筒井順慶がこの城を拠点に攻勢に出る
松永弾正さま劣勢に陥る
椿尾上城 後編です。
城は順慶が攻勢に出る際に大改修されたと云う。
洞ヶ峠はもっと後である。
東郭群を攻め申す。
案内板はないのに記念柱がありました。足軽小学生よ山城で萌えよ
東郭群西から東への尾根を加工した4連続段郭があります。その北側の通路を行く。
1段目と2段目の段差部。虎口からの横堀か?
2段目とその先の3段目。間に割目がありそうです。
段郭をちょん切る大堀切。かっけーぞ順慶
角度を変える。手前に石が・・・
その石に、右 五社みち 左 龍王道と刻まれてる。五社みちとは主郭に五社大明神が祀られてるので、そこへ至る道であり、龍王道は城跡の北の方に祀られてる竜王社を指しているものかと。そしてなんで「道」が、ひらがなと漢字なのかはかわからない。
堀切の切岸の石!は、岩盤であろうかと。
堀切を通って南へ抜ける。左が3段目の郭。
振り返って見る堀切。
堀切を抜けたとこの小郭。ウスウス土塁か? ここから東方向へ。
恐怖の道
まっ平な腰郭。
下にも腰郭。
長めの腰郭と言うか帯郭と言うか。ここも端は土塁かな?
逆から見るとグイーンと曲がる土塁やね。
切岸を見上げると石っ!
ここも鉢巻き状に石が積まれてたものかと。それとも全面石垣で覆われてたのが崩落してしもたのかも。
腰郭から上段への虎口。
上がった所は正面に見える主郭の南下段にあたる郭。横堀があり主郭へ至る土橋が見える。
右を見る。
左を見る。東郭群段郭の4段目であろうかと。
その4段目へ侵攻。けっこうな広さがありⅡ郭的な存在か。
郭内に石っ! 礎石かどうか
4段目の向こう(西)の郭は3段目の郭。この向こうが大堀切である。
下り立つ。
切岸に石が。
郭内に石がゴロゴロ転がってるので崩落した石なんでしょうね。
主郭の方へ戻っての主郭への坂虎口となる土橋。それと横堀。
主郭南に土橋から横堀が掘られてます。
ウッヒョ~ 横堀の先は屈折するグイグイ横堀。すんません
折れのとこから見る横堀。奥が土橋。
主郭切岸に石積み。
えーやんえーやん
土橋も石で補強してた様子が。
反対側から見る土橋。
うい~す
ういういっ~
この様子では土をどかせたらもっと石積みが出てくると思うんですが、どうも樹林はするが、城跡の保存整備には無関心のようやね。だれが?
土橋を通り主郭へ乱入。はぁ なんで主郭なのにヤブヤブなん
藪を突破すると鳥居が見えます。
五社大明神が祀られてます。大宮姫大神、?姫、光姫、高城、高宮と石に刻まれてるのが見える。女神さんが多いような感じです。姫大神はお稲荷さんと思うが、あとはちょっとわしには分からん。いちおうお参りはしときました。
五社大明神後方の土塁に、この城唯一の標示柱。それと三角点。土塁上は削平されてるので櫓台であったものかと。
大和・椿尾山城 撮ったど~!!!椿尾城とは書いてない。
標高は高いが、比高は72mです。
櫓台の向こうにV字横堀! 両側に竪堀となって落ちてってんやないですかね~?
この下に降りたのによく見てないという詰めの甘いわし
キケンを犯して下り、なぜかその先だけ撮ってる
撤収します。
大堀切を過ぎて西郭と東郭の間にある中央道へ戻る。その手間の虎口?
逆から見る。虎口というか竪堀道か?
その土塁に石っ!
そこから東段郭1段目南面切岸を見上げれば石っ!積みっ!跡っ!
順慶が改修した椿尾上城。かなりの土木量で見どころ満載の奈良市最大最強級の山城ではなかろうか。こんな城が奈良にあるとは知らなんだ。
駄菓子菓子! もう1度言いますが、城内は比較的歩きやすく散策しやすいのですが、説明、案内、表示の類が一切ありません。どうやら発掘調査もされてないようです。こんなええ城郭遺産を持ってながら保存維持するつもりあるんでしょうか? 古墳時代、奈良時代に力入れすぎちゃいますか?奈良市。あほちゃう
ちなみに、西郭群の大手枡形(外枡形)、南西斜面の畝状竪堀群。見逃してます。
ほんまに撤収!
そして帰還。
無事の下城 ありがとうございます。
画像はだいぶズレてます。
令和6年2月 今年て令和6年やんね?