大学生のころ、800円で購入した、中島みゆきの「寒水魚」弾語り本を

後生大事にもっていたのだが、そこから

初音ミクで歌わせてみたくなった。

低音は苦手なミクさん、まぁ、がんばった。

 

この曲は昭和57年。1982年、今から43年も前ということになるのだが、

自分の頭の中では、先日のこと。変な気分に襲われる。

 

もっとも、歌詞を読んでいくと、

時刻表が駅に掲示されていたり(今は無いところが多い)、

”ポルノショー”ということばがでてきたり、時代の違いも感じるが、

”評論家”のくだりは永遠に不変、今も一緒。

加えて最近はYouTube、インスタ、Xとさらに厄介。

さらに悪化して、迷える子羊が子羊を食らう2025年。

 

当時は、まだ過労死ということばが一般的ではなくて、

やるせのない、忙しい、無機質な日々に、社畜化して疲れていた。

バブル全盛の一歩手前。

 

何度も言うが、バブルを謳歌したのは一部の成金やぶら下がり人間、社用族達で、

大半は無縁。

私や新入社員など、給与も少なく残業も多い

バブル族に貢ぐだけの生活だった。

(いつ、あんなバカ騒ぎをしに行く暇と金があった???とTVのバブル賞賛番組を見るたびにおもう)

 

表現のまだ生まれていない時代に、漠然と感じていたもやもやを、うまく表現している名曲だとおもう。

当時は、それがわかったところで、

満員電車で汗をかくしかなく、ため息をつくこともできない人生なのだが。

 

さて、時代は変わったといえるのだろうか?

 

過労死という言葉は1970年代後半に医学者によって初めて使用されたが、日本社会で広く使用されるようになったのは、今から約30年前、80年代後半になってからである。

1980年代後半当時は「バブル景気」という言葉は一般に認知されていなかった[5]。「バブル景気」という語は1987年に命名されたとされる。野口悠紀雄は1987年11月に「バブルで膨らんだ地価」という論文を『週刊東洋経済・近代経済学シリーズ』に掲載しており、「私の知る限り、この時期の地価高騰を「バブル」という言葉で規定したのは、これが最初である」と述べている