これは、生まれる前からある
最後の前世の記憶です
おそらく1960年生まれの女の子でした
場所は関東かな?
名前は〇〇〇〇〇〇とひらがなで6文字
子という字はつきませんでした
今世では8歳くらいまではっきり覚えていて
その名前が自分の本当の名前だと思っていましたが
今世の母にバレて怒られ
記憶を封じ込めました
なので今は思い出せません
うっすらとですが
あらい まゆみ だったような気がします
あらい については
前世の学校のクラスに転校生が入ってきて
その名前が
御手洗・みたらいさんというものでした
一人でぽつんといたので理由をきくと
前の学校でお手洗いだとからかわれて恥ずかしかったから静かにしているとのことで
私も同じような洗い・あらいだよと仲良くなった記憶があります
なので苗字はあらい かなぁと思っています
家族は母と父と私の3人でした
母は病気で入退院を繰り返していました
父は政治絡みの要職に就いていて
設計の仕事をしていました
近所には母の妹の叔母夫婦がいて
母の不在の時には面倒をみてくれていました
が、私の家柄が良かったようで
かなり厳しい躾をされました
食事の時のマナーはそれは厳しく
テーブルからこぶし1個あけて座ることや
食器の使い方、姿勢やら
食べた物の味のわからないレベルで
指導されていました
本当に嫌だった
その躾は現世でも生かされてます
叔父はケーキ屋さんを経営しており
お店にいくと
ガラスのショーケースの
向かって右隣の木戸から迎えでてくれる
優しい人でした
叔父さんのことは大好きでした
誕生日には
ケーキをプレゼントしてくれてました
最後にもらったのは
クリームの絞りのコンテストが終わった時で
それまでお店行くと、叔母さんに
『今はコンテストの練習でめいっぱいだら
終わってからね』
『夜も寝ないで死にそうなくらい』
とききました
ある日
叔母さんに『お店に来て』と呼び出され
お店へ行くと
『お誕生日おめでとう』
と叔母さんに言われます
手にはケーキを載せたお皿がありました
白いクリームのケーキの上面真ん中に
ピンクの薔薇の花と緑の葉っぱのクリームが
のっています
わぁー、すご~い
『綺麗でしょう?コンテストより良くできてるって』
コンテストはどうだっの?
『おかげさまで、賞をもらったわ』
『お花絞りで、日本人初だったの』
快挙!
『食べるわよね、カットするわね』
白いケーキをカットしてくれて
その上には薔薇の絞りをのせてくれました
うわぁ~!美味しそう〜
そう言って一口食べると
あれ?クリームと砂糖の味だけ?
『どう?』
あ、うん、美味しいよ
『ん?何か変?』
薔薇と葉っぱの味が無いから
【色はつけても味をつけることはないなぁ】
【期待に答えられずにごめんね】
叔父さんが、仕事の手を止めて作業場からでて
話してくれました
うん!でも可愛いよね!素敵よー
と私は、せっかく作ってくれたのに
反応が悪くて、申し訳ないと思いました
一切れ食べて
残りは後で食べるからと包んで貰いました
忙しい中、せっかく作ってくれたのに
叔父さんには申し訳なかったと
今でも謝りたいと思っています
当時、私は小学5年生くらいでした
学校は女子校
修学旅行へ行った思い出もあります
場所は中尊寺金色堂
キンキラキンの黄金の部屋は圧巻でした
お寺では滝行もしていて
私達は水着に着替えて滝行指導を受け
体験しました
その時、別の共学の学校も来ていて
隣の部屋だったので
〘男子がいるなんて、嫌よねぇ〙
と皆で話して警戒していました
滝行も他の学校の生徒と鉢合わせして
何だか嫌だなぁと思っていました
滝行は
[油断すると首の骨を折るから
こうしてすっと入るんだよ]と説明を受けて
皆無事にやり遂げました
滝の裏側も見れて
楽しかった思い出です
ある日、父がものすごく悩んでいました
お父さん、どうしたの?
「今度ね、日本で大きな万博というのをやるんだ」
「いろんな技術を発表する場なんだよ」
「ようやく日本でも開催できるように認められたのは凄いことなんだ!」
「だから、日本で万博を開催するにあたって記念になるシンボルを作る事になったんだ」
「それがね、日本でやるのに、日本の技術を披露するのに、勝手に海外の芸術家に頼んじゃたんだ」
えーー、もったいない!
「だろう?」
決まっちゃったの?
「有名な彫刻家やなにやらで3人ほど、候補の人にお願いしてるところ」
えー日本人がいいよー
「そうだよね、よし!」
父はそういうと誰かに電話をしました
そして、喧嘩っぽくなって電話が終わると
「明日から交渉に行ってくるから、しばらく帰れないかも」
どのくらい?
「一ヶ月くらいかかるかも」
どうして?
「さっきの電話でね、お偉いさんに
シンボルは日本人でやるべきだ、ってしつこく言ったら怒ってさぁ
じゃあ、依頼した候補の3人は全て断るし、
もう一度お願いはできないからな!
責任もって決めろって啖呵きられたんだ」
わぁ!大変だ!
大丈夫?
「大丈夫!そうなったら頼みたい人がいるんだ」
「万博を日本でやるって決まった時から
僕の中で決めてたんだ!」
その人に頼むの?その人を知ってるの?
「大学の先輩なんだ!すっごい変わり者だから
すぐにはうんって言わないだろうけど
絶対説得してみせる!
だから、留守番、お願い!」
わかった!お父さん頑張って!
1ヶ月でも2ヶ月でも待ってる
そんな会話をして、翌日
父は迎えのリムジンにのって出発しました