本日のブログは、
2018年に書いたブログと内容は同じです。
今年(2024年)に入り、
いつまで続くかわかりませんが、
スローに、
少しづつブログを再開しています。
再開理由は、
多々あリます。
その中に、
今回取り上げる、
過去にいただいた内容と同主旨のメッセージを受けることが、昨年末から続いています。
本日のブログは、
その時書いた思いを、
再度アップしたいと思います。
ありがとうございました!
今月に入り、
闘病しながら、
僕のブログを、
ずっと読んでくれている人、
ここ最近、
熱心に読みはじめた人が、
それぞれの闘病を終え、
人生の終焉をお迎えになっていらっしゃる…ようです。
そのようなお知らせが続いています。
ご家族などから、
メッセージで「〇〇は、絶望の中であなたのブログに出会い、希望を持ち、最後まで頑張っていました。ありがとうございました」とか、
「〇〇の笑顔を見ることが出来たここ最近でした……」等の感謝の言葉をいただきます。
複雑です……。
………。
………。
………。
考えてしまいます。
亡くなったかたは、
本心は本当は、
そうだったのかなぁ?……、
無理にまわりの人にそう見せていたのではとか?
実は、
周りの人がそう感じているだけだったのではとか?
家族は、その様に思っていないとやりきれなかったり……。
わからないです。
本当のところはわからないです。
僕がわかることは唯一、
その人たちが読んでいたということだけです。
僕のブログを読んで、
その方たちが、
自分も……と思い、
無理をしていたのかも知れないとか……。
書き手の僕には、
切なく心痛い気持ちになるような事でもあります。
だって………、
僕は、
滅茶苦茶無理していますよ。
このブログで綴られる僕の現状況は、
僕自身の決断と、
自分自身の生活と社会環境で、
そうしなくてはならないということだけなのです。
僕は、
残念ながら、単純すぎる退屈だけれど、身体を使うサラリーマンとして、創造することや、やりがいや生きがいを無にして、働かないと生きるための治療は中断となります。
また、
闘わないと、
この様な目にあったことへの落とし前がつかないからです。
人が生きていく上での選択は、自身が置かれている環境や状況など、複雑なものや、意外とそうでないもの等が絡みあいながら、
最終的な自分自身が自分で決断していかなくてはなりません。
厳しいことです。
しかし、
どの生き方の決断をしても、
それが正しいと思えることは、
無いと思われます。
ただ、
どのような生き方の決断をするにせよ、
願わくば、
僕の読者は、
僕より一分一秒でも長くこの世に存在してください。
無理をしないで、
無理に笑わないで、
このブログを読んでいる時間だけは、
苦しい顔を人に見せない努力などせずに、
読んでくださいね!
ファンなら僕より長生きしてくださいね!
そして、ご家族よりお知らせのあった貴女、貴方…へ
よく頑張ったね。good night.