アルバート(息子)は生まれてすぐアトピーの症状が出ましたが、住んでいたオーストリア(欧州)ではアトピーというものについての情報はなく、生後10カ月で日本へ帰って 初めて専門医を訪れ、”除去食” を始めました。
この口の下の白い発疹。 助産婦さんがこれを見て、”この子は敏感な肌をしている”とアトピー予言!
経験によって分かったんだな、すごいっ!と 後で感心しました。
湿疹が出るようになったので 皮膚科に行くと 薬をくれました。塗ると治まるので、父親もまた塗ればいいと。
しかし私は日本に住んでいたことのある人間です。
あまり私とは関係のないことだったので その記憶はゆっくりとしか浮上しなかったのですが、アトピーということば、それからステロイド塗り薬に対する警鐘、そんなことを思いだしたのです。
1994年ですから簡単にグーグルできる時代ではありませんでした。
私は自分の記憶を信じて、皮膚科でもらったステロイド塗り薬をすぐ脇に置き、二度と使いませんでした。
今思えば、これができたのは、子供がそんなに痒がっているようには見えなかった、ということがあると思います。
あんなに顔に出ていても、子供はちょっと解せないような、不愉快そうな表情をして、手の甲で頬をぬぐうようにするだけでした。
それで、ステロイドに関して理屈に従って強くなることができ、使って楽にさせてあげようという考えが起きなかったのだと思います。
もしこれが 自分の痒みだったとしたら わかりません。。。
しかし本当に日本以外のところにはアトピーの情報は少ないんだと思いました。
英語の ”エイトピック”だか ”アトピック” ということばも聞きませんし、ましてや確立した理論や治療法・専門医など。。。
タイミング良く日本に帰って良かった。。救われました。。。
こんなにひどかったの?! ショックです!
日本へ帰ってからもしばらく続きます。。。
お手々を搔いてるし。。。
お誕生日も。。。
!!!
しかしとにかく帰国して アトピーの専門医に飛んで行ったと思います。
アレルゲン特定のためのテストで、大豆・牛乳・卵 にアレルギーと判明しました。
”除去食”を始めることに。
アレルゲンを含む食品を摂らないようにする。 ということは、うちの場合は、まず大豆がだめなので、お醤油もお味噌もだめ ということで、味はないし、もちろん外食はかなり制限されるわけです。お醤油は日本料理の基本。何にでも入っていますからね。
一歳半くらいまではまだ授乳も並行していたので、まず私が食べないようにしなくてはいけません。母親が摂取したものを 母乳を通して 子供に影響を及ぼす速さが驚きでした。
基本的に 野菜煮とか 味なしうどん とかが 私たちの定番のご飯となりました。
肉・魚類はアレルギーではありませんでしたが、加工品はいろいろ入っているので 買うものを 選びました。
上の一歳の誕生日の写真を見ると、ケーキがっ! 牛乳と卵っ!
一度ファミレスで、フルーツなら食べれるからと、出て来たフルーツ・ヨーグルトのヨーグルト部分を洗面所でじゃあじゃあ洗い流したことも(笑)。
でもまあ、ゆるくする日も設けながら、除去食 続けて行ったんだろうと思います。
数か月すると、頬っぺたも大体いつもきれいという状態になりました。
除去食以外は、もちろん乾燥を防ぐワセリンのようなものは塗りましたが、お風呂のお湯に優しいものを使ったり、他の療法はほとんどしませんでした。
予期された喘息の発症もなく、その後2年くらい続けた除去食に、少しづつお醤油等が加えられていき、まもなく何を食べても反応しないという状態になり、今(22歳)に至っています。
アトピーは人によって原因も状態も違うので一概には言わないようにしていますが、うちの場合は 除去食が成長中の身体の状態を変え 反応しないようになったのでは、と思っています。
この 除去食 に関しては、お願いした保育園さんが本当に良く協力してくださって、遂行することができたのです。
保育園さん、保母の先生方、本当にありがとうございました。
アトピーに苦しまれる方々が一日も早く快方に向かわれますように。
いつもありがとう