旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

死ぬ事すらもカスリ傷 輪廻編

2024年03月27日 | 日記



今回は、
死の捉え方に関して書きます。

笑いが必要とか言っときながら、
開き直って、
ド真面目な話題です。

結論を先に言うと、
生きる事に関してですな。

「オメーごときが言うなよ」と怒られるでしょう。

単なる、
自分に対しての書き留め事です。

間違っていたり、
考え方が違っていたりするかもしれません。
ご容赦くださいませ。

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少し前に、テレビで安楽死に関して特集が放映されていた。

よく放映したと思う。

難病を患い、
スイスでの自死を求めて渡航し実施する人や、
直前で考えを変える人、
または、
同じ難病を患いながらも、
生きる選択をして考えを広める活動をしている人

そういった人々を、
ドキュメンタリー形式で撮影していた。

その後の反響をネットで見る範囲では、
反響はすごく大きく、
様々な意見が飛び交っていた。

あるサイトでは、
多様性AIなるものがピックアップした意見は、
安楽死の「議論」の必要性を訴える意見を
選抜してもいたが。

何日か経つと、
次から次へ湧き起こる世間の話題の中に埋もれ、
その話題は消え去ってしまった。


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死後の事、死んだらどうなるかは、
考え方や信じ方は人それぞれでしょう。

チベット仏教では輪廻転生という考え方がある。

チベット仏教では、
全ての生きとし生きるものは輪廻転生するとなっていて、
「肉体は死んだとしても、生まれ変わって、永遠にその魂は続きまっせ」と言うらしい。

つまりは、
再スタート

六道輪廻(ろくどうりんね)と呼ばれる、
神・人間・非神・地獄・餓鬼・畜生
(または、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)という、
六個の生まれ変わり先が存在し、
そのどこかに生まれ変わるのですな。

それがグルグルと周り続け、魂は不滅という訳でして。

正確には、
トゥルクやヤンシーと呼ばれる存在の様に、
人から人へと自在に生まれ変われる存在も信じられているけど。

いずれにしても、
現世での
再スタート(厳密には魂の延長線上だが)となる。

チベット仏教上、
「魂のゲーム・オーバーは無い」という考え方でござるな。

そう、
多くの場合、
喜びと共に苦悩に満ちた生が再スタートとなる。

例え、
バッタに生まれ変わったとしてもね。

厳密には、
ニルヴァーナ(ヒンドゥーや仏教等でも)、涅槃、と呼ばれる、
輪廻からの解脱、があると思うが、
それを話し出すと話が複雑になるんので、
ここでは一旦、置いておきましょう。

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一方で、
「死んだらそこで終わり」という考え方がある。

現代社会では、それが一般常識であろう。
特に現代の先進国では。

簡単に言ってしまうと、
医学的見地?に基づいた、
「肉体が完全停止したら終わり。その先は無いっしょ」的な
考え方ですな。

まぁ、
古代エジプトとかでも死後の世界感とか、
日本でも多くの国々でも、
お墓とかお盆とか、
色々な儀式等で、
形式上は死後の世界を意識した行為が実在しているし、
世に無数にあるスピリチュアル的な様々な考え方も
色々とございますが、
現代での一般的な価値観では、
「死ねば、あの世に直行で、そこでエンド」

実際、
「死ぬことが最終」と考えてるだろうね。

それが普通だろう。

だからこそ、
「一度きりの人生」という言葉や価値観が、
大いに支持されているのかもしれない。

そこには、
「死=終わり」と言う概念が根付いているのだろう。

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ここでは、
「魂の不滅か、死んだら全部終わり」の
どちらが真実かを論じたいのではなく、
実務的に、
日常生活において、
どっちを
信じる(または重きを置く)方が、
楽(または役に立つ)のでしょうか?と言う話です。


現代社会での人生は一度きりとした時、

「一度きりの人生、だったら思いっきりやろうや」

とも、ポジティブな面では考えられるし、

「一度アウト(死)すると全ては終わりだぁぁ、恐ろしい」

とも考えられる。


もし生きる事が苦しいのであれば、

「終われば(死ねば)楽になれる」

とも考えられる。



一方のチベット仏教での輪廻。

「死んでもまた始まるんだから、思いっきりやろう。善い行いもしちゃおうかな」

とも考えられるし、

「この苦しみがまた始まり永遠に続くんでしょ、やってらんねぇぇ」

とも考えられるかもしれない。



いずれにしても、
「死」を一定の境にしているのは共通する事であろう。


ぶっちゃけさー、
死んだら実際どうなるかって誰も知らんでしょ。


でも、例えば、
僕らの手元にゲームが二種類あるとしましょう。

一つは、
一度使って、ゲーム・オーバーになると、
二度と使えないゲーム。

もう一つは、
ゲーム・オーバーしても、
何度も再スタートできるゲーム。

どちらを選びますか?


人生をゲームに例えるのは適切では無いかもしれませんが、
僕であれば、
後者を選びます。

しかも後者のゲームには、
涅槃という最終ゴールが設定されています。
そして、
そのゲームは永久に続けられます。

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基本的に、
多くの人々にとって、
人生は苦難の連続でしょう。

「あ〜、あんなに悲惨な事があった」
「人間関係が苦しいぃぃ」
「つらい事ばかりやがなー」
とかとか無限に苦しみや悩みや疑問は生まれます。

もちろん僕だって、
悩みや苦悩は溢れるほどあり、
在庫過多で倒産するほどあります。

「良い生き方してるね」とか
「旅を楽しんでるね」とか
よく言われます。

しかし、
もちろん、
実際にはそんな気軽な事ではなく、
悩みは絶大な苦しみとして、
僕に覆いかぶさってきます。

海外の安宿で、
悲しみや、
苦しみ、
溢れ出る様々な感情を、
外に聞こえないように、
枕に顔を埋め、
大声で叫ぶ時もあります。

もう発狂寸前よね。


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「死んだら楽になれる」

よく聞く言葉です。

「死ぬ事以外はカスリ傷」

有名な台詞です。

それは逆を返せば、
「今、生きている事は辛い」のを感じているのかもしれません。


公的な心の相談窓口は、
多くの悩み、
自らの命を絶つ事の相談がとんでもない数、寄せられるので、
繋がらないらしく、
そこで先日、
知人の友人が個人的に、
「命の電話」を開設したと聞きました。

心の悩み、
命の相談電話ですな。

今、
その電話は鳴り止まないそうです。

僕自身も生きてきて、
近くで、
自ら死を選んだ人々の話は聞いてきました。

これは異常な社会状況なんだけどね。

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そこで僕は想うのです。

死を、
絶対的な最終ゴールをしちゃうとさー、
生きる価値観に固執しちゃう気がします。

そして、
それはある種、
もっと自分の心を苦しめる(追い込む)かもしれません。


僕の死の捉え方、
捉えようとしている方法は、

「死んだって、どーせ、また始まるんでしょ〜
現世の細かい事なんか気にしてられんよ」

です。

つまりは、

『死ぬ事すらもカスリ傷』

です。


「あー、すんごい失敗しちゃった。でも次の世界では上手くやりますよ」程度ですな。

そう考えると、
良い意味で、
どうでも良くなる時があります。

僕の場合、
現世を一度きりの絶対的な出来事として考えると、
失敗せずに上手くいく幸せ、を考え過ぎちゃいます。

他人と自分を比べる、
幸せ迷子にもなりがちです。

しかし、
もし、死んでも再スタートすると捉えるならば、
今の苦しみすら限定的な事かもしれません。

そう考えると、
アホらしく思える時があります。

まぁ、チベット仏教ベースですが、
それには、
魂の苦しみは解脱するまで永遠に続くって考え方も付随しますが、
それまで信じてしまうと、
無理ゲーを永久に続けるようなもんです。

僕は都合よく良いとこ取りをしたいです。

だって、それは自由じゃん。

ぶっちゃけ、
死生観なんて、
自分勝手に信じ込んだもん勝ちよ。


基本、
人は、
善い行いだけをして生きる事は、
不可能だと僕は思っています。

そもそも、
善い悪いの基準すら人によって決められ、
曖昧なものだと僕は思っています。

自死や安楽死すら、
今の時点では、
いや、少なくとも
全員に共通する、
「善悪の真実」なんて分かりゃしないと思うのです。

家族や親しい人々など、
「現世に身を置く側からの見解や感情」、
それらが、
自分自身と安楽死という行為を複雑にしているかもしれません。

安楽死に関しては、
国によっても国民性によっても違うのだから、
尚更ですよ。

死んでも、
また始まるから。

次の世では、
きっと上手く出来るよ。

現世の人生の展望がなく、
または辛すぎるなら、
究極論、
死んだって良いかもしれない。
だって、
価値観は人それぞれです。
それを家族や
愛する人達ではない人が、
こうだと断じる事はできない、
あくまで、議論にとどめるべきだ、と僕個人は思っています。

しかしながら、
今、悩んで死ぬより、
この今の世の命で、
得な考え方を選んで気軽に、
自分勝手に生きた方が良いかもね、
とも考えています。

命に向き合うってのは、
非常に重い行為と思想でもあるだろう。

でも、
だからこそ、
今の社会に置いて、
あえて、
時には、
そんな軽いノリで良いんじゃないのかしらね。


そんな事を思うのでした。



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