎口。
南主郭
南主郭を北から。土塁のとこが虎口。
その虎口の土塁。
土塁から見る南副郭。この真下が堀切である。
眺望を楽しみながらモグモグタイム
南主郭からの眺望。いちばん右が松永弾正さまがボンバーした信貴山である。ちなみに、平蜘蛛は信長の手に渡さんぞボンバーは、後世の創作である。ただ、この逸話がなかったら、松永弾正の名はこれほど世に知れ渡ってないであろう。
南主郭の東斜面に石垣跡の標柱が。
標柱があるというのに足場がなくてキケンでアブナイクマザサ地獄
石垣の石を補足
これ以上引いて撮ると斜面から落下してしまうという、恐ろしき場所
標示があるんやったらもっと見やすうしてくれ~
南主郭を北へ出た鞍部。この先に北郭があるが、御覧の如し。
整備され開放されたら再訪しよう。それまでおあずけである。
下山します。
スベリそうでヤバくて怖い下山道
登って来た椿井井戸道ルートよりこっちの方が急勾配で険しい。こっちから攻め登って来たら死ぬとこであった 死にはせんけど
崩落の恐怖もあった 看板多すぎと思う。
崩落の恐怖はなくなった。
竹が崩落してた~
春日神社へ下りて来た。
神社向いに古墳があった。
扉は固く閉ざされていた。まぁ人のお墓に入るつもりはありませんけど そういいながら過去に入ったことある。石舞台とか。
春日神社。無事下山のお参りをしておこう。
漢字が多いので読んでません。
明治期に奉納された絵馬額のようです。牛若と弁慶かな?
拝殿前でのお参りの前に・・・
阿形の獅子さんにご挨拶。口は閉じぎみ。
吽形の狛犬さん。アゴがクルクルである。
やっぱ後姿も撮ってしまった。摂社にもようさん獅子さん狛さんいましたが、もうええっすね
椿井より撤退!
24/02/28