ウクライナ侵攻によるロシア側の死者はすでに9万5千人を超え、日露戦争時の8万人を上回っている。それでもプーチンが侵攻を止めないのはなぜなのか。さらには、これだけ経済的にボロボロになったロシアは、客観的にはこれ以上ヨーロッパに侵攻する体力が当分はないだろうと思える中で、東欧、北欧、バルト三国等がこれだけロシアを怖れるのはなぜなのか。このような問題を考えるヒントとして、司馬遼太郎の『ロシアについてー北方の原形』を再読した。この文庫本が出版されたのが1989年で、ベルリンの壁が崩壊した年であり、2年後にソビエト連邦が崩壊している。この後平和な世界が訪れることを予測した識者が多かった中で、本書には、現在のロシアを予感させるまさしく「原形」が描かれているように思える。
ロシアは遅く成立した国である。「タタールの軛」と呼ばれるキプチャク汗国の支配を受け、ロシア人の国ができたのは、16世紀に入ってからである。そのためなのか、中国やヨーロッパの大陸国に見られるような、遊牧民族から住民を守る長城や城壁に囲まれた城塞都市があまり発展していない。軛の前には、ビザンチンの影響を受けたキエフがあったが、成熟した農業国家ではなく、大規模な城塞や長城を建設するには国力が弱かったのである。このことは、外敵の恐怖とその不安を取り除く方法が外への膨張であるという信念の共有に繋がっているかもしれない。
ロシア帝国成立の上で、キプチャク汗国は敵だったかもしれないが、汗国からは多くの制度を継承している。それは少数の支配者が多数の被支配者を統治せざるをえない状況でのシステムで、1つは住民の隷属化、もう1つは隷属化を維持するための強力な軍事力である。汗国によるロシアの人々からの収奪は、遊牧騎馬民族による典型的な農耕民族支配で凄まじいものであったようだ。また、少しでも抵抗があれば、ジャムチを通してそれが中央に伝わり、天幕からの騎馬軍が急行して鎮圧された。
ロマノフ朝は、これと似た制度を継承して、権力を確立・維持した。多くの農奴を抱えたが、農奴は貴族等に「所有」されており、所有者に生殺与奪の権利があった。日本や西欧の封建時代でも、領主がもっているのは徴税権であり、農民にまで所有権が及ぶわけではない。ここに大きな違いがある。ロマノフ家も、もとは貴族の中の一族に過ぎなかったが、ウラル山脈の東側のシビル汗国を滅ぼしてから勢力が大きくなった。シベリアへの膨張は、ヨーロッパで高く売れる黒貂の毛皮求めてということもあるが、ライバルとなる貴族に対して優越を保つための政治的東征であるともいえる。また、17世紀のシベリアの原住民は、ロシアにとっては毛皮獣を捕らせるための存在でしかなく、人間としての権利はほとんどなかったようである。
このような背景に、ロシアのウクライナ侵攻という事実を重ね合わせると、残念ながらいくつかの特徴が浮き彫りになる。人命・人権を軽視して軍事力を重視し、独裁を維持して不安を軽減するために無謀であっても膨張をめざす。これがロシアの原形によるものだとすれば、世界はどのようにしてこの国と付き合うべきなのか、あるいは対処すべきなのかを真剣に考えていく必要がありそうだ。
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