あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌との毎日 その56(最後の一日その5)

2018-06-22 21:36:12 | 主人のこと
だいぶ間が空いてしまいました。
仕事に追われ、体力の限界を感じながらも毎日を過ごしております。

そして先月26日に納骨もすませてホッと一息もつけました。

本題に戻りますね。


病室に戻り主人に「看護師さんから(水を)飲んでもいいって許可もらったよ。飲む?」と聞くとすでにせん妄が戻っていた。
少し前の出かけようとしていたせん妄ではなく、誤嚥を起こしてすぐの頃のせん妄のようで「喉に機械が入ってるから飲めないよ」と鼻からチューブが入っていた時のように顔の前で手を振ってみせた。

ほんの数分、いや数秒で主人の意識が変わってしまう。
それらを咄嗟に読み取り興奮させないようにとその場しのぎの言葉で取り繕い、ウトウトしたり訳のわからないことを話しだしたりする主人を娘と二人で対応していると息子二人が病室についた。

病室に入ってきた息子ふたりは主人にかける言葉も見つからないようで「来たよ」とだけ言った。
ここで主人の意識がまたクリアになった。
「なんだ?こんな時間に〇〇も□□も来るなんて俺もうダメなのか?」
誰も答えられなくなりみんなで顔を見合わせた。

と、その瞬間に主人が「じゃあ、✖✖(ラーメン店)に行こうか」とまたせん妄が戻った。
息子たちは「??」といった感じで私に助けを求める目を向ける。
「お前たちが帰ってきたらみんなで✖✖にラーメンを食べに行こうってお父さん待ってたんだよ」と私が言うと長男が「そうなんだ」と場を察してくれたが末息子は明らかに動揺していた。

家族がそろったところで夜勤の看護師が病室に来て血圧やらパルスやらを計った。
相変わらず血圧は低いままだし、パルスも80には届いていない。
レスキューも入れられない。病室を出ようとする看護師が私に目を合わせたので一緒に外に出る。

「みなさん揃いましたね。どうしますか?」と聞かれた。

もうこれ以上苦しませたくはなかった。せん妄が出ているときは元気な頃のように話はするが、肩で息もしているしうまく痰も出せなくてしきりにティッシュで自分の口元を拭うようなこともしていた。
「お願いします」
主人の人生を止めてしまう決断をした。

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