こんにちは、絶學無憂です。

 

本田晃一さんのネットラジオが始まっていますね。さすがの、ゆる〜い感じで。


 

背伸びをせず、ありのままでいるといいんだよー、というお話。

 

 

実は先日、勤め先のイギリスの大学で講義の仕方についての講義を受けたのですが、これが予想外に素晴らしい内容で、その中に同じ話がありました。

 

その講師の方は、初めて教壇に立った頃、たいへんな体調不良で病院にお世話になり、ところがどこも悪くないと言われてとても困ったそうです。生徒からの質問に答えられなかったらどうしよう、などと悩んでいたそうですが、ふと「自分はこのままで前に立っていいんだ」ということに気づいた日から、すっかり元気になり、それまで辛くて仕方なかった講義が、喜びに変わったそうです。自分は背伸びをしないと人前で話すには値しない、という思いが頭の中にあって、それがこの精神的、肉体的な苦しみを生んでいたそうです。

 

 

私自身は、人前で話すことが苦にならなくなってから久しく、多くの日本人研究者が苦手とする英語での講演も大好きで、英語で徴収の笑いを取るのが楽しくてしょうがないのですが、「パンツを脱ぐ」ということを意識するようにしています。

 

もちろん本当に脱いだら警察が来ますよ。喩えです、喩え。

 

 

思い出すと、エヴァンゲリオンやシン・ゴジラで有名な、私の大嫌いな(笑)庵野秀明さんがある時、かつての上司でもある、宮崎アニメを評して、「パンツを脱いでない」と批判していました。だからつまらないと。

 

「宮崎さんは…昔はよかったんですけれどね(笑)」
「一般向けのつまらない日本映画の仲間入りをしてしまいましたね。僕はもう物足りなさしか残らないですけれど。『トトロ』は良かったですけれど、そのあとはつまらなくなった」
僕の感覚だと、(宮崎は)パンツを脱いでいないんですよ
「『もののけ姫』では期待している。いくら小さいとはいえ、やっぱりチンチンを立ててもらわないと」

庵野秀明

ふしぎの海のナディアも、エヴァンゲリオンも、シン・ゴジラも嫌いなので(といいつついずれも見てますが)、本当にこの庵野秀明という人の作る作品は嫌いなんだなあと思うのですが、この「パンツを脱げ」という言葉はいいなあ、と思った次第。

 

普通人前に立つときは、身を守ろうとすることが多いと思います。不安を感じて、他人からの攻撃に備えて、鎧でも着て前に立ちたいと思う人が多いのではないでしょうか。

 

パンツを脱ぐというのはその逆を行くわけです。敢えて、自分の一番恥ずかしいところを見せたるぞ、生まれたまんまの姿を見てもらうぞ、という設定で前に立つのです。

 

生まれたまんまの姿、ということは赤ちゃんですが、赤ちゃんが前にいたら、いじめようとする人はあまりいませんね。いたらその人は人でなしなので相手にしなくて良いでしょう。

 

不思議と「パンツを脱ぐ」設定で前に立っていると、あまり人から攻撃を受けません。仮に受けたとしても、もう○ン○ンをご覧に入れているくらいですから、だからどうした?というくらいの気持ちで対応できます。

 

また「パンツを脱ぐ」設定で前に立つと、冗談が決まりやすいようにも感じます。無邪気にアホになれるんですよね。だから相手も思わず乗せられて笑っちゃう。

 

 

普通の研究発表や講義だとこの設定でほとんど大丈夫なのですが、就職面接のときには勝手が違うので、どういう設定で臨むべきかよく分からないまま、つまりパンツを脱がずに発表したところ、記憶にある限りほとんど初めての経験ですが、自分の声が震えるのが分かりました。「自分を良く見せよう」という設定だったのです。上等なパンツ履いて、背伸びしてたわけです。

 

ですので緊張しようと思ったら、実際よりも自分を良く見せよう、という設定で臨むと良いです。本田晃一さんの言う通りですが、この設定では失敗ができなくなりますから緊張することマチガイナシ!

 

 

なんてことを思っていたら、こんな本も出ていました。表紙の絵のせいでアダルト指定されていますが、エロ本ではありませんよ。残念だったね。

 

 

原田翔太著「ノーガードフルチン戦略: ~心のパンツの正しい脱がし方~」

 
二年前ですがこの本のレビューも書いてますからよければ読んでくださいね。と言いながら転載してしまおう。だいたい同じ内容ですね。考えることは変わってません。
 
数年前のことだと思うが、エヴァンゲリオンで知られるアニメ監督の庵野秀明が、師匠に当たる宮﨑駿の映画作品を評して、「パンツを脱いでいない」と語っているのを読んだ。私は宮﨑駿と彼の作品を崇拝しており、エヴァンゲリオンは一応テレビシリーズを全話見たものの心底大嫌いで、庵野氏も好きではない。ネットで探してもらえばすぐに出てくると思うが、彼がこのパンツの話で語っている言葉は下品というより下劣である(本書についてもそのような批判が多いようだが、本書の比ではない)。やはり私はこの庵野という人が心底嫌いである。なのだが、この言葉だけは脳裏に刺さって残った。

気が付くと、このところ、人前に立って発表、プレゼンをしたり、スピーチをしたりする場面で、「パンツを脱ぐ」ことをいつも意識している自分がいる。かなりのピンチに追い込まれてやらねばならないようなプレゼンでも、「パンツを脱ぐ」と、なぜか後で聞いていた人から褒められることが多い。そして少しでも余裕のあるような発表の機会があれば、そこへ笑いを持ち込みたくなる。お固い学会会場で爆笑を取ろうと思うと、かなり際どい勝負となり、そういう笑いを仕込んで発表会場へ行くと、もう当日の発表前は、本題の重要な内容など飛んでしまって、そのネタが本当に受けるかどうかだけを捨て身で心配している。すると、なぜかそれがうまくいってしまう。話がうまいですね、と褒められる。そういうことが続いて、「パンツを脱ぐ」覚悟が大事だと我が身を持って認識するようになった。

そこへ来てこのドンピシャの題名である。しかも評判が良いらしい。いかに下品に見えようとも読まないわけにはいかないだろう。そして読んでみた。一体何が書いてあるのだろう、自分が思っていることと大体同じなのだろうか、それとも表現がたまたま似ているだけで似ても似つかないような話なのだろうか。

「心のパンツを剥いで、脱がしていった先にこそ等身大の自分がある」

「誰々がこういう実験をした結果、こうなったそうです。」とか。「〜だそうです。」みたいな話って本当に眠たいよな。」

我が意を得たり、と大いに共感するに至った。下品に見えるタイトルや表紙、言葉遣いに惑わされている人も多いようだが、そういう人はまあ言ってみれば、「パンツを履いている」人である。本書はたった一日で書きなぐるようにして書かれたそうだが、いかにもパンツを脱いだ人の文章だ、という気がする。

「これをやった場合と、やらなかった場合、どちらが死ぬ前に後悔しないだろう?」

「どっちを選んだら死ぬ時後悔しそうだろう?」

これなどは有名なスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式でのスピーチにも通じている。

Remembering that I’ll be dead soon is the most important tool I’ve ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure — these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

自分がもうすぐ死ぬということを覚えておくことは、人生において大きな選択をする際の助けとなる、私が今までに巡り逢った道具の中でもっとも重要なものだ。ほとんどすべてのこと、すべての外部からの期待、すべての虚栄心、すべての恐れや恥、失敗、これらは死を目前にするとただ倒れ去ってしまい、真に重要なものだけが残されるからだ。自分がもうすぐ死ぬということを覚えておくことは、何か失うものがあると考えてしまう罠に陥らないための私の知る限り最高の方法だ。君はもう裸になっている。真心に従わない理由など無い。

「言葉によって人生を支配されているわけだよ。その言葉によって「それらしくあろうとする」っていくことに甘んじちゃうんだ。」

「あらゆるラベルは、言葉はノイズでしかないんだ。」

表現の仕方が全く異なってはいるが、これなどはエックハルト・トールが「ニュー・アース」で唱えている教えや、スマナサーラ師の紹介する原始仏教のブッダの教え、あるいは雲黒斎氏が「あの世に聞いたこの世の話」で紹介しているような話へと通じている。瞑想によって自我の防御の壁(つまり、パンツですね)を薄くして、今ここの自分のあり方(パンツの中にあるものですね)に立ち返れ、という、スピリチュアルな真理にも通じているように思う。この本の見かけでだまされるとこの本質的な部分が見えなくなるだろう。著者は恐らくこのような先人の本から学んだのではなく、実体験の中からパンツを脱いでいくうちに、このように考えるのに至ったのだと思われるが、向かう方向は同じであると感じる。

即興で書かれているだけにニュー・アースのような格調はないが、却って本書のような一見ふざけたような書き方の本のほうが、同じ内容でも心に刺さりやすい、という人もかなりいるのではないかと思う。だからこそのこの高評価なのだろう。新しい出版のあり方としても非常に面白い試みだと感じた。