人生初の入院~緊急搬送され、低血糖と診断される。 | うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

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3年にわたる壮絶な介護と7年の施設と精神科の通院付き添いの後、親から卒業し、40代にして自分の人生を歩み始めた私が
幸せに生きるヒントをお届けします。

シンボリックセラピスト齋藤浩美です。

人生初の入院。からの続きです。

ようやく食欲が戻り、これで安心だと思い眠った6月1日の夜。
寝苦しさを感じながらも、朝、6月2日を迎えました。

目が覚めて、起きようと体を起こそうとすると、体がだるい…。

あれ?なんか変?目

だるさを感じながらも、上半身だけ起き上がるとクラクラして、また横にならずにはいられない状態でした。

意識はハッキリとしているのですが、体が重くでだるく、動かない。
心臓はバクバクと音を立てているし、生あくびは止まらない…。
…何かが私の中で起きている‼ガーン

それだけが解っても、体が思うように動きませんでした。

かと言ってベットの上でじっとしていられず、起き上がれない身体を揺さぶりながら時が過ぎていました。

段々足が落ち着かなくなり、膝を曲げてみたり、壁に足をのせてみたりと、ベットの上でジタバタと繰り返していました。 

このままではいけないと思い、何度か起き上がりますが、動こうとすると体のだるさと目まいが起きて、ベットに再び横になるを何度も何度も繰り返していました。

少し気分が良くなって、私はクラクラした状態のまま2階の寝室から1階のリビングルームに行って、水を飲むことができました。
そして、また先ほどと同じ横になっての繰り返し。
今だ変わらず心臓はバクバク言うし、体は重くて動かすとクラクラする状態が繰り返していました。

近所に声を出そうとしても、声が出ない…。
窓を開けることも出来ないし、玄関のドアは鍵を閉めたままだし、シャッターが閉まっているのでどうにもなりませんでした。

もう、私ではどうにもならない。救急車を呼ぼう。

身体のだるさは続いていましたが、動けそうなタイミングを見計らって、赤ちゃんのように手足で移動し、財布と保険証の準備をしました。

そして、玄関の電話で119番通報。
なんとかドアの鍵を開けて外に出ることができました。

数分後に救急隊が来て、しどろもどろになりながらも事情を説明し、近くの病院に緊急搬送されたのでした。


点滴をして大分落ち着いたのですが、仰向けのままに寝ているのが辛く、背中が痛くなって体を横に向けたりして、ベットの上でバタバタ出していたりと落ち着かず…。

かと思ったら、突然胃液を吐いたりゲロー

外側はパニック状態でしたが、ようやく苦しいものが吐き出せた。
よ…よかった。これで大丈夫だ。

以前、10代の頃に胃液を吐いた経験を思い出し、点滴をして帰ったので、もう大丈夫、ひと安心だ。

しかし今回は、違っていました…。

この後医師との問診があり、食欲がなかったこと、今まで大きな病気をしたことがないこと、親に糖尿病が居たことなどを伝えました。

医師『熱中症かなとおもったんだけど、血糖値も低いし、痛みの状態からして他の事も考えられるので、少し細かく診ていきましょう』

顔『(えっ?なんだろう?)…はい』

頭は『?』のまま、心電図、CT検査・採血を受けました。

そこから衝撃的な言葉を聴きます。
医師『心臓に穴が開いている。生まれた時のものかもしれないけれど、お母さんから何か聞いている?』

顔『え?心臓に穴?いえ、母から何も聞いていません』

医師『先手性のものだから、多分何もないと思うけど。一応確認しておいてね。あと、もしこのまま帰っても同じ事になりかねないから、もし家に帰っても自信がないなら入院していく?ここなら24時間看護師がいるから、対応が出来るよ』

顔『…少し考えさせてください』

今考えてみると、おいおいそこは即決だろうと思うのですが、何せ入院にはあまり縁のない私滝汗

姿は寝間着。
持っているのは、家の鍵とお財布と保険証だけ。
お財布には、キャッシュカードはありましたが、小銭を入れることすらできなかった…
=外部に連絡する手段がない…。滝汗

近くにいる親戚は、家の鍵の開け方を知らないので頼めない。
何よりも高齢なので、迷惑を掛けることができないッ!

自宅に帰っても一から家事をする気力もなく、ようやく看護師さんに『入院の手続きをお願いします』

こうして人生初の入院が始まったのでした…。