土浦の母 爆誕!高橋カウンセリング始動!

 

   

 

予てからの予告通り、土浦市永国に引っ越しました。

転んで右肩の骨を折るなど、いろいろとあり、

丸一か月間カウンセリングを休止していました。

肩は、五十肩みたいに動かなくなり、

ラーメンが持ち上がらなくなったのは、ショックです。。。

 

それで、昨日こんな夢を見ました。土浦の豪氏の小田氏治公が出てきました。

小田様は、数年前から現れて、「こちらに来てください」と誘われていました。

 

夢ですが、実家で親類が集まり、ホームパーティーをしています。

なんとなく御正月のような雰囲気。そこへ小田様が、数名の家来とやってきて、

ナマハゲと、獅子舞と、宝船のしめ縄飾りを持ってきました。

「久美子さん、土浦は終の住処。土浦の母を名乗ってください」

すると、それ聞いた母が、手をたたいて喜びました。

という、いかにも縁起がよさそうな夢ですが、土浦の母かぁ。。。

 

小田さまは戦国武将で、霊界では、

土浦地域の知事のような立場の神霊です。産土神の眷属です。

気さくで、飾り気のないおじさんです。動物好きで、

うちの、稲荷や犬神とすぐに仲良くなりました。

特にどらちゃんは、小田様にスリスリしています。

 

でもねぇ、土浦いろいろあるからね、

ま、思い切って土浦の母、名乗ってみますかね。

 

早く、永国で落ち着いて、執筆に取り組みたいです!

 

 

 

 

 

 

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ー三島先生、霊界は、霊の世界ですから、もう死ぬことは無いのでしょうけれど、
 つまり不死というか、不滅。実際に亡くなってみてどう感じますか?



 現世での私が思っていた生命とは、太陽のような、強烈な輝き、力です。ギリシャのアポロン神のようにね。しかし、実際に、神に適う生命は、繊細で儚い、さざ波のような響きなのです。生物は、言わば、精密機械のようなものだよ。慎重に丁寧に扱わなければ、上手く作動しない。人間の身体は、その慎重で精密な取り組みを、無意識に行っています。私たち人間という生き物は、本当に弱く儚い存在です。このような、命に寄り添う心を、もののあはれを知る心、と言います。そう、本居宣長大人の教えです。本居大人の教えは、仏陀の哲理と双肩します。

 そして、僕の魂の奥底に、儚き光の糸を辿るのだ、そうすると、魂の隅に、何かか弱いものが佇んでいる。この、か弱い者にも、光の糸がくくられているが、彼は気づかないのです。か弱い自分にとらわれているからね。か弱い自分は事実だけれど、それでも、前を向かないと、前を向けば、身の回りのあちらこちらに光の糸が絡んでいるのが分かる。魂の中のスパイラル、私の中に、重なり合う儚い私。

 そこで、はたと気が付くのです。儚い弱い者を維持するためには、慎重に大切に取り組むのであると。この繊細でか弱い私が生きている、命があるというのは、何かが私に寄り添っているからであると。


 そう、魂に絡まる光の糸か゜見えてきました。現世で生きていた時は、自分の魂に寄り添う光の糸に気が付かなかった。ダメな自分の姿にとらわれていて、そんな自分を肯定して、命の光を注いでくれる大いなる母性を見ていなかった。現世での私は、弱い自分を克服し、強くなり、男として正しい生き様を示したいと信じました。それは、武士道なのだけれど、本居大人の教えでは、武士道は漢心なので、神道からは離れる心境です。ですから、武士道からは、真の命の光は見えないのです。神からやってくる真の光は、もののあはれであり、そのもののあはれを知る心を持つことで、真の神の光を理解できるのです。強くなりたいと、訓練して鍛えていくのはいいが、それを見せびらかすと、魔物が来る。寄り添う心、もののあはれを知る心が無ければ意味がない。もし、本居大人の教えを理解していたなら、あんな派手な死に方はしていない。今さらですが、魂を魔物に浸食された、自業自得。

 もし、神の光を見ていたなら、弱くて脆い私の魂、それでも肯定してくれて、そんな私に愛を送ってくれる神を知っていたなら、違う生き方をしていました。今さらですがね。武士道には先がないのです。死の美学といいますが、死に美学はないです。久美子さんに「カッコつけているだけ」と言われますが、その通りです。神から見ると、武士のおろかな思い込みです。そこに魔物が入り込むのです。死は、美や醜は無いのだ。死はありのままの生、人生の一コマです。


 霊界に逝って、不死の世界をどう感じるのか?という問いですが、今話した通りです。漢心に逝った場合は、何もないです。滅んでいくだけです。そして、漢心には漢心が集まります。

私の命の輝きが、強ければ強いほど、光れば光るほど、魔物たちが集まるのだ。また言い訳だけれども、この魔物たちが、あのような死に方を演出したのです。私の生命の光、魂の輝きは、魔物にとっては麻薬のようなものらしい。私の生命の光、魂の輝きが増すほどに、私の人生が激化していった。夜の電灯に集まる虫たちのように、魔物は私の魂の灯りに群がった。死とは何か?そして、その感覚は?魂は不滅なら、不滅の世界をどう感じるのか?

 死することと、生けることは、同じものの、言葉の違いです。だから、感じは同じなのですよ。難しい、見えない人に色の説明をするようなものだね。だが、そう言えるまでには、一言では言い尽くせない葛藤がありました。一般の人が、家族や友人に看取られて、納得して亡くなると、肉体の苦しみも軽減されるし、心の整理もできるので、現世への割り切りができて、執着が無くなるから、平たく言うと、成仏の状態になる。その時に気が付く、何か不思議な感覚に包まれている自分が分かる。ああ、死んでいるんだな、とね。その死んでいる感覚を説明するのは、実際に体験しないとわからないだろうが、あえて伝えます。長々と難しいことを話しているのは、その伏線でした。

一般の人は亡くなると、仏さんになるけれども、一か月もすると「自分は死んでいるのた」と感じる。しかし、私のように悍ましい死に方をするとダメなのだ。成仏するというのは、日本人であるならば、天照大御神に適う魂をもつこのなのであるから、私のような死に方をすると、つまり、漢心に捕らわれた只中のまま、霊の世界に入るのですから、迷って当然と言えます。

そこで、話をまとめるとね、不死の世界の感覚には、二段階があるのだ。迷いの境域と、成仏して神の光が自覚できる境域です。迷いの境域は、現世での迷いと同じで、同じことを何度も考えて、過去をくよくよ思い返して、人生の貴重な時間を無駄にする。くよくよするくらいなら、魂にはそれほど害はないが、そこから魔物が入り、社会や、家族子供に悪影響を及ぼし、魔物を広めてしまうが、その状態の死後の感覚は、地獄だね。魂の中に、魔物が入り込むと、思考に偏りができ、被害者意識が強くなる。恨み恨まれる自分しか見えなくなるのだよ。当時の私は、心の奥では、日本を恨んでいたのかも知れない。美しい日本を認めようとせず、ないがしろにする日本人らしからぬ日本人を。さらにその日本に対して、何もできない自分を。

 霊魂の不滅や、不死というのは、成仏している状態をいうのですね。仏教学的理から言っても、現世的執着や依存を無くし、自由な魂となることを涅槃というが、日本人はその涅槃の先に、天照の光を感じるのです。天照の光は、生命の光、愛の光であるから、愛の場では、すべての者たちは互いに支えあい、美しい日本が現れるのです。不死の感覚とは、正にこれです。神の光は、生命力の根源なので、それに包まれていると、なんの不安も恐怖も無く、現世では敵の相手でも、魂の境域では、神の光の中では、仲間なので、怖れは無い。だが、まだ自分には、怖れもあるし、悔しさもあります。不死の感覚は、持てないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ー善き死にざま について
 三島先生が、自身の死にざまについて、今もトラウマの部分があるようです。
 平たく言うと成仏しきれない?
 切腹自殺の理由について、三島先生の本心を語っているようです。



人の死に関して、アンコウのオスを述べますね。
自分の死にざまは、ああいうものは、無様なものです。

ネットには、私の死体画像が残されています。生首の画像が、永久的に残されていて、永遠のさらし首です。現世のさらし首は、カラスが食べてくれるよ。
現世の人に、死とはどんなものか、説明したいと、

それに近いものを探しましたが、感覚的なものです。

だが、とてもリアルです、私にとっては。結局、死することは、

どんな場合もエモーショナルなものであるから。


生命は、世界の特異点です。数学の言葉だけれど、

死を説明するにはぴったりする言葉です。哲学者のマイスターの説明では、

点は、長さや重さは無く、ただ、在る、を意味するもので、人間では、

自我に当てはまる、という。確かに、ありのままの自分は、

見栄や自惚れじゃなく、真の魂である。


今心の中に、穏やかに、どこまでも青くきらめく大海原を想像しよう。

その海原に突如、孤島を発見する、特異点。

何もない青いだけの世界に、行き成り小舟が目に入る、特異点。

長い船旅で、何も変わらない海を、ただ只眺めていると、咄嗟に海面が割れ、

シャチがジャンプした。初めて見るシャチは巨大で、

深海の水もろとも跳ね上がり、激しい水しぶきが広がる。

その姿は神々しく、紅の虹が立った。この感激も、特異点です。

このように、数学用語の特異点は、私にとっては、感覚的で脈動する、

命の原点としての特異点です。


生命は、人の魂は世界の特異点です。私が、大海でシャチの命の輝きを感じたように、神も、世界の特異点である私たちを見て感動するのだろうか?

私は神に、命のダイナミズムを伝えることはできるのだろうか?

生首がさらされている間はダメでしょう。


そして、死も特異点なのだよ。単に亡くなり無くなるのですから、

特異点であるが、生き物が亡くなるというのは、

物が無くなる特異点とは異なります。仏陀は、無になる、が口癖だけれど、

物質的な無ではないです。魂の観点から見ると、現世の死に関する、

魂の様子はあたかも、アンコウのオスのような体験をするはずです。

久美子さんは、鮟鱇は、臭みがあって好きではないらしいけれど、

あれは美味しいですよ、しかも、人が食べているものはみんなメスです。

知っている人もいるでしょうが、鮟鱇は生殖の時、オスは、

大きな体格のメスの腹部に入り込み、合体し、メスの身体に溶けてしまう、

つまり永久に一緒です。私はオスなので、この鮟鱇のオスが気になるのです。

彼は、メスに吸収されてどう感じるのだろう?苦しいのか、痛いのか?

魚に思考はあるかどうかはわからないけれと、鮟鱇の彼は、

女子に吸収されて悔しくはないのか?
そうすると、ここは霊界なので、魚の想念が漂うというか、やってきました。

鮟鱇くん、大洗の鮟鱇侍、と名乗りました。

侍というのは、私の出自を意識したのかも知れません。


「三島君、苦しくも悔しくもないよ、最愛の女性と溶け合って、

 その妻と子供のために、この身をささげられるのだから。

 君の魂の渇望、のはずです。もっと素直になり、人間は理性があるから、

 その時々で知恵を働かせて、真の愛を捧げていけばいいのさ」


鮟鱇侍は、若武者の姿に変わりました。


「三島君が、生首を忘れられないのは、

 君の類魂に、救いを必要としている御仁があるからですよ。

 苦しい自分にとらわれず、ありのままの世界、ありのままの自分を見ましょう。

 マイスターに呼ばれてきましたよ、ではまた!」


消えました。いつも見られているのですね、心の迷いを監視されています。

現世の私なら反発するところですが、何か、安寧なものを感じます。

神の親心でしょうか。
つまり、死というのは、私にとっての死は、

鮟鱇のオスになることであります。涅槃の世界ですね。

 

 

★★★★★★★★★★★

 

高橋の著作です。

AI不使用、自費出版、よろしくです!

 

 

 

 
 
 
 

 

 

 

 
 

 

 
 
 
 

 

 

 

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昨年末から、土浦市に引っ越しを予定していて、やっと4月中旬に決まりました。

独りでの引っ越し準備で、大忙しですが、本の方もやらなければと、、、

「神様日記その2」は、画像を入れると出来上がり♡

評判を見て、「その3」も草稿がありますが、三島霊が割り込んできて、

数年前からの原稿もあり、そろそろ三島さんかなとも。

「三島由紀夫霊の霊界リサーチ!(仮)」にも取り組みますが、

その一部を公開します。生瀬の乱の霊的裏側と、

お岩山の真相、、、

 

★★★★★★★★★★★★★★★★

 

―茨城県の北にある、お岩神社ですが、謎が多いです。
 徳川光圀との関係も知っておきたいので、

 できたら調べてきてください。光圀さんもたまに来ますが、
 用事が済むと、さっさといなくなるので、

 話すタイミングがありません。
 偉いから忙しいのかしら?

 三島先生、霊界リサーチお願いします!

まぁ、私は偉くないので、暇ですよ、、、
私も、まったくわからないが、お岩神社の御眷属から、

少し聞き出すことができました。県境の八溝山周辺は数百万年前、

古代の天狗の生息地で、独自の国、世界になっていたが、

それは、現世の縄文初期まで維持されていた。

古代天狗は、山男のような姿をしているよ。

九州にもいて、修験者の守護神になったりしている。

○○権現などと名乗っています。権現たちは、神の配下になり、

人間の指導霊になりますが、そうじゃない、人間が嫌いな、魔的なものもいて、

所謂魔物だね。古代天狗由来の魔物は、人間界の権力者の魂に憑き、

人間を利用して、神に悪さをするね。魔物は、直接的に、

神に何かすることはできないから、人間を隠れ蓑にするのだよ。

何かと、ハエのように煩わしい連中だ。人間の魂に入り込むと、

あまり厳しく浄化すると、憑かれている人間が参ってしまう。

穏便にしようとすると、つけ上がるから、加減が難しい。
このように、人間にちょっかいを出して、人間の魂の成長を妨害していた

古代天狗だけれど、徳川以前の、佐竹家とは、なんとなく共存していた。

佐竹氏は、八溝の神域をそれなりに大切にし、精霊たちの家を作っていたから。

今のお岩神社のようにね。古代天狗は、人間たちより、自然重視!

関ヶ原の戦いで、佐竹氏が西軍に入るのを止めたのは、八溝の古代天狗なのです。

人間から見ると、煮え切らない態度だが、八溝を守るためだったのです。

それで、徳川の世になるが、徳川家の先祖たちは、有能だが、欲がある連中、

戦国武将だからね。欲があると、魔物が入る。

義公(光圀)の父親の時に、生瀬の乱がおこるが、それは、徳川に入り込んだ、

八溝以外のもの、外国由来の魔物が、徳川を通じて八溝に喧嘩を売ったカタチ。

八溝は、精霊のサンクチュアリだったから、外国勢から狙われていたのだ。
日本は、世界の他の地域には無い、まほろば。無辜の血が流れると、

汚れてしまい、しばらく神がやってこなくなる。八溝地域は、佐竹が頑張って、

良い状態にしていたのに、乱がおこり汚れてしまったのだ。
その時に、八溝大神の奥方様や、精妙で神聖な精霊たちが、

お岩山の奥に避難したというわけだよ。


それで、我が水戸黄門様だが、義公の御霊は、

まほろばである日本を守るという使命を持っていた。

その使命をなすため、大日本史を編纂し、家臣を全国に派遣して、地方の歴史や

伝説を調べて記録し、日本国の本来の在り方を証明しようと尽力しました。

それは、神様も評価していてます。義公は政治家だから、

調べた情報を政治利用して、権力者になろうとしてもおかしくないが、

そうしなかった。大義があっても、戦による平定は、神は嫌います。

戦はダメです。死人が出るし、聖域である大地も、軍靴で汚れます。

それは神道を実践するならわかるはずですが、侍というのは、お役人で石頭、

型通りの仕事をします。八幡改めというものですが、義公は神道の名のもとに、

神社以外の宗教物を破壊しました。義公に、少しでも神に寄り添う気持ちがあれば、そんなことはしないでしょう。古来からの仏教施設を壊したため、

八溝の結界が無くなり、常陸は聖域ではなくなりました。

つまり、江戸時代初期から、現在まで、常陸の大神様たちは、

お隠れになったままです。徳川家の責任なのです。三島は、その徳川の霊系です。
以上は、大筋ですが、もっと複雑な霊的経緯があります。

生瀬の皆殺しですが、なぜそうなったのか?


生瀬には、忍者の家があったのです。佐竹家の忍者です。

今いうスパイというより、調査会社のような組織です。

全国の修験者の繋がりを利用して、各地の情報を収集して、

戦乱を乗り切っていました。いつも言っていますが、欲のある所に魔物が来ます。

自分に欲が無くても、相手が欲しがるものを持っていると、

気を付けないと争いになります。お山のものは、生き物も、樹木も、

鉱物も、みんな神様のものですから、たとえ殿様でも、私物化は認められません。

昔の日本人は、その理はわかっていたはずですが、あえてそれを所有すると、

財、なので欲が生まれて魔物が来ます。現在も、日立には鉱山がありますが、

戦国時代に、日立に金鉱があるという伝説があったのです。

それを聞きつけた魔物が、佐竹と八溝を狙ったのです。


現世の伝承では、初めに、徳川の役人が来て、年貢だといい、

村のコメを根こそぎ持って行った。その後また役人が来て、

もっとコメを持っていこうとするので、切れた村人がその役人を撃退したら、

実は一度目の役人は偽物で、強盗。二度目が本物で、水戸の役人。

本物の水戸徳川の役人に逆らったので、制裁され、皆殺しになったというものです。皆殺しは本当のことですが、年貢が理由ではないです。金山の情報です。

影の主犯は佐竹側です。なんでもそうですが、

人間にかかわる事物には裏があります。佐竹氏にも欲のある先祖があり、

徳川を許せなかったのです。呪いというやつです。生瀬の無辜の村人が

数百人殺され、当然のこと、血の気枯れがお山に染み付きました。

やったのは、水戸徳川ですが、そうなるように、情報操作を仕掛けたのは佐竹です。佐竹は常陸を去りますが、常陸に大神が降臨できないように、

生瀬に血の気枯れを残したのです。原因はともかくも、実行すると罪になるので、

徳川に生瀬の罪が残りました。無辜の民を殺すと大きな罪になります。
ところで、家康様が、東照宮で神様活動をしているのは、私欲のためではなく、

生瀬の民のような無辜の人々を救い、日本を守るためと伝えておき、

とりあえず、この話はここまでですね。

 

 

 

 

高橋の著作です。AI不使用、人畜無害です。

    

 
 
 
 
 

 

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「常陸の国神様日記・天岩戸開き研究会」

 

 

天岩戸岩戸開き研究会のメンバーとの、

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不思議な神霊の世界の実話です。

 

 
 

 

 

 

 

 

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