東北の旅 三陸編

福岡県糸島市よりこんにちは

 

前回からのつづきです。

 

仙台にある旧荒浜小学校へ。

 

今は震災遺構として保存、公開されている。

2階まで津波が押し寄せて、児童や職員、地域住民の方は屋上に避難し、ヘリによって救出されたとのこと。

怖かったでしょうね。

屋上から遠くに海が見えていた。

ここはもう住めない地域になっていて、高いところに新しい道路を作っていた。

これが、堤防の役目をするのだろうか?

 

 

一度仙台駅に戻り、JRで石巻方面へ。

 

駅を降りるとICカードが使えなくなっていた。

 

ここまで、いろんな電車、バス、ロッカーなどで活躍してきた福岡のSUGOCA。

これはすごかバイ!

と感心していたが、ここで力尽きた。

仙台から北は要注意です。

 

ここでBRTに乗り換え。

ここでは、またSUGOCA復活。

BRTは、震災で壊れたJRの線路跡と一般道を使いながら走っているバスのこと。

 

南三陸町で途中下車。

 

遠くに旧防災庁舎。

周辺の土地の嵩上げ工事のため下の方にみえる。

展示されている写真をみると、風景が一変している。

 

 

車窓からみえる美しい三陸の海。

どこまでも続く高いコンクリートの防潮堤。

川の両岸のコンクリートの壁。

ひっきりなしに行きかうダンプカー。

高い所に建設中の新しい道。

 復旧工事。

復興とは?

 

そこで暮らす人の思いとは?

 

いろんなことを考えさせられました。

 

 

夕方、今日の宿 気仙沼架け橋に到着。

ここは当時ボランティアセンターになっていた所。

 

スタッフのももこさんが夕食を作ってくれました。

とんかつのようなサメかつに、メカジキのハーモニカ焼き。

どれも気仙沼でよく食べられているものだそうです。

とても美味しくいただきました。

 

 

翌朝早く起きて、旧気仙沼向洋高校へ。

以前小春にきたゲストさんが、津波で家族を亡くした場所なのです。

いつか機会があれば訪れてみたかったところです。

4階まで津波が押し寄せたそうです。

がれきがまだ残っています。

今年3月に震災遺構として公開されるとのことです。

 

 

この後、BRTと、三陸鉄道を乗り継いで釜石へ。

途中乗り継ぎの駅でおばさんに話しかけられたが、よく分からなかった。

とりあえず んだな~と相づちを打ちながら、聞き取ろうとしたが・・・

たぶん、「電車で買い物にきたが、帰りの電車まで時間がありすぎて不便だ」

みたいなことだったと思います。

 

釜石から釜石線で遠野へ。

遠野のそば屋さんで店の人と話していたら遠くから来たということで、売り物の干しリンゴをいただきました。

ありがとうございます。

 

夕方、花巻に到着。

いやはや、今日はほとんど移動ばっかりだった。

電車の本数が少ないので乗り継ぎに時間がかかる。

やっぱり車があった方が便利。

 

ここで、隊長(そらうみオーナー)の車に乗せてもらい大沢温泉へ。

つづく・・・

 

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