前回の記事 父が新型コロナに罹患

 

去年(2024年)3月1日の早朝、ドスンっと、1階からものすごい音がしました。階段の下で母が叫んでいました。

「どうしよう!! お父さんが倒れちゃった!!」

 

慌てて階段を降りると、部屋と廊下の境目にうつぶせになって倒れている父を発見しました。意識はありませんでした。母が、「なんだか固くなってるよ」と言い、私は、すぐさま救急車を呼びました。

 

人生で二度目のエマージェンシーコール。。。

二度目ということもあって、冷静に状況を伝えることができました。

 

「119番 消防です。火事ですか、救急ですか」

「救急お願いします」

っと、傷病者は誰で、性別、年齢等を聞かれ

「意識はありますか?」

「ありません」

「仰向けにできますか」

「できません」

などと、やりとりをしていたら、父の意識が回復しました。

 

「あ、今、意識が回復しました。自分で起き上がろうとしています」

「よく聞いてください。もし救急隊が到着するまでの間に、また意識を失うようなことがあったら、心臓マッサージをしてほしいんです」と。

 

そうこうしているうちに、救急車と消防車が到着しました。

どうやら「意識がない」傷病者の場合は、消防も一緒に来るようです。私の勝手な想像ですが、その場で心臓マッサージをやらなければいけない場合の、交代要員が必要なのかなと。

 

心臓マッサージは、(実際にやっているところを見たことがある)、動いていない心臓のポンプ機能を人工的に動かすという作業です。なので、あばら骨が折れるてしまうかもしれないほどの、力を込めて圧迫するそうです。だから、やっている人は疲れちゃうんですね。。

 

以前は、救急車への同乗を断ったのですが、今回ばかりは父がいつ、どうなるかもわからない状態だったので、誰か一人でも乗ってほしい、と言われました。

 

私は、「じゃあ、母に乗って行ってもらいます。父が倒れた瞬間を見ていたから」と言い、救急隊と母を送り出し、私は後から自分の車で病院に駆けつけることにしました。

 

忘れもしない、2024年3月1日。この時は、まだこの日が凄ーく長い一日になるなんて、思いもよらなかったのです。