遅くなりました
花冷えの時期というのは体調を崩される方が多いのか
私も昨年に続き今年も病院のお世話になりましたし
救急車の音も頻繁に聞こえます
漸く初夏の陽気どころか一気に夏か
プレバトの録画が溜ってしまって
他の番組と重なったのか何故か撮れてない時もありましたが
観ています
今週のプレバトで考妣の妣が取り上げられていました
考は亡き父・妣は亡き母の意
効率的な字でもあるという
ある本の添削で(探しましたが
俳句のどの本だったか時間かかりそうなので)
亡母とか亡父は使わないで母や父とした方が良いという
別の先生の記事も見かけました
金沢市内は地震の被害はそれほど酷くはいないようで
ほぼ平常通りでした
物が散乱して割れたり石垣が崩れたりは
当時ニュースになっていました
私の場合は前にもご報告したように春日燈篭一基倒壊と
あと椿一本がこれは雪害だと思いますが折れていました
これは移植しようと思っていたので影響はありません
金沢市の近くの内灘町は
五木寛之氏の『内灘夫人』
そしてニセアカシアでも知られています
内灘闘争は私が生まれるかなり前のことで
知る人も少ないのでは
私が小学校に入った頃は日本の高度成長期
当時天徳院の広い境内は
今思えば不敬なことですが
多くの子供達が走り回る絶好の遊び場になっていて
当時の大人達はそれに対して別段どうこう言うこともなく
ずっと昔からそういう状態だったのか
今は勿論そういうことはなく静かです
すぐそばに書道と算盤教室があり通っていました
ある時境内に血のついたタオルが落ちていることがありました
詳しくは知りませんし子供には知らされませんでしたが
日本社会がまだ不安定な時期だったようで
学生運動の終わりの頃
大学側が医師国家試験の受験資格を与えなくする
と言った途端に学生運動が沈静化したという噂がありましたが
実はインターン闘争というボイコット運動があったそうです
それにしても医師をもう少し増やしてもらえないのか
病院はいつも混雑して
救急とか明らかに医師不足に感じます
内灘周辺は私が子供の頃に住宅地が開発された地域で
当時から地盤の安全性が懸念されていました
海岸が近く洗濯物が砂で汚れるとかも聞きました
ニュースで観ましたが液状化がかなり深刻なようです
今回は状況を確認する急ぎの旅で
市内観光はなしでバスから撮りました
兼六園の道路沿いの桜が一本満開になっていました
母があの桜一本だけ咲くのがいつも早い
と話していたことを思い出し車窓から眺めました
先日「能登半島 桜咲く無人駅で」という
2021年の番組があり
能登さくら駅と名称がいつ変わったのか
降りたことはありませんけど
その先の穴水駅には十代の頃
祖母が入院した際に入学の報告がてら
病院に一人でお見舞いに行ったことがあります
確かその年に亡くなって
幼い頃お世話をしていただいた人なので
行って良かったと思いました
母には林檎一箱頼まれて持参しました
葬儀にも行きました
お寺の会食がいつ終わるか分からない程で
母と帰りに「長かったね」と話しました
そのうちできれば祖母のお墓の確認と
桜も観に行きたいと思っています
祖父の五十回忌まで行った地域性
横浜の親戚からも石材店に確認したらお墓は大丈夫
という連絡もありました
兼六園下の駐車場は完成していました
駅で家族が久々のゴーゴーカレーを所望したので私も
Sサイズでしたが家族に半分先に取ってもらいました
店員さんは皆若いアジア系外国人
最近は日本人が求人に来ないのか
それとも最初から外国人を安く雇用しているのか
家族は知らない間にビールを買っていたようで
新幹線飲みしていました
今回はお土産もそれほど買いませんでした