虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

孫・花ちゃんの涙崩壊で 緊急出動

 夫の心臓手術後 復活勤務した日の夕方 珍しく長男からline電話があり 出てみれば 孫・花ちゃん(7歳)が 「エーン!!エーン!!」と大音量で泣いているではありませんか。

「どうしたの?」と問いかけると

花「大好きな担任の先生が 別な学校に行ってしまう。居なくなるの~」と必死に訴えてきます。 

そう言えば前に 長男夫婦が「新一年生に入学して 子ども大好きオーラを発するナミ先生のお陰で  花ちゃんが学校嫌いにならずに済んだ!!」と 口を揃えて感謝していた先生が転任!?そりゃ大変。

 

午前中の修了式後に 子どもたちへ先生から伝えられたらしく 学校からそのまま学童保育に行く花ちゃんは 大きな悲しみを抱えていて 長男がお迎えに行き家に着いた途端 溜めていた涙がブワッーと崩壊。

 

父親の長男がそばにいて「ばばなら 花の気持ちを理解してくれるから 電話をかけてごらん」と なだめ役を振ったらしく ビデオ電話に切り替えても 花ちゃんの泣き声は止まりません。

孫の悲しみがスマホの画面越しに伝わり 胸苦しくなった私が ”そうだ!! 私たちは 直ぐに孫の元に駆けつけられ場所に住んでいる!!”と思いつき

「今すぐ花ちゃんの所に行くので 待てる?」と聞けば 「待っているから 来てちょうだい」と 健気に答える花ちゃん。

夕食前に お風呂に入る準備をしていた夫を急き立てて 15分後に花ちゃん家に到着。

 

朝早く家を出て 遅く疲れて帰るお母さんが帰宅するまで 悲しみに耐えられなかったと察しました。

甘々ばぁばの私は 泣きじゃくる花ちゃんを抱きしめて「悲しかったんだよね。いっぱい泣きなさい。いっぱい涙を出しなさい」と 呪文を唱えるように ずっと背中を撫でるだけでしたが。

最初に悲しみを告げたいお母さんは 今週特に忙しくて不在。

 

今年春 長男家では花ちゃんの小学校入学と同時に お母さんの勤務が朝5時半あり・残業・会議頻繁の職場に変わりました。

花ちゃんは 自分が淋しい気持ちになる夕暮れに お母さんが仕事で他の子と一緒にいることも知っていて 口にも出していました。

在宅ワークのお父さんが 最近電話応対や出張が多くなり 淋しさが増していた所に 大好きなナミ先生まで学校からいなくなることが 耐えられなかったのだと思います。

 

花ちゃんは 崩壊した涙を1時間かけて放出して やがてお腹が空き お父さんが作った焼きそばを平らげて 完食を見届けて じじとばばはお暇をしました。

職場へ移動願い出して受理されたお母さんの帰宅は それから3時間後で 花ちゃんの涙は乾いていたとか。。。。

  

       

               ※ 我が家の孫コーナー

 

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夫の心臓手術から3ケ月を経て ~結~

            

 夫(73歳)の難心臓手術を控えて 40歳過ぎの長男長女が 近い所に世帯を構えていても 当日手術室前で様子を見守るのは私であり その場を離れるときは「必ず病院スタッフに声がけを」と言われ 全ての同意書に署名をしたのは妻の私の名前。

「仕事が忙しいので 朝病院までは送るけど」と言う  長男の連絡先は次の欄。

 

長男は仕事で 長女は兄を差し置けない理由なら それも仕方が無いことと受け止め 夫以外の家族にエネルギーを使うつもりもなく 一人で手術を見守る覚悟でいました。

 

それでも気がかりがあって 手術数日前に 長男に電話を。

「仕事が忙しく 手術室前で待機できないのは仕方ない。けれど緊急事態が起きて 何かを決断しなければならないとき 私は目の前の夫の状況に集中したい。

たぶんあなたへの連絡は 全てが終わってからになると思う。 それから妹へ連絡をしてほしい。そのことを了承して」と伝えました。

手術当日 長男はようやく確保した家族控え室に パソコンを持ち込んで仕事をし 手術が終わってからのICU面会にも一緒に行ってくれました。

 

東日本大地震が発生して 実父の一分一秒を争う安否確認の瞬間 妨げになったのが身内を心配する家族からの問い合わせ電話。

あのときの想いは 二度としたくなかったのです。

 

執刀医からは「手術が7.8時間で終了したら 順調だと思ってほしい」と言われていて 本人の気力・体力が維持できて 6時間半で無事終えて 予定の2週間で退院ができました。

 

アルバイトに復職できた夫が ポツリと「オレ S先生の手術を受けていなかったら 正月は越したかもしれないけど 雪解けの今頃 危なかったかも・・」と言っていました。 

心臓のW手術を成し遂げてくれた執刀医S先生の手腕に感謝しています。

 

唯一話した相手は 奇しくも数ヶ月前に 実母が心臓と動脈瘤の同時手術を受け 神戸へ毎月帰省していた花友。近くに居てくれて感謝です。

 

手術中にドキドキエピソードもあったし 退院後の養生期間に 相変わらずの"夫婦小競り合いもありました。 

いつかその辺を 綴ることが出来ればと思っています。

 

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夫の心臓手術から3ケ月を経て ②

 

           

 夫(73歳)が一昨年前「健康検診」で 心臓の要検査となり精密検査を受れば 年一度の経過受診と言われました。

翌秋の検診では 自覚症状は無いのに異常数値が見つかり 外科の先生から「病状は重症。治療は手術のみ」の診断が。。。

 

術前検査の予約が取りにくく  通常はMRI・CT等の検査で約3ケ月要し 結果次第では 更に延長はよくあることのようで

脳裏に”今回の年末年始は 大型連休のはず” ”最悪の状況を回避するには早々に"と思い 術前検査を数回に分けて予約し 検査結果も問題が無くて 手術には約2か月間で臨めることに。

 

手術を受けると決めてからは 孫たちとは風邪やコロナ感染を避けて面会禁止 子どもたちにもマスク着用・短時間滞在を義務付けて 夫の健康管理を徹底。

 

手術1ケ月前に 執刀医S先生より私たち夫婦へ 難易度の高い手術となるため 馴染みの無い仮心臓や低温冷却 その他の医療行為や輸血リスクの説明がありました。

私はメモを取りながらも理解に努めて 手術を受ける夫は まさに心臓に悪い状況で聞いてました。

 

その晩 夫に問いかけました。

「私が最初に 手術をすることを決めたけれど もし止めたいのであれば手術を止めても良いんだよ」と。

「オレは 12月初めに手術を受けるつもりでいる」と答えたので このまま流れに乗ることに。

                           ~~つづく~~

 

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夫の心臓手術から3ケ月を経て ①

 

                                   

 今月初め 夫(73歳)の動脈瘤と心臓の同時手術から3ケ月が過ぎて 執刀医S先生から「順調に回復しています」のお墨付きを頂きました。

 

ことの発端は 一昨年前に遡ります。

「市の健康検診」を夫が受診をすると ”心雑音”があると診断されました。

これまでも何度か”心雑音”で引っかかっていたので "またか"と思いながらも 真面目な夫は 総合病院で精密検査を受けた結果 「”心雑音”はあるけれど年に1度受診して 経過を診て行きましょう」となりました。

 

1年後の昨秋 心臓内科の30代医師から「気になる数値があるので 1ケ月後に予約を入れて 心臓外科の先生にも診てもらいましょう」と言われました。

自覚症状が無い夫は「たぶん治療薬を飲むことになるだろう。一人で受診する」と言ってました。

 

しかし私には ”虫の知らせ”みたいな感覚があり 当日朝唐突に「外出先から病院に向かうので ロビーで合流して それから外科の先生の診断を聞きましょう」と言いました。

 

・外科医S先生「動脈瘤が膨らんでいます。心臓弁の一つが歪んでいて 血液が逆流しています」と 膨れ具合や逆流数値や画像を具体的に示して「病状としては 重症です」と告げられました。

この一年間の 早過ぎる病状悪化に戸惑いながらも「治療の方法は?」と私が質問すると「手術以外にはありません!!」ときっぱり。

「最近 心臓手術をする人が多く 検査や手術室の確保が難しくなっています」とお聞きした瞬間 「手術を受けます!!」と答えたのは私。

夫は下を向いて「もう少し考えてから・・・」とモゴモゴ。

 

S先生「奥さんが手術を受けますと言っても ご本人が承諾しないとね」と苦笑い。

私「夫を説得するので 手術日を決めて下さい。近いので術前検査には いつでも来ます」と こちらもきっぱり。

 

S先生「ではひとまず 12月初旬に決めましょう。入院は2週間」。

順調に退院すればクリスマスも 正月も自宅で迎えられる日程。

 

最後にS先生に「手術の執刀は 先生がして下さるのでしょうか?」とお伺いすると 看護師さんと秘書さんが 私の顔を見てソワソワした気がしたけど 当のS先生が「私が 手術を執刀をいたします。私で宜しいですか」と 笑顔で答えてくださいました。

 

まさか まさかの突然展開で 夫が心臓手術をすることになり 事前に外科先生のお名前も評判も知らずでしたが 年の頃は50歳前後 明確な病状説明と朗らかな声質に 何故か「この先生が執刀してくださるなら きっと手術は大丈夫!!」の安堵感はありました。

受診を終えて 次回の予約表を持参してくれた看護師さんから「いつでも手術の延期や 中止はできますので」の一言が添えられました。

                           〜〜つづく〜〜

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孫・雪ちゃんの仲良し男子は ママ友孫だった

            

 昨年12月 長女家の孫・雪ちゃん(5歳)の保育園発表会に行き 駐車場で開場待機をしていると 隣に長女の顔見知りママの車が止まりました。

長女曰く「雪ちゃんといつも遊ぶ 仲よしT一君ママが 助手席に乗っている。

運転しているのは ばばのお友だち”Jちゃん”の息子・K君だっ!」と言うではありませんか。

長女「後ろの席にJちゃんおばさんと T一君  その妹が乗っている」と言うので 久しぶりのJちゃんにご挨拶に行き お互いの孫たちが同じ保育園に通っていことを知りました。

その保育園は放課後 クラスが違っていても 同年齢が一緒に遊ぶカリキュラムらしく 雪ちゃんとT一君はお気に入り同士で いつも一緒に遊んでいたようです。

それで 長女がT一君ママも知っていたようなのですが。

 

Jちゃんと私は 子どもが同じクラスになったことは無いけれど 自分の子どもが通う学校の手伝いになれば出向き 要領の良いママさんたちから バザーや役員の仕事を押し付けられて いつも一緒だったママ友だったのです。

 

子どもたちが学校を卒業して 年2・3回同じような仲間4人で 飲み会やら温泉にも行っていたのですが 子どもたちが成長するにつれて 親の介護から始まり 子どもの結婚や未婚 引きこもりや就職・転職 出産やら不妊etcが各々あって コロナ禍前から集まらなくなっていました。

 

発表会日は 一言挨拶だったので Jちゃんに近況報告がてら連絡するつもりでいたら 2週間後の仕事の朝 バス停でバッタリ遭遇。

T一君のお誕生日&クリスマスケーキを 予約していたデパートに引き取りに行くとかで 孫にメロメロの様子。

私が可愛がって我がままになった雪ちゃんと Jちゃんが育てた気が優しくて芯の強いT一君の関係は かつての”ママ友”から”ばあば友”になった今 両家族公認の仲となりました。

 

いつも思うことですが 何十人も園児がいる中で 私とJちゃんの孫が仲良しになるとは不思議なことで 共鳴周波数によるものか ”縁の糸”の引き寄せの強さかと思います。

 

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東日本大震災から14年

 3月11日14時46分。

海辺に生まれ育った三陸の人たちは 14年間の苦しさや辛さを越えて 日頃の感謝と鎮魂の祈りを 海に捧げていました。      

気仙沼湾の入り口にある岩井埼は 東日本大震災で被害を受けた10か月後 残った松の木が年明けの干支・子龍に見えると話題になった場所です。 

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同級生の第八梵天丸さんが送ってくれた「気仙沼散歩」の50秒辺りに その岩井埼の”間欠泉”が 勢いよく潮を吹いている様子が映っています。

 


www.youtube.com

 

同じく同級生の藤村君から 目黒フェアに続いて開催された「気仙沼ありがとう祭」のリポートメールが届きました。

災害が多くなった日本では 縁ある土地と土地 縁が無くてもご縁がある土地と人が 繋ることが大事なのでは・・・と切に思っています。

    

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忘れたくても忘れられない記憶。

荒涼の地を歩いているのは 私一人。

 

震災から3か月後 北海道から東京へ出張し その流れで深夜まで新宿のネオン街で過ごし 翌日午後ようやく辿り着いた気仙沼駅から タクシーで巡った鹿折地区までの道のり。

これが同じ国で起きていることなのか!!!と・・・。

 

滞在中 実家がかろうじて残った者として 未曾有の大惨事を この目に焼き付けなければと気負って 昼も夜も彷徨った消滅した故郷の光景。

2011年6月 廃駅になった鹿折唐桑

 

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軽すぎるフライパンを買い替える

 数年前より 老いに備えて生活や身の回りで使う 道具の見直しをしてました。

その頃 いつも使っていた鉄のフライパンが重く感じられ 某メーカーのテフロン加工フライパン(25㎝・重量490g)を 手に持ったらとても軽かったので購入。

 

料理をしても 軽くて焦げ付かないフライパンが気に入っていたのですが 三口コンロの奥にある”やかん”に手を伸ばした時 フライパンに料理が入っていたのに ズルッとガス台の五徳から 滑ったことが幾度かありました。

たぶん2年前に 水回りをリフォームをした際 システムキッチンにセッテングされた 都市ガス台の五徳が細くて溝彫りの浅い型だったので フライパンと五徳が共に 横に外れやすくなったと思っているのですが。

 

そして我が家の間取りは 調理台の後方が 洗面所や風呂場に通じる動線にもなっています。

火を扱う台所なので 通常の大人2人がすり違える幅より 30㎝幅程広くしているのですが 体力低下気味の私たち夫婦や 活発な孫たちのことを考えれば フライパンの五徳外れは危険なことで 思い切って買い替えることにしました。

 

        

かと言って 重いフライパンをまた買えば 料理する気力が萎えている私が 炒め物などしなくだろうの想いもあって イタリア・”バッラリーニ”のガス専用フライパン(サイズ24㎝・重量620g)をアマゾンで購入。

底厚3・5㍉記載も テフロン加工4年間保証も納得。

フライパンの軽さを優先させて 安全性まで 考えが及ばなかったことを踏まえて シニア世帯の安全で使いやすい調理器具を求めようと思います。

 

nijinoringo.hatenablog.com

 

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