本日は、谷汲山華厳寺 へ向かってみました。
初の濃州進出です!

錦秋を迎え、浄住寺の特別公開なんかも迷ったのですが、ここは行ったことがないところにしてみようと思い、俄かに出立した次第です。

最近、積極的には廻っていないので。もう上梓するのも如何かとは思ったのですが、御朱印をいただいてそのまんまというのも釈然としないことから、あげさせていただくことにいたしました。

こちらは798年に会津黒河郷の豪族大口大領が本願、豊然上人が開祖で開かれた天台宗の寺院です。
大口大領は会津にて夢告を受けて霊木を切り出し、京に上り都の仏師に十一面観音像を彫って貰いました。
観音像と共に故郷に帰る道すがら、観音像は共に歩き出しますが、濃州赤坂に差し掛かった時に会津に行かない宣言を観音様はされてしまい、東ではなく草深い北へと歩いていきます。
暫く進んだ所で歩みを止めて【重く】なってしまったことから、大口はそこに草庵を結び近くで修行していた豊然上人に協力してもらい華厳寺を建てたのだそうです。
すると近くの岩穴より油が湧き出てきたそうで、それが山号の谷汲山の由来となったようです。
なんともお茶目な寺記ですが、801年に桓武帝の勅願寺となるや、917年には醍醐帝に「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜され、さらに944年には朱雀帝により、鎮護国家道場として勅願所とされた上に1万5千石が下賜され、栄えていきます。
なお、当寺は、花山法皇が巡幸し笈摺と三首の御詠歌を収めたとされていますが、古くは結願札所は三室戸寺であったとされており、御詠歌も花山法皇御作ではないとも伝わります。

しかし、まぁ、岐阜県は遠いです。
でも、お伺いできて良かったです。

参道沿いのお店が定休日なところが多かったのと、秋なのに観光客があまりいなかったことから、火曜日は休暇の取得日か何かなのでしょうか、とても閑散としていました。

諸堂にお参りし、恐る恐る納経所に向かいました。
確か、かつてはびっくりするような墨跡を御朱印帳に残されると有名であったからです。
タイミング良く御朱印帳をお預けして、戒壇めぐりへ向かいました。
全く眼の効かない漆黒の闇を歩き進み出口へと出て、納経所へ向かうともう書き終えられてました。

開けてみると、以下の通りでした(^^)

草創1300年記念
西国三十三所霊場第33番満願札所 大悲殿
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草創1300年記念
西国三十三所霊場第33番満願札所 本堂御詠歌
世をてらす 佛のしるし ありければ まだ灯火もきえぬなりけり
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西国三十三所霊場第33番満願札所 満願堂
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西国三十三所霊場第33番満願札所 満願堂御詠歌
よろづ代の 願いをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲
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西国三十三所霊場第33番満願札所  笈摺堂
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西国三十三所霊場第33番満願札所  笈摺堂御詠歌
いままでは 親と頼みし おいずるを 脱ぎて納むる 美のの谷汲
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さて、戻りしなに、塔頭明王院 にもお伺いいたしました。
寺史などは詳らかではありませんが、こちらには水琴窟がありました。
水琴窟の上に弁財天が鎮座されていましたが、琵琶の糸巻きより滴る水が水琴窟の音として聞こえるようになっていました。

無量寿 阿弥陀如来
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美濃国谷汲稲荷 吒枳尼天
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水琴弁財天 弁財天
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境内の紅葉もゆっくり拝見し、華厳寺も堪能したので辞去いたし、道路沿いの標識にしつこいくらい看板の出ている肉桂餅本舗のいげた屋さまで肉桂餅を頂きました。
一口サイズの柔らかいお餅の中に優しい甘さのこし餡入りで、ふんわり香るニッキが美味でした。

帰りの養老SAで、水野精肉店の飛騨牛の牛スジ煮込み弁当と手羽先揚げをいただきました(^^)