大人数で大騒ぎで迎えてた年越しも、

今年は静かなもので、娘2人と姉の4人で、年越しそばを食べながら迎えました。



母が毎年欠かさずに観ていたジルベスターコンサート、母がいないけど、みんなで観ていました。


2日に一度、1人だけ限定の母の面会日。

今日は私が母と会ってきました。



病院での年越しって、どうなんだろう?

多分、いつもと同じように21時消灯で、早く寝てしまってると思うのだけど。



自分自身、昨年は、怪我が多い一年でした。

病気や怪我をほとんどしてこなかった自分にとっては、あまりに連続する怪我に、やっぱり年周りを考えてしまいます。 


運気はたしかに下がっているのを感じるけど、母の入院や怪我以外の、日常生活とか仕事は普通にこなせてた一年だったと振り返ります。


怪我のほとんどが酒の原因なので、総じて考えると、この歳からの酒の飲み方に気をつけなければいけないなと反省しています。



昨日は自分の子供世代の従兄弟会に招かれました。

私達親世代は来賓状態で、さんざん飲まされたわけですが、いっぱい飲んでも酔わない日の自分でした。

体調か何かわからないけど、いくら飲んでも酔わない日があります。昨日はそんな日でした。


その中で、妻の姉から2月に脳動脈瘤の手術をすると伝えられました。

くも膜下出血の原因となる脳血管の瘤です。


妻は三姉妹な真ん中で、お義父さんお義母さんと5人家族の賑やかな家庭でした。


しかし妻の死から5年後に義父、7年後に義母、15年後に義妹が他界し、義姉1人が残された状態です。

そして義父以外みんなくも膜下出血で他界するという、遺伝を思わなければならない家系です。




義姉は看護師で、それも脳外科の看護師だったので

、妹の妻が他界してすぐに脳検査をして、自分にも動脈瘤があることを確認し、手術、今に至ります。


義姉には4人の子がいて、その中の長女と三女が看護師。

義姉が検査した病院は長女の病院。


昨日の従兄弟会で、義姉から手術のことを聴き、その後、その長女と話したのだけど、

すでにベテラン看護師の長女も厳しいと思うくらいの瘤の大きさとのこと。

と、みんなから見えないところで、泣いて話してくれました。


私は、「大丈夫、亡くなったみんなが守ってくれるから」と励ましたものの、

くも膜下の厳しさを痛いほど知っている自分にも、かなり厳しい話しでした。

90歳の母の入院もあったり、いろいろ厳しかった年末のとどめをくらった感じです。


というのも、遺伝ということは、うちの娘2人にもそれはある可能性が大きくて、義姉の長女もそれを心配していて。

わかっていたのだけど、あらためて突きつけられた感じです。


娘達には、妻のように親より早く旅立ってしまうことは、勘弁してもらいたい、私より長く生きてほしい。




年末から書いていたから、年始にはそぐわない投稿になってしまいました。


しかし希望はいっぱい持っています。

子供世代が主催する従兄弟会に呼ばれることが、それはそれは幸せなこと。


すでに次の世代へのバトンは渡っています。