ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

桜紀行 その3 喜多方の〝日中線のしだれ桜並木〟

2024年05月09日 | 日記

 昨日(5月8日)の夜のナント寒かったこと!最低気温8度でしたよ。ところが、今日の日中の最高温度は21度まで上がると。この13度の気温差…体に堪えます。この頃の体調不良…いや、それだけでなく精神状態までおかしくなったのか、何となく鬱状態なんですよ。心が重たいです。でも、しなくてはいけないことは待ってはくれませんので…ガンバロウ!

 さてさて、では延び延びになっている「桜紀行」の続きでも書いて、少しは心を軽くしましょうか。今頃?…そうです。一月遅れなんて言わないで、読んで下さいね。

 それでは〝その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」〟からの続きです。4月8日の月曜日の朝、裏磐梯のホテルを8時半に出発。この日の最初の桜見物は、福島県喜多方の「日中線のしだれ桜並木」でした。

 主人も私も〝喜多方〟といえば、〝喜多方ラーメン〟のことしか知りませんでした。まさかこんな場所にあったとは思いもしませんでしたね。東京周辺やそれから以北の土地勘が全くなくて、県名は知っていてもその配置がさっぱりなんです。だから最初のサービスエリアで上信越・東北地方の道路マップを貰って、それを見ながらのバスの旅…でもこれもなかなかいいものです。地理の勉強にもなって…

 さて、その「日中線」なるものは一体何なの?〝ニッチュウセン〟と音で聞けば直ぐに思い浮かぶのは〝日中戦争〟のことかしら。ツアーの皆さん、みんな似たり寄ったりの年頃ですからね。実際は知らなくてもいろいろ聞いたりしていて…。ところが、字を見て〝戦〟じゃなくて〝線〟とは?ガイドさんの説明を聞いてやっと分かりました。

 日中線しだれ桜並木には、長さ3kmにわたって約1000本のシダレザクラが咲き乱れ、福島県でもほかにない壮大なスケールの桜並木が楽しめると。昭和59年に廃線となった日中線の跡地の一部を遊歩道として残したものなんです。中間点付近には当時走っていたSLが展示されて、さくらまつり期間中にはライトアップも行われるそうです。

 これが満開の時の写真だと…ネットよりお借りしました。スミマセン!

  私たちが行ったときは、本当に咲き始めで…これが満開になったらと想像しながら歩きました。

 「日中線」というのは、喜多方市の喜多方駅から同県耶麻郡熱塩加納村(現・喜多方市)の熱塩駅までを結んでいた旧国鉄のローカル線で、1984年(昭和59年)4月1日に全線廃止と。路線名は、終点である熱塩駅の北方にある日中温泉に由来するのだそうです。

 最初行って見ると下の写真のような石碑がありましたので、てっきり日本と中国の〝日中〟だと思ったんですけどね。違ってました!

 確かにこの並木道が満開になるとキレイでしょうね。中に気の早い木が1,2本咲き出していましたので、そこには人が集まって記念撮影を…ここだけで写真を撮ると結構咲いてるように見えるでしょう。

 この喜多方市は、福島県の北西部、会津盆地の北に位置し、北西に世界遺産の国内候補に挙げられた飯豊連峰の雄大な山並みが連なり、東には名峰磐梯山の頂を望む雄国山麓が裾野を広げる豊かな自然に恵まれた風光明媚な市なんです。ここが会津の北方に位置していたことから、古来より北方(きたかた)と称されていて、江戸時代には、会津藩の領地となっていました。明治以降、小さな集落を合わせて町や村が形成され、昭和20年代後半から30年代にかけて、町村合併促進法により複数の市町村が形成され、その後5つの市町村が平成18年1月4日に合併して、新しい喜多方市が誕生したんだそうです。

 また、ここはラーメンだけでなく、蔵が多く立ち並ぶ街並みを楽しめることから「蔵の町」としても知られているようです。人口4万人に満たない町に蔵の数が約2,600棟という全国的にも稀有な「蔵の町」で、市町の表通りはもとより、路地裏や郊外に至るまで多彩な蔵が建ち並んでいる様は圧巻だそうですよ。時間があれば歩いてみたかったなあ。アッ、本場のラーメンも食べてみた~い!返す返すも残念です。

 


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