「僕の考え」と「周りの人の考え」どちらが正しいんでしょうか?
僕が正しいと思う事って結構周りの人の正しいと思っている事と違うんですよね。
誰が無邪気な人が楽しそうにはしゃいでいると、周りの人は「あいつ面白くていいやつだわ」って感じで見てるんですが僕の場合は違います。
どんな集団でも気まずかったり、会話の内容が分からなくて楽しくなさそうな人がいる場合が多いです。
「その人たちのことは考えずに、自分だけ楽しかったらいいのか!」なんて悲観的な感情をもってしまいます。
それと、何か僕に対して優しくしてくれた人に対しても、その後その人が「あの時○○してやっただろ」みたいなことを言ってくると、「ああ、この人は自分に菓子を作るために、人にいいことをする人なんだ」「結局は自分のために周りからいいやつと思われることをする、偽善者だな」と思ってしまいます。
この僕の考えを「極端だな」「こころが狭い」と思う人もいると思います。
大多数の人がそう思うから、僕はイライラして過ごしてきたんですから。
この「僕の考え」と「周りの人の考え」どちらが正しいんでしょうか?
僕は間違っているんでしょうか?それとも周りの人が間違っているのでしょうか?
今回はそんな「周りの人と考え方のギャップ」を感じている人に読んでもらいたい記事になっています。
正しい考えって「どうやって判断するの?」
世の中の意見として何で正しい正しくないと判断されているか?
これは完全に「多数決」です。世の中の大多数が「カラスは白い」と言えば、「カラスは黒い」といった人は間違った知識を持った人だと思われてしまいます。
この前、最近話題の「僕たちはどう生きるか」という漫画を読んだのですが、その中に「コペルニクス」という人の話が出てきます。
「天動説」が主流だった時に、「地動説」を唱えた人です。
もちろん今では「太陽を中心に地球が回っている」というのは誰もが知っている「正しい事」です。
しかし、その時はキリスト教が天動説を支持していることもあって、コペルニクスは「危険な考えを持った人」と判断され「間違った」考えをもっている人と思われ、世の中から非難されてしまいます。
地動説は昔は「間違った事」、でも現在は「正しい事」と判断されているわけです。
では何で判断されたかというとやはり「多数決」です。
なので世の中が判断した「正しい・間違い」というのは、それだけでは本当に「正しい・間違い」とはわからないんです。
それに現在は、スマホやテレビが普及して情報化社会になっています。
そしてテレビやネットで毎日毎日何が正しくて間違っているかをはっきり宣言されていなくても、話しの流れから理解してしまいます。
これは洗脳なんです。
最近でいうと、トランプ大統領は日本では批判され、あんな人がアメリカ大統領になったら戦争が起こるなんてテレビで言われているため、批判的な考えをもっている人が大多数でしょう。
しかし、アメリカではもちろん代々の大統領よりは批判する人が多いです。
けれども、現在のどうしようもない状態のアメリカを変えられるのは、クレイジーな考えを持ったトランプだけだと考える人も大勢います。
となると、やはりアメリカのテレビで紹介されるトランプの考えは少なくとも日本よりは「肯定的」でしょう。
日本に生まれた自分がトランプに「批判的」なのはわかる、しかしもしアメリカに生まれていたら・・考えは今とは違うはずです。
テレビで何度も何度も目にすることで、自分の「正しい・間違っている」の判断が違ってしまうんです。
なので「テレビ=最強の洗脳マシーン」なんです。
しかもテレビは世の中から見ればごく少数の人の手によって作られています。しかも利益団体なのでその中にお金で動く人がいないとは限りません。
つまり、現在の世の中では「世の中の 正しい・間違っている はごく一部の人によって作られている」ということが言えます。
もし宇宙で独りぼっちだったらすべてが正しい
僕は前にもお話した通り、大学の時引きこもりでした。
その時僕が生きていた世界というのはすべて自分の思ったことが正しいという世界でした。
誰とも接しず、自分ひとりの世界だったので「壁が白だとダサい」と思えば、僕が生きている世界では壁が白というのはダサいんです。
風呂に入りたくなかったら、風呂に入るというのはいらない習慣になります。
ここで母親が部屋に入ってきて、壁は白の方がいい、お風呂にはいりなさい。といってきたら、これまで絶対的に正しかった僕の考えは「絶対正しい事」ではなくなってしまいます。一人だった時は僕の生きている世界は風呂に入らないことは「100%正しい事」でした。しかし世界が僕と母親の2人の世界に広がって、僕は絶対に風呂に入りたくない、母親はお風呂に入らないなんてありえない。と考えているうちは、僕の世界では風呂に入ることは「正しさ=50%・間違い=50%」になります。客観的に見た場合です。
これでもし僕の世界にお父さんが入ってきたら、風呂なんて入りたいときに入ればいいといったとします。そうしたら僕の正しさは「33%」になります。
しかし悪いことばかりではありません。なぜなら「選択肢は増えた」からです。
これによって僕が母親があんなに言ってるし、久しぶりに風呂に入ってみるか、と入ったら「気持ちいい、これから毎日入ろう」と思ったとします。
そうしたら「風呂に入らない」という事は100%間違ったことになりし消えていきます。
僕がせっかく「風呂に入らない」「風呂に入る」「風呂は好きな時に入ればいい」という3択から結論を出したのに、僕が再び学校に通いだしたら、1日に朝と昼2回入る人もいるという事に気づきます。世界に目を向けたら今度はシャワーだけという選択肢も出てきます。
このように世界が広がるたびに選択肢が増えていき、その世界という限られた人達の中の限られた意見の中から結論が出て、その結論が正しいことになっていくんです。
分かりにくい説明ですいません(笑)。
しかし、言いたかったことはこの後に書いてあることなんです。
今の説明がわけわからん、説明下手すぎと思った人でもこれ以降は読んでください。
僕が生きていくために大切だと考えていることをお話したいと思います。
何が正しいのか?
「風呂に入る」という例えが良くなかったかな?と思って書いています。(笑)
自分でも1年後読んで理解出来ないんではないかという話を書いてしまいました。(笑)
しかし言いたかったことはこれです。
「自分から見て世の中の人たちが正しいと思っていることは、自分が生きている小さい世界で正しいと思われている事」
日本で生きていて、みんなが正しいと思ってることでも、世界的に見たら日本の国民の考え方は少数派かもしれない。
日本で生きていたら、食べれなくて死ぬなんて考えません。なので食べることを目標として生きている人も少ないでしょう。
食べることは出来る、だったらそんな事を目標にせずお金でいい洋服を買おう、いい家を買おうなんて事を目標として考えています。
また、お金の事だけでなく、よく働いてよい地位に就こう、もっともっと自分の技術に磨きをかけよう。
そういう風に何か目標があって、努力している人は周りの人から尊敬されます。
本当にそれだけで尊敬できる人なのでしょうか?
もし、世界中全員を一か所に集めシャッフルしてランダムに、それぞれの国の元居た人数分送り込むとします。
もし日本で暮らしていた子供が翌日学校に行ったら1クラス21人としたら、3人は飢餓で今にも命が消えてしまいそうです。
会社でもそうです。オフィスで7人に1人は飢餓状態なんです。
こうした状況の中で、自分の目標に向かって、ただひたすら努力するという事はどうでしょう?
なんか、自分のことしか考えていない人のように思えてしまいます。
7人中の1人が現在飢餓で苦しんでいるというのは事実です。しかし、その人が目の前にいるのか、自分とはかかわりのない場所にいるのかという事で考えが変わってしまいます。
なぜ、日本人が欲しい服も我慢して、おいしい物を食べるのも我慢してまで飢餓を助けようとは思わないのか?
それは、日本人が日本といいう限られた世界で生きているからです。
日本には飢餓の人はいない。なので世の中に飢餓の人はいないと思ってしまいます。
目の前に飢餓の人がいたら、自分のランチを我慢してでも助けますよね。しかし、その飢餓の人が目の前にいようがいまいが、苦しんでいることは確かです。それなのに自分の生活を優先するのは、飢餓の人がいるという実感がない。自分の世界には飢餓はいないと思っているからなんです。
つまり狭い世界で生きているから、広い世界の真実を見ることが出来ないんです。
世界は限りなく広い、そのすべてを知っている人しか真実を知れない
自分の世界が広がるごとに新しい選択支が出てきたり、自分の考えが身に周りで少数派でももっと広い世界から見たら自分の考えが多数派かもしれないなどというお話をさせていただきました。
つまり、日本で正しくても、世界では間違いかもしれない。
そろそろ最初に話した「僕の考え」と「周りの人の考え」どちらが正しいんでしょうか?という事の結論を出していきたいと思います。
正しさの式を作ると、
僕の考え<周りの考え<日本の考え<世界の考え<地球の考え<太陽系の考え<天の川銀河の考え<・・・
と周りの考えもまだまだ小規模なものだと分かります。
ここで宇宙が出てきてびっくりした方もいると思うんですが、僕は宇宙人がいてもおかしくないと思っています。
しかしそうでない方もこう考えてみてください。
部屋に引きこもっている人より、学校行ったり仕事している人の方が、物事の真実を知っていそうですよね。
そういった普通の人より、日本中を回っている人の方がさらに真実を知っていそうですよね。
さらに世界中飛びまわっている人はさらにすごそうだ。宇宙に行ったことがある人はもっとすごそうだと思いませんか?
一か所にとどまっている人よりも、あちこち行っている人の方がいい考えをもっていそうです。
そう考えると宇宙が出てきても不思議ではなくなると思います。
なので、すべてを知ったと思っても、自分が生きている世界より大きな世界から見たら、その知識が間違っていることもある。その考えも、さらに大きな世界から見たら・・・と続いていきます。
これを見てみてください↓↓↓
こんなちっぽけな地球で暮らしている人が、すべてのことを知っていると思いますか?
自分がもしこの宇宙中を飛び回るような暮らしをしていたら、地球ですべてを知っているかのような人がいたら笑ってしまいます。
時間でもそうです。この地球では現在の人類が最初の文明ではないと考えている人もいます。
ちょっと面白いサイトがあったので見てみてください↓↓↓
地球カレンダー 46億年の歴史を1年で見る・21世紀の歩き方大研究
地球の歴史を1年にすると、農耕放牧をしだしたのが12月31日午後11時58分52秒です。つまり人間らしい生活をしだしてからすぐにここまでの文明が作られたんです。
そう考えるとその以前にも文明があって崩壊した可能性が0ではなさそうです。
さて1万年続いた文明と10万年続いた文明どちらが正しいことを知っていそうか。
もちろん10万年の方です。
大人と子供もそうです。長く生きた大人の方が知識があります。
もし自分が地球の歴史の元旦に生まれたのならば、12月31日の今年が終わる数分前に生まれた者が、除夜の鐘とともに「僕はこの世のすべてを理解した」なんて言われたら、こいつ何言ってんだと思ってしまいます。
つまり、僕が言いたかったことは、
「超小さい世界の中で、超最近生まれた人間に、真実なんてわからない」という事です。
分かっていないことの方がはるかに多いという言い方もできます。
なので最初に言った、「僕の考え」と「周りの人の考え」どちらが正しいんでしょうか?の
結論は、小さな世界で最近生まれた僕たちには判断できない。
どうせ結局、今後永遠に変わらない真実なんて、知ることが出来ません。
だったら自分が正しいしたいと思ったことを全力でやりたいと思います。
他人に合わせて生きて、死ぬ間際に「間違ってました(∀`*ゞ)テヘッ」なんて言われたらたまりませんから。
他人のことのように自分を愛そう!
よく他人を自分のことのように愛そうという事は聞きます。
でも僕の場合はそれだけでは幸せになれませんでした。
自分を犠牲にしてでも他の人に何かしてあげるという、性格でした。
しかし、その結果どんな時でも相手の嫌がる事はしないので、結局いいように使われたり、なめられたりしていました。
「俺は自分を犠牲にしてまで、君のためにやっているのに何でそういう態度をとるんだ」といつも思っていました。
そんな性格では自分にストレスが溜まるし、その結果相手に不機嫌な態度を取ってしまう。結局誰も得をしないという事に気が付きました。
そんな僕がどんなように乗り越えたかをお話していきたいと思います。
他人を第一に考えて行動する人
他人を第一に考えて行動していた僕は、何人かで一緒にいるとき自分の知らない話題を友達が話していたら、知らない自分が話に入ってしまったら自分に説明してくれて本来友達が話そうとしていたことが話せないと思い邪魔をしないように黙っていました。
そしたら、「何お前、つまらないやつ」みたいな目で見られるんです。こっちは君たちのことを思って黙っていたのにと思い嫌な気持ちになってしまいます。
他には、僕は恥をかくのがすごく嫌いな性格なので、他人にも恥をかかせないようにしようと思って、名前を呼び間違えたりされても後で、どうせ気が付くその時指摘してしまうと相手が恥をかく、後から遠回しに教えてあげてていました。
そしたらなにも考えていない他の人がその人に言っちゃうんですよね「間違えてるよ(笑)」って。
そしたら、名前を違えていた人も「お前言えよー」といって結局僕が悪いことをしたみたいになってしまいます。
それと、キッチンでバイトしていた時に、僕が使おうと思ってもって来た調理器具を誰かが使ってしまった時や自分も調理していて、他の人も調理している時、相手が夢中になって僕のゾーンまで進出してきても、指摘したら相手が恥をかくと思い指摘しませんでした。
自分が新しい器具を持ってきたり、端っこで調理すればいいやと思っていました。
こういう事をすると確かに相手は恥をかかないで済むんですが、僕自身にかかるストレスが半端ないんです。
相手のことを考えて○○しているのに、結局嫌な思いをするのは自分となってしまいます。
その結果僕は心が小さいので(笑)不機嫌になって、結局相手も嫌な思いをしてしまいます。
他人第一と考えるのはダメな事?
僕はもともと大人ぶりたい正確だったので、自分のことよりも他人のことを考えて行動する性格でした。そして本で他人のことを自分のことだと思って行動しなさいという事を読みました。そしたらさらに他人第一他人第一と考えるようになって、他人のためにどこまでやればいいのか分からなくなってしまいました。
バーベキューをやる時にバーベキューセットをすべて僕が持って行ってあげたり、車を出してあげたり、買い出し、洗い物してあげればみんなは楽が出来る。
普段でも自分の充電が少なくなっていても、相手が第一なのでバッテリーをさきに貸してあげたりすれば相手は喜ぶ。
相手のことを第一に考えていたらどこまででも、してあげられることはあります。
極端な話をすれば、毎日人の送り迎えをしてあげたり、毎日昼食の席取りしたり、お金をあげたりなども自分を犠牲にして相手のことを第一に考えたらで思いつく行動です。
そんなことまでは出来ないと僕でも分かりました。しかし他人のことを第一に考えろという自己啓発本でよく書いてあることを実行たら、こういうこともしなければなりません。
他人のことのように自分を愛そう
他人のことを第一に考えていたら、どこまですればいいのか分からなくなってしまう。かといって他人のことを自分のことのように思えなく冷たい人になるのは嫌だ。
この矛盾を解決するには「他人のことを自分のことのように思い、自分のことを他人のことのように思う」ということが必要です。
たいていの人は自分のことばかり考えているから、自己啓発本には他人のことを自分のことのように考えようと書いてあるのだと思います。
そこでたいていの人が今まで自分のことばかり考えていたのだから、他人のことを考えよう他人第一で行動しようと思い、どこまですればいいのだろうかと思い訳が分からなくなってしまいます。
そこで、自分のことを他人のことのように思う事で、他人のことももちろん考えるそして自分のことも考えることができるようになるのです。
先ほどのバーベキューの話をするならば、道具も買い出しも車も自分がやれば他の人は楽が出来る。しかしそれでは自分が楽できない。なので全部本当はやりたくないけど、僕は買い出しをしよう。他の人も本当は何もしたくないけど、車を出してもらったり、道具を持ってきてもらったりしよう。と考えます。
ここで大事なのは、他人も自分も平等に嫌なことをするという事です。優しい人ほど自分が多く嫌な事をしてしまいます。優しい人ほどいつも他人のことばかり考えていたので、自分が本当にやりたいのかやりたくないのかが分からなくなっています。しかし、自分のことを考えるようになると段々本当に自分は何がやりたくて、何がやりたくないのか分かるようになっていきます。
そして、他人と同じように自分のことも楽させてあげます。車を出すのが苦ではないなら余裕があるから他のことまでやろうとしてもいいし、買い出しが本当に嫌なら、買い出しだけはヤダ他のことにしてなど言いましょう。
優先順位が 他人>自分 になってはいけません。
他人=自分 に出来るようにすればストレスが減ります。
僕はあれだけしてあげたのに・・と思う事も、他人も同じだけしているので思わなくなります。
嫉妬ばっかりする人はマジでヤバイ!
僕は昔から人に嫉妬ばかりしていました。しかし周りの人たちは嫉妬は良くないよ、ダサいよなんて言っていて直接的に言われてはないんですが、嫌な気持ちになったのを覚えています。
嫉妬しないのは自分の可能性をあきらめたやつだけだ。頑張らないことへの言い訳だ。なんて思っていました。
何事でも一番になりたかった僕は、バレンタインデーの時チョコを何個も貰っている人に嫉妬し、体育の器械体操でバク転出来る人に嫉妬し、テスト返しの時にみんなに囲まれすごいと言われている人に嫉妬していました。
嫉妬、嫉妬、嫉妬の毎日です。(笑)
しかし、そのことによって人より勉強したり、自分の苦手な器械体操も学校が終わってから練習したり、女子の前でクールぶったりしていました。(笑)
そのため嫉妬は人より努力する原動力になるんだからいい事じゃん。なんて思い嫉妬ばっかりしていました。
確かに努力はするんですが、嫉妬による努力は途中でやめてしまったり、全然上達しなかったりします。
それは嫉妬というものの性質にあるんです。
嫉妬している時の感情
嫉妬している時どんな感情になりますか?
僕は、その人に負けてはいけない。負けを認めたくない。周りから負けてると思われたくない。など非常に余裕がなく、それでいてイライラしています。
そんな感情で人に接したら、もちろんお互い良い気持ちはしません。
「○○って頭いいよね」「○○って運動出来てかっこいいよね」なんていわれると、カッとなって、そっけない態度を取ったり、八つ当たりのような態度を取ってしまいます。
周りにも常に嫉妬していて、余裕がなく、常にイライラしている人がいるかと思います。そういう人は近寄り難いですよね。
そうして周りから見放されてしまったら、何かで1番になって取り返そうなど考えてしまいまた嫉妬してしまいます。
これで負のサイクルが出来上がってしまいます。
嫉妬しているとマジでヤバイ理由
嫉妬の対象皆さんはどんな人を思い浮かべますか?
僕はチャラい人です。いろんな女性と仲良くて、彼女も途切れない。そんな人には「どうせ最後は女性を傷つけてしまうんだろ」とか「チャラい人についていく女性なんて興味ない」「チャラい人には本当にいい人は近づいてこない」といったように嫉妬してしまいます。
ここでわかることは、嫉妬していた、つまり憧れて自分もそういう風になりたいと思っていたそんな人が、嫉妬しているうちに「悪い人」になってしまっているんです。
誰にでも経験があると思います。嫉妬していたらいつの間にか嫌いになっていたという事が。
これが大問題なんです!!
嫉妬=嫌い=悪い人(ダサい人)
となってしまうんです。
誰でも自分が悪い人、ダサい人と思っている人にはなりたくありません。
(僕の場合は、チャラい人がダサいと思っていました。)
つまり、最初は憧れてそうなりたかったから嫉妬していた人が、いつの間にかダサくてあんな風にはなりたくない人に代わってしまいます。
本能的にあんな風にはなりたくないと思っていますから、実際になれないんです。
サッカーうまい人を見て、「あいつは親がコーチだからな」と嫉妬していたら・・
うまい=良くない事
となって、自分がうまくなるのを本能的にブレーキをかけてしまいます。
先ほどのチャラい人で考えると、チャラい人は本当は楽しそうで羨ましいんですが、嫉妬するあまり「女性を傷つけるダサい人」と自分の中でなって、その人たちがしている、楽しそうな会話、場を盛り上げる事など本当はした方がいいことまで、チャラい人と同じだからという事で、しなくなり次第にできなくなります。
まとめ
嫉妬はマジでやめた方がいい
なぜなら
羨ましい=嫉妬=悪いこと=自分はそういうことはしたくない
と本能的になってしまうから。
結果的に
羨ましいこと=自分は一生出来ないこと
となってしまう。
なので嫉妬ではなく、あいつすげぇ。俺もあんな風になりてぇ。という素直でいて、よい気持ちで他人を見ることが大事です。
自分はダメ人間?何をやってもうまくいかない?←そんな人いるわけない!!
僕は少し前まで、自分はダメ人間、何をやっても出来ない。そんな風に考えていました。
何をやっても、失敗するんだから何にもしたくない。そんな風に考えて家に引きこもっていました。
知ってますか?引きこもりってめっちゃ辛いんですよ?(笑)
人から見たら、自分に甘えているだけと思われてしまいますが、引きこもりだってあれこれ考えてるんです。
このまま「何もしないで人生終わるのか・・・」「みんなはあんなに楽しそうなのに、なんで自分だけこんなつらいんだ」とか結構辛いです。(笑)
話がそれてしまいそうなのでここまでにしておきますが、この引きこもりの間に暇なのであれこれ考えていたら、自分は本当にダメ人間なのか?他の人はダメ人間じゃないのか?ダメ人間の基準は?なんでダメ人間になってしまうのか?など考えているうちに気づいてしまったのです。
僕はダメ人間じゃない!と。
もちろん、これは誰にでも言えることです。
自分がダメ人間なのではなくて、自分が出来ない、向いてない事(職)をしているだけです。
しかし、日本は数少ない基準で人を判断してしまう国なので、自分がダメ人間だと思ってしまう人が多いんです。
大学に入る時にその人が本当に優秀か、なんて国数英の三つだけでわかるわけありません。
人によって得意不得意があるわけです。
基準は無限にあります。大学に入る基準なんてその中の3つが運よく得意な人が、いい大学に入って、世の中で優秀だと判断されます。
自分が得意な事がその3つ以外だったら、周りからの評価が低くなってしまいます。
だから運悪く、周りが評価してくれない分野での才能を持っている人はそれを生かさず、自分はダメだと思い込んでしまいます。
人生すべてが勉強
人生のすべてが勉強です。なので同い年の人は同じだけ勉強しています。それが人に評価されることだったか、そうでなかったか。
これで世間一般に言われる優秀かどうかが決まります。
例として、僕が1年間引きこもっていた時を考えてみます。
僕が大学2年生の時に1年間引きこもっていました。この引きこもっている時間に、全国の同級生たちはバイトをして仕事をするという事を学んだり、学校の勉強をたくさんして知識を増やしたり、新しい人に出会ってその人からいろいろ学んだり、いろんなところに行ったり行ったりしています。
引きこもっていた僕と、全国の同級生どちらが多くのことを学んだと思いますか?
答えは「全員同じ」です。
引きこもっていた人は、1年間引きこ持った人にしかわからないことを学びました。このことを学ぶには1年間引きこもらないと学べません。(僕の場合は自己啓発を学べたり、みんな仕事なんてやめて家でゴロゴロして暮らしたいと考えている中、ずっと家でゴロゴロが一番辛いという事を知れました。ほかにももっとあるんですけど、長くなるのでやめておきます)
そう考えると誰でも一年間で学んだ事は同じ量だと思いませんか?
だけど、社会に出てすぐ役に立つことを学んだのは間違いなく、全国の同級生たちです。
だから、引きこもるのは時間の無駄だと考えてしまいがちです。
でも、もし引きこもっていた時学んだことが生かせれば、引きこもっていた僕は社会を大きく変えたり、莫大な資産を得ることが出来ます。
まだ、社会で生かせない知識をもっているんですから、生かせれば先駆者になるので当然です。
平均以下だからって出来ない人ってわけじゃない
学校のテストで考えると、例えば数学のテストでクラス1位の人はもちろん出来る人です。この人が100点取ったとします。
2位が90点これは1位の人よりちょっと出来ない出来る人です。
こういう風に考えていくと、出来る人出来ない人の境目を決めるとするならば、平均点です。
平均点が50点のテストだったら51点以上取った人が出来る人、49点以下の人が出来ない人。
だから平均以下の人は自分が出来ないと思ってしまいます。
このテストで30点だった人これが自分だったら、「あぁ、自分は数学が出来ないんだ」と思いがちです。
でも実際は、30点分出来るんです!
人生においての無数にある基準の中で、数学では30点稼いだという事です。
この子がクラスで一番足が速かったら、足の速さを基準とするならば、クラス1位という事で100点としときます。
そして数学100点の人が平均以下で30点だったとします。
そうなったら、どちらの人も合計130点です。二人とも数学が出来ない、足が遅いだからといってダメ人間ではないんです。
ここで言ってる、数学、足の速さもまた無限にある基準の2つの基準なんです。
無数にある基準、例えば、引きこもりの気持ちがわかるという基準、このゲームのここだけうまいという基準。こういう無数の基準の総合点はみんな同じです。
なぜなら、その人がその期間ある考え方で生活、または何かしたからある知識、技術が身についたんですから。
努力ももちろん大切
どうせ努力してもしなくても学べ量が同じなら、努力しなくていい。そんなわけありません。
世の中で出来ない人と思われている人は、自分の能力を生かす努力をしなくては、ダメ人間のままです。
すぐ不満を思ってしまう才能を持っている人はそれを解決する方法、アイデアを商品や本などにする努力をしないといけません。
自分だけが思っていると考えてる不満でも、案外人も無意識に不満に思っていることもあります。
例えば、スマホなんてなくても少し前の人は何の不満もなかったでしょう。しかし、今はなくては不満だらけです。
これは、人々が不満だと感じていない不満を、ある人が不満に思いその不満を解決するものを作ったからです。解決するために努力したためです。
大食いという才能をもっている人は、普通だったら何の意味もない才能ですけど、みんなに食べているところを見せるという生かす場所を見つける努力をしたから、テレビ、youtubeなどで活躍してる訳です。
才能がないからダメ人間なのではなく、才能を生かせないからダメ人間なんです。
ダメ人間と思い込んでいる人は、才能を生かす事が出来れば、世間一般の人よりも、すごいことが出来ます。
出来る人は、世の中で見られる数少ない基準の評価が高いわけです。
もちろんそれも大切な事ですが、その人達の考え方は世の中にすでにあるから評価されているわけです。
世の中に評価されていないものを評価されるように努力すれば、その人はそのジャンルの先駆者になり、すごい人と思われるようになります。
まとめ
大切なのは、まず自分の才能に気づくことです。
どんな小さな才能でもいいです。(僕の場合は若いうちに自己啓発知れたという事)
そして、その才能を生かすところがあると信じて生かす努力することです。
大食い、ゲーム、日常のちょっとした不満、こんな一見役に立たなそうなことも、プロの大食い選手、プロゲーマー、ゲーム実況者、100均の商品を開発など生かす事だ出来ているんです。こうなったら何でも生かせそうですね(笑)。
生かすのが難しい才能をもっている人ほど生かせた時のリターンが大きくなります。難しいほど現在の世の中には表に出ていない、才能、知識、アイデアだからです。
投資と一緒です。ローリスクのものはローリターン、ハイリスクのものはハイリターンになります。
基準は無限にあるんです。世の中はその中の少しの基準でしか評価していません。
全員が素晴らしい才能を親からもらって生まれ、生きていく中でさらに多くのことを学んだんです。
そしてその自分の能力を、成績表でよく見る五角形みたいにします。(基準は無限にあるので今回はすべて満点だったら円になります。)
そうしたら、ある面積を持った図形見たいのが出来ますよね。
この面積は皆ほぼ同じです。
今の自分にできたその図形。この形の人は世界で一人しかいません。
この図形を持った人にしかない、才能、考え、能力が必ずあります。それに気づくのが大変なんですが、このことが何よりも大切なんです。
「100%夢が叶う!」←こんなのウソに決まってるだろ!!笑笑
よく自己啓発本などに「○○をすれば100%夢が叶う」と書いてあります。
こんなの100%夢が叶うなんて嘘に決まってます。
100%夢が叶うなら、人には羽が生えていないとおかしいです。
しかしだからといって自己啓発は嘘、意味がないなんて考えるのはまだ早いです。
確かに100%夢が叶うといって人を集め、お金を吸い取っている人たちもいます。
しかし本当に100%夢が叶う。100%出来ると考えることは大事なんです。
100%信じるとはどういうことか?
これはスポーツで考えるととても分かりやすいです。
例えばサッカーなら、このシュートは絶対に決めると思ってシュートを打つことです。
野球なら絶対ヒット、ホームランを打ってやると思って打席に立つことです。
私生活でいうならば、おいしい料理を作ってやると思ってキッチンに立ったり、バイトで優秀な人と思われたいなどです。
もちろん、これよりも大きな夢、お金持ちになる、有名になると信じることも含まれます。
これらを100%信じることです。
100%自分ではできると考えているならば、失敗した時のことなんて考えません。もちろん失敗することもあります。しかしその時に「失敗した、あぁー」で終わるのではなくて、「じゃあ、このやり方でやってみよう」と思えるかこれが大事です。
これらのことが出来るのが自分と思って、野球だったら自分が大谷翔平だと思ってプレーします。
と、いうのが100%信じるという事です。
100%信じたらどうなる?
「100%信じたってどうせ出来るようになるわけじゃないでしょ?」と、考える人もいると思います。
確かにそうです。100%大谷翔平になりきったからといって、165キロの球を投げれるわけありません。
しかし100%信じる、なりきることで80%、90%出来るようになるんです。
これを聞くと「じゃあ、野球未経験の僕が今100%大谷になりきれば、高校球児くらいの球を投げられるの?」という話になってきます。
しかし、投げれるわけありません。
だけど「100%信じる」は大事なんです。
もし、時間が無限にあるのならなんでも叶えられる
100%信じるというのが大事だと何度も言ってきたのは、「時間が無限にあるなのなら何でも叶えられる」からです。
夢が叶わなかった人は、叶う前にあきらめてしまった又は叶う前に人生が終わってしまっただけなんです。
「じゃあ、どうせ叶わないものは叶わないじゃん」ってことになるんですが、捉え方を変えると「夢というゴールに向かう階段は着実に昇っている」という考え方もできます。
夢が叶わなかったのは、意味のない間違った階段を昇っていたからではなく、正しい階段を途中で降りてしまったからなんです。
夢は必ず叶います。しかしその前に時間切れになってしまうだけです。人が本当に羽が欲しいなら、何億年後もし地球があったなら確実に生えています。
話が100%信じるという事から反れてしまいましたが、先ほど言った「階段」これを昇るのにどのくらい信じているのかというのが、昇る速さに関係しています。
簡単に言うと、10%出来ると信じている人は毎日5時間練習して1日1段昇っていたなら、100%信じている人は1日10段昇っているという事です。
何段昇っているかは状況によって変わってきますが、信じている%が高い人ほど早く、夢に続く階段を早く、段飛ばしで昇っています。
まとめ
大谷翔平だって100%打てると信じて打席に立っているので、打率.322という素晴らしい結果を残すことが出来ています。
毎球、毎球100%打てると思ってバットを振っているけど、全球打てるわけではありません。しかし、90%出来ると思っていたら、打率は.322よりは下がってしまいます。
100%出来ると信じたから100%出来るわけではないんです。ここで大体の人が、「自己啓発に書いてあることは嘘だ」と思ってしまうんですが、出来ると信じて練習したその日はいつもより確実に1段、2段昇っています。
なので100%出来ると信じて夢への階段を昇ることが一番早く夢が叶う方法です。
人生は短いです。出来ることは限られています。なのでどんなことをするにしても「早く階段を昇る」ことが大切です。
~自己受容~これからどんどん成長したいなら、まず自分を受け入れる事
自己受容という言葉は自己啓発を学んだことのある人なら、だれしも聞いたことがあると思います。
自己受容はそのまま自分を自分で受け入れるという意味です。
これを実践している人は、今の自分を認め、そこから成長し将来的には「大きな目標」を達成したり、「高度な技術」「特別な能力」を身に着けます。
失敗しても今の自分は失敗してしまう人なんだと受け入れ、そこから克服しようと成長します。
逆に言うと自己受容できていない人は、何かミスをしても「今日は体調が悪かった」、「あいつが○○したから」と自分を認めず、そのミスの原因を探そうとしない。今の自分はそのミスをしてしまう人間なのにそれと向き合わないため、成長しません。
簡単に言うと「自己受容が出来ている人」「自己受容が出来ていない人」では成長のスピードがまるで違います。
自己受容が出来ないとどうなる?
一つ目は、先ほどにも書いた「自分はミスをする人間だという事を認めない」です。
このため成長しません。
2つ目は「小さな成功より、大きな失敗をしたがる」です。
これは一見「???」と思ってしまうかもしれませんが、実際にこうなのです。
ぼくの場合でいうならば、サッカーでちょっとうまい人と本気で1対1をやってギリギリで勝つよりも、チームで一番下手な人と1対1をやって負けた方がいいと思っていました。
理由は簡単です。ちょっとうまい人との1対1なんて余裕で勝って当然と思っている(調子乗っている)僕にとっては、ギリギリで勝つ。
つまりちょっとうまい相手と同等の実力と証明されたようなものです。
誰しも自分より能力がないと思っている人と、同等の評価をされたら落ち込みますよね?
なのでそれを避けようと、チームで一番下手な人に負けることを選んでしまいます。
チームで一番下手な人に負けることで、周りから「今日どうしたの?」「調子悪いね」といって貰うことで、本当の自分の実力がこんなものじゃないと思えるからです。
そうやって自分の実力を隠していると、勝負を避けるようになり、能力が落ちていく、それに気づきかけてはいるんだが認めたくないのでさらに弱い人を探す。そうしていくうちにどんどん「前よりも」出来なくなっていってしまいます。
では自己受容できている人はどうか?
これまでの話を聞いて「自分のことだ」と思った人は、自分を受け入れることによって克服できます。
自己受容が出来ていれば、いつの時の自分も本当の自分と思えます。「こんなの自分じゃない」「今日は俺は違う」なんて思いません。
「自分」が基準になります。
なので何かミスをした。そんなときは、そのミスを克服できれば自分がひとつレベルアップ出来るという事になる。と考えます。
ミスは今の自分よりレベルアップ出来るといういい機会ととらえます。
先ほどの僕のサッカーの話でいうならば、周りと比べず、うまい下手の概念を持たずまず自分がいる。
そして、勝負をたくさんしていれば、勝てても負けても、自分がうまくなると知っている。
だから、どんな人でも大歓迎。誰でも勝負しようぜ。と思え、結果的にどんどん成長してうまくなります。
自分の基準がどこか
自己受容の出来ていない人は、まず「頭の中に理想の自分がいる」。その理想の自分が基準となってしまっているために、ミスをしたらその基準より下のことなので落ち込んでしまうのです。
自己受容が出来ていたら、基準は「本当の自分」「今の自分」なので「ミスをしてしまう自分」基準以上でも以下でもなく基準そのものです。
そして、ここ(ミス)を克服すればいいという「今の自分」がレベルアップ出来るためのツールを見つけたのでむしろプラスでしょう。
まとめ
自己受容は本当に大事です。今の自分をありのまま見れば、克服するべきところが見つかり、自分のレベルアップのために喜んで克服出来てしまいます。
自己受容しなければ、ミスを認めず、さらなるミスを恐れるので、極端な話をすれば何もしなくなります。
ほとんどの人が理想の自分が基準になっているので、そこからありのままの自分に基準を落とす。
👆ここはかなりつらいです。
本当は出来るんだと言い聞かせていたのに、出来ないと認めなくてはいけません。
しかし、それを認めることが出来たら、今後は成長する人生が待っています。
認められなかったら、現状維持、または衰退の人生が待っています。
忘れものをなくす方法!
僕は小中高と忘れ物ばっかりしていました。
先生が「絶対忘れないでね」といったものも、その時は「よし、忘れないぞ」と思うのですが、いざ次の日になるとすっかり忘れて学校についてから思い出します。
そんな僕が忘れ物をしなくなったのはある一つのことを実践しただけなんです。
それは何度も紹介している「イメージ」を使う事と、未来に「トリガー(引き金)」を作ることです。
これをすると忘れものをしてしまう
忘れ物をなくすイメージを作るとしたらどういうイメージを作るでしょうか?
「絶対忘れ物をしないぞ!」とイメージするのが一般的な考えだと思います。
教師だって「絶対忘れないでね」といいますからね。
しかしこれではダメなんです。
なぜなら人は「〇〇ない」というイメージは出来ないからです。
「象を思い浮かべないで」といわれたら真っ先に思い浮かぶのは「象」です。
忘れ物をしないと自分がイメージするとまず「忘れものをする」というイメージが湧いてきます。
つまり「忘れ物しない」というイメージをたくさんすればするほど、「忘れ物をする」というイメージが鮮明に頭の中に残ってしまいます。
その結果、忘れ物をしてしまうのです。
絶対に忘れてはいけないと何度も自分に言い聞かせたのに忘れてしまった。そんな経験は誰にでも心あたりがあると思います。
(僕は高校の時奨学金の紙を毎日のように忘れて大学の奨学金が受けられなくなりました( ´∀` ))
忘れ物をしなくなるイメージとは?
例えば、学生時代なら先生に「大事な紙をきちんと提出している」というイメージを作ります。
「○○ない」という否定的なイメージではダメなので肯定的なイメージを作ります。
他には「質の高いレポートを出して褒められ、うれしい」というイメージを持ちます。
このような、感情を付け足すとなお強いイメージを作ることが出来ます。
感情を付け足すにはその場にいるように臨場感をもってイメージしなくてはいけないからです。
それに感情を伴った記憶は残りやすいからでもあります。
ただ何も感情が動かない事(例えばいつもやっていること)よりも、最高にうれしかった事(ずっと欲しかったものがようやく手に入ったなど)、本当に怖かった事こういう感情が動いた事の方が鮮明に思いだせます。
これを使えば鬼に金棒
以上のイメージを使うだけでも充分なのですが、本当にちゃんとしたイメージを作るにはコツがいります。これは一人ひとり違うのですが、このためすぐには使えない人もいます。(僕もすぐには使えませんでした)
コツをつかめばすぐなのですが、それがまだ出来ない。今すぐに忘れものをなくしたい。
イメージが弱いと効果も弱いんです。
イメージを使ったけど、忘れ物をしてしまう。
そういう人は「トリガー」を作ると、良いです。
忘れ物をしてしまうのは、忘れてはいけないものを思い出せないからですよね?
なので自分で○○を見たら、○○したら、忘れてはいけないものを思い出そうと決めます。
この○○がトリガーです。
具体的には、家についてカギを閉めたと同時に、明日学校にもっていく宿題を思い出そう(やろう、カバンに入れよう)と決めます。
他には今日帰ったら7時から面白い番組が始まる、そしたらあれを思いだそう(やろう)。
と未来にトリガーを設定するんです。
これだけで忘れ物がなくなるの?と思う方もいるかもしれません。
しかし、自分の降りる駅名をトリガーにしている人は、たとえ寝ていたとしてもそこで起きて、降ります。
寝ている時に出来るのですから起きている時はなおさらできます。
このようにトリガーを設定すれば、トリガーに触れる(する、見る)だけで忘れものがなくなるんです。
まとめ
忘れ物をなくすには
・忘れ物をしていないという状況を、肯定的なイメージで、感情をプラスして、臨場感MAXで持つ。
・トリガーを作る。
この2つで驚くほど忘れ物はなくなります。