前回記事のつづきで 長文・妖しい話です。
三上義弘さんが撮影した写真集に映る鹿や猿たちは 至近距離から撮られたものが多く あとがきには何度何度も金華山に撮影で通い 山中で休憩して”伝六豆”を食べていると 肩をトントンと叩かれて振り向けば 猿が「豆をくれ!!」と手を出していた。と書かれてありました。
先日の誕生日の電話の際 その話をしていて ふと思い出したのが2008年10月 山頂の案内役をお願いして島を巡ったときのこと。
その日が決まる少し前から 私の夢の中に また「使いの黄金龍神」から"巨岩石の映像"が 送られて来るようになり 「巨岩石の根元が楔形に欠けて崩れている。 それで弁財天様が立ち寄り辛くなっている」と 脳内に直に語りかけても来てました。
金華山の由緒書には"弁財天様は八代龍王神の背に乗って降臨"と書かれているのですが 果たしてその巨岩石が島内にあることも まして巨岩石の根元が崩れていることも 私には知る術がありません。
要は ”崩れた箇所に何かしらの手立てをしてほしい” の旨だと思ったのですが 何をどうすれば良いのかが解らず 夢を通して自問自答をすると 翌日にはその答えやらヒントなりが送信されて来る感じでした・・・?!
最終的には”キーワド&ツール”を 巨岩石を強固にしてほしい」を読み解く能力者にであれば 誰でも良かったのかもしれませんが・・・。
そのときも三上さんに連絡して「巨岩石のこと。 その巨岩石の根元が崩れていないか」をお尋ねすると 「天柱石は山頂を東に下った場所にあります。
しかし天柱石の根元が崩れて グラついているとは聞いたことはなく あの石がグラつくことは考えられない」とも言われたのです。
更に私は 言葉を重ねました。
「黄金龍神が 三上さんを先達役に頼んで入山しろ。 天柱石までの道のりを案内をして貰え!! 日程は三上の都合に合わせろ!!」と言ってますが。とも伝えました。
当時60代の三上さんには20年ぶりの登頂となり お母様の喪が明けた100日過ぎの2008年10月12日に入山を決めました。
三上さんを先達役にして 北海道からその年2度目の島渡りをする私・仙台の妹、妹の友人の福島のヒーラーの4人です。
※ 2008年10月12日の金華山登頂中の三上さん
その頃 日頃運動をしている訳でも無い私は 何処の聖地に行っても元気で 久しぶりに入山した三上さんが 道に迷いそうになったときには
「この上を少し登った所に道があるはず。そっちの方角に行きましょう」の言葉が 上から降っ来てサポートして貰いました。
とある場所で先頭を歩いていた三上さんが 私に気を使って先頭に立たせてくれたのですが たちまち呼吸がしにくくなり足元が重くなりました。
目には見えない金華山の穏やかな空気が 音も立てず静かに静かに閉じて行く気配が感じられて それを察した私は 山がこの場所に初めて足を踏み入れた私たちを警戒して 閉じかけている・・・。
三上さんには前を歩いて 山の気配を開いてほしい」とお願いして再び交代したことがありました。
何十年ぶりであろうとも 金華山の山は三上さんを受け入れて 山の周波数と同調できる人間として信頼していたのでしょう。
黄金龍神が「三上を案内役に頼み 三上の都合に合わせろ!!」と伝えて来た意味が ようやく腑に落ちました。
天柱石の根元は 私の夢に送信された映像通り 楔形に崩れていました。
ここでのミッションを終了後 3年間はこの島には来ることは無いと私は語り その間に 東日本大震災が起きました。
黄金龍神様から告げられたお役目で動いていたつもりが 震災後の金華山や故郷・鹿折地区の被害の惨状を目の当たりにして 巨大津波を避けることが己の不甲斐なさで出来なかった私は苦悩しました。
三上さんは「自然界の災害を 一人の人間が何とかしようと思うことこそが 不遜な考えです」と諭してくれました。
20017年5月女孫が生まれると知り 黄金龍神の秘儀神事が執り行われる日 に 北海道から金華山に渡ることにしたのですが 海が荒れて船が出航しなくて頓挫しそうなた時 奇跡的な成り行きで渡りました。
島に到着直後 天柱石が気になって一人で山に登ると 辺りの岩や樹木が倒れていても 天柱石は存在していました。
その翌年 「天柱石は縦に割れて崩れた。」と 離島していた三上さんより聞いています。
帰り際 その日間もなく埋めれる女孫のために 社務所で芸能の神様"弁財天のお守り"を求めました。
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