「よくわからないけれど」ということこそ、「ほんとう」だったりするということ | 内と外からあなたらしく生きる

「よくわからないけれど」ということこそ、「ほんとう」だったりするということ

●理由もなく、

なぜ申込ボタンを押したのか、

なぜそこに行ったのか、

なにを得たのか、

よくわからないということ。

 

●理由もなく、

なぜ涙が出るのか、

なぜ鼓動がするのか、

なんでモヤモヤするのか、

よくわからないということ。

 

●理由もなく、

なぜNOと言ったのか、

なぜ「ちがう」のか、

たまらなく身体が動かないのか、

よくわからないということ。

 

そういうものこそ、

「ほんとう」だと、

思うのです。

 

自分が感じたこと、

そのものが、真実なのだから。

そう感じた瞬間の、

ひとつひとつが真実。

がんばって、

理由を探さなくても、

ソレが真実(笑)

 

「よくわからない」けど、

あなたは、そのときできる

すべてをやったんだ。

 

「もっとこうしてれば

よかったかも」と思っても、

そのときのあなたが

そうしたのだから、

それが、世界に

たったひとつの、

リアルな真実。

 

そもそも、人間は、

目の前で起きていることの、

ほんとうの意味なんて、

どれだけ考えたって、

知らないのだから。

 

むしろ、そこに、

明確な理由があったり、

やる前から「わかる」

なにかがあるのなら、

疑ってみるといい。


「わたしの世界」からは

「想像なんてできない世界」

に一気に飛んでいけるから。

 

 

明確ななにかを定めたり、

明確になにかを計画したり、

明確になにかを分析したり、

してもいい。

 

ただ、その中で、

よくわからないときが、

でてきたとしたら、

そこには、あなたが

ずっと感じたかった、

「ほんとう」が密んで

いるかもしれない

という質感に触れてみたい。

 

「〜のためにやる」

「これがこうで

こうだったから

こうなんだ」って

「わたし」の枠で、

すっぽり収めてしまう前に。

 

人間は、

「わからない」ことが

恐い生き物なのかも

しれないけれど、

 

ほんとうの、

ほんとうに、

美しすぎて感動したり、

得たものが大きすぎたり、

あなたにとっての「ほんとう」

に出逢ってしまったときは、

 

それは、

深々としていて、

充ち満ちていて、

たまらなく胸がいっぱいで、

全身の細胞のひとつひとつが、

歓んでいて、

 

なにかを理解しようとか、

うまく言語化しようとか、

得たものがなんだったのか

分析しようとか、

を超えていて、

 

ただただ、

「これは至福なんだ」って、

「わたしはこれを

大事にしたい」って、

「わたしにはそれは

いらない」って、

あなたの深いところの

魂が「知っている」。

 

だから、

そういうときは、

「よくわからない」

その深海に、

身を浸しているだけでいい。

今起きていることの、

すべては、完璧だから。

 

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