グローバリズムは新種の「左翼」(1) | 保守と日傘と夏みかん

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政治・経済・保守・反民主主義

国によって異なる規制や保護の体系をなくし、企業や投資家が国境を越えて活動しやすい環境をつくるというグローバリズムの運動は、今やもっとも急進的な社会変革のイデオロギーである。

このイデオロギーの発祥地がアメリカやイギリスであるのは言うまでもないが、大陸ヨーロッパも負けていない。域内の自由貿易を進め、投資規制を緩和し、共通市場と共通通貨をつくるEUの試みは、グローバリズムの社会実験とでも言うべき特徴をもっている。

規制緩和や構造改革、TPPに英語化と、日本で進められている一連の改革が、このイデオロギーを体現したものであるのは言うまでもない。
(中略)
共産主義とグローバリズムは、一見すると正反対のもののように思える。共産主義が政府による経済統制を目指すのに対して、グローバリズムは市場経済の範囲を拡大しようとするからだ。事実、共産主義者とグローバリストは、お互いを毛嫌いしている。
しかし、思想の成り立ちにまで目を向けると、この対立はごく表面的なものに過ぎないと分かる。共産主義とグローバリズムは、どちらも近代啓蒙思想の鬼っ子であり、根っこの部分では同じ価値観を共有しているのだ。

例えば歴史観である。フランス革命に始まる「自由・平等・友愛」の理念が、歴史の段階的な発展を通じて実現していくと考える点で、両者は共通している。
共産主義が平等に、グローバリズムが自由に力点を置いているという違いはあるが、これは程度の差異でしかない。不断に行われる技術進歩が人間を物質的な困窮から解放し、単一の経済・政治システムの実現が世界をいっそう平和に近づけると考える点で、両者に大きな違いはないのだ。

こうした進歩史観の信奉者が、もっとも敵視するのは「旧体制」に固執する人々である。
ソ連や中国の共産主義体制は、伝統文化の徹底的な破壊を企てた。伝統文化の担い手が反革命勢力と見なされたからである。
グローバリズムも、改革に反対する勢力をとことん排除しようとする。小泉元首相が構造改革の反対派を「抵抗勢力」と呼び、世論を動員して影響力の減殺をはかったのは記憶に新しい。最近ではTPPに反対する農協が、同じ手法で組織の解体を迫られている。
時間をかけて社会に根づいた既得権益の体系にはそれなりの存在理由があるはずだが、グローバリストにとっては改革の敵という以上の意味をもたない。攻撃の矛先は今や農業だけではなく、電力インフラや医療、労働の分野にも及ぼうとしている。

さらにグローバリストが触手を伸ばそうとしているのが教育の分野である。
日本のグローバル化が進まないのは、英語教育が足りないからだとして、小学校からの英語教育拡充や英語特区制度が始まろうとしている。「グローバル人材」の養成を旗印に、大学では英語講義の割合を増やすことが計画されている。

革命の理念に合わせて人間性を改善するという考え方は、かつての共産主義社会に広く見られた。同じ事が、日本でも形を変えて実行されようとしているのである。

『表現者 平成27年11月号』  柴山桂太

 


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