御縁起:越後三十三観音霊場 公式ホームページより引用
創立年代は不詳、長い間、寺運衰微のところ承応2年(1653)僧良快の中興に依って寺運を挽回するを得た。
観音堂に安置する十一面観世音菩薩の木像(一尺三寸の白色座像)は聖徳太子の御作と伝えられている。
上杉謙信・景勝公、当国を領せし折、その家臣本庄重長此の郷の守となりてあつくこの尊像を信仰したが、その後新津城主丹波守勝資、以降代々城主が帰依渇仰した。観音堂の在る地を光明山、また五明山と名づけ祈願所となっている。
普談寺(ふだんじ)
(越後三十三観音霊場 第三十番)
新潟県新潟市秋葉区朝日2503
創立年代は不詳、長い間、寺運衰微のところ承応2年(1653)僧良快の中興に依って寺運を挽回するを得た。
観音堂に安置する十一面観世音菩薩の木像(一尺三寸の白色座像)は聖徳太子の御作と伝えられている。
上杉謙信・景勝公、当国を領せし折、その家臣本庄重長此の郷の守となりてあつくこの尊像を信仰したが、その後新津城主丹波守勝資、以降代々城主が帰依渇仰した。観音堂の在る地を光明山、また五明山と名づけ祈願所となっている。
普談寺(ふだんじ)
(越後三十三観音霊場 第三十番)
新潟県新潟市秋葉区朝日2503