20年くらい前、夏まっ盛りの桜公園に

子供達を連れて散歩に出た記憶がある。

春になれば花見で賑わう場所も

木陰さえもすら無い炎天下の時間帯では

さすがに人はいない。

麦わら帽子の2人は現地に着くや否や

桜の木の下にできた直径2㎝位の穴に

せっせと小石を詰め込む作業を始めた。



その穴は10や20では収まらないほど

あたり一面に点在したが子供達は飽きる事無く

膝っ小僧を砂だらけにしながらそれを続けた。

私はその穴の正体を知ってはいたが

子供達には穴の謎を一切明かす事無く

2人が中学生になった頃には

クラブ活動に明け暮れる日々となった。



ひぐらしがこだまする晩夏の昼下がり

それは始まった。

チェーンソーのけたたましい音と

ブルドーザーの音に公園は包まれ

掘り起こされた桜の木々が

整然と並べられていた。

儚さとは裏腹にその根っこを見ていると

生命の底力を感じずにはいられなかった。

作業は着々と進められ

その見事な要領で数時間ののちに

公園の思い出もろとも

ダンプカーで搬出されていった。

住民の反対運動のかいも無く

工事を着々と推し進められて

近い将来に接続される新名神高速道路の為に

わが町の一角はまんまとその侵食を

受ける羽目にあってしまったのだ。



自宅より望む高速道路(現在)


着実に伸びていく高速道路。

河川敷のゴルフ場をまたぎ

対岸の遥か彼方の地に向かって

明日を繋いで行く道となりつつある。

あの夏に消し去られた数多くの蝉の穴は

もうここには無い。

幼い頃の子供達2人の光景は

私の記憶の深い所に沈んで

時を刻む事となった。

遠い夏の思い出まま。