『日本書紀』の不思議な数字 | 邪馬台国と日本書紀の界隈

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邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。

 

 『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という不思議な一致です。

 川嶋皇子は、天武天皇が国史編纂の詔を出されたときに、筆頭に名前を記されている皇子です。その川嶋皇子が、天武天皇が崩御された5年後の同じ日に亡くなっています。

 

 神武東征に関連して、神武天皇が東征出発前に語られた言葉の中に、1792470年という数字が登場します。

 東征出発の年が、瓊瓊杵尊が天孫降臨してから179万2470年経った年だという設定になっているのです。

 『日本書紀』編纂者が、永遠といえる天文学的な数字にしたかった意図はわかりますが、具体的にこの数字はどこから持ってこられたものなのでしょうか?

 従来から議論されていましたが、小川清彦氏の暦法の研究で明らかになった「巻13以前の年次は儀鳳暦によって創作されている」という結論から、儀鳳暦の総法1340年を用いていると仮定すると解決に近づけることがわかります。

 

 また、神武天皇については、私は崇神天皇と同一人物だと考えていますが、この両者が即位された年齢が同じ52歳となっています。

 

 そして、もっとも違和感を覚えるのが、顕宗天皇と武烈天皇の埋葬日です。

 どちらも10月3日になっています。

 その日付の一致だけでなく、どちらも傍丘磐坏丘陵に葬られているのです。

 宮内庁の治定では、北陵と南陵に分けられていますが、『日本書紀』の記事ではその差はなく、まったく同じ場所だと記されているのです。

 これについては、継体天皇朝と仁賢・武烈天皇朝の並立説によって説明がつくのではないかと考えています。

 

 そのような数字の謎について、YouTube動画にまとめました。

 ご視聴いただけますとうれしいです。

 

【古代史新説チャンネル】動画

『日本書紀』謎数字の裏側

 

 

 

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