御縁起:越後三十三観音霊場 公式ホームページより引用
延暦20年(801)征夷大将軍坂上田村磨の開創で、僧延鎮作と伝えられる御丈四尺二寸の千手観音は、京都清水寺の観世音と同木といわれている。
田村磨は、奥州に勢力を持つ高丸という逆賊を退治して帰京するおり、この地に休息をし、再び出発しようとすると、不思議にも観世音は盤石のごとく動かなかった。
田村磨将軍は、ここに一宇を建て、観世音を奉安し、家来の伊勢ノ平氏、友重等を守り役として残し、帰京した。
その名残りで、この周辺の地名は伊勢平治、友重となったと伝えられている。
長徳寺(ちょうとくじ)
(越後三十三観音霊場 第十番)
新潟県十日町市友重170-1
延暦20年(801)征夷大将軍坂上田村磨の開創で、僧延鎮作と伝えられる御丈四尺二寸の千手観音は、京都清水寺の観世音と同木といわれている。
田村磨は、奥州に勢力を持つ高丸という逆賊を退治して帰京するおり、この地に休息をし、再び出発しようとすると、不思議にも観世音は盤石のごとく動かなかった。
田村磨将軍は、ここに一宇を建て、観世音を奉安し、家来の伊勢ノ平氏、友重等を守り役として残し、帰京した。
その名残りで、この周辺の地名は伊勢平治、友重となったと伝えられている。
長徳寺(ちょうとくじ)
(越後三十三観音霊場 第十番)
新潟県十日町市友重170-1