O(V.O.):「謝謝ニン。まさか私がこの賞をいただけるとは思ってもいませんでした。私の母と中国を訪れたのは確か私が28歳の時、ちょうど17年前でした。その時に見た中国をありのまま書かせていただいた、中国を舞台にした小説やこれまでの作品群を高く評価していただき、非常に光栄に思っています。これからも中国を見つめていく努力を惜しみません。追伸。もちろん、中華料理の勉強も怠りません(笑)」
Oはそう書いて、郵便ポストに投函すると、思わずあの時と同じように青い空を見つめた。風も春らしく穏やかだ。そして、最後に、そのさらに6日後だった。とどめの一撃だったと思っている。それは北朝鮮(ここでは韓国)からの手紙だった。Oは警戒心のある中で、その手紙を開いた。始めこそ、それは爆発物か、嫌がらせだと思っていた。
手紙:「これがあなたのもとに届いているのは春の3月。すなわち、韓日で卒業シーズンの時期かと存じ上げております。あなたの作品を読ませていただき、その朝鮮半島に横たわる南北間の問題、これまでの韓国に存在した反日感情、嫌韓で溢れる日本の書籍に一石を投じ、そして、我が国北朝鮮が長年抱えてきた日本との問題や国際問題に言及されていて、その朝鮮への志は非常に高いものだと感じております。あなたはその問題を根本から覆し、新たな視点を我々に提供しました。仕事後の疲れ切った心身でも一人黙々とパソコン画面に向かい、深夜帯に眠たい目をこすりながら文章を書き、土日の休日ですら地道な努力をいとわなかった鉄の精神は、まさに書き手(作家や記者など)の鑑そのもの。きっとこれまで辛かったでしょう。その涙ぐましい努力と、好意に報いるため、我々は南北合同で、朝鮮文学の最高栄誉とされる現代文学賞をあなたに授けたいと思っております。よろしければ、受け取っていただけますか?朝鮮日報編集部より」
Oはそれを見て、驚愕の連続だった。あの北朝鮮が?と何度も心の中で思い、「私の作品はここにも届いていたんだ」と感激した。独断と偏見を排除した作品はしっかりと浸透し、これ以上にない喜びで返信の手紙を書いた。
O(V.O. ):「カムサハムニダ。本当に驚きです。まさか北朝鮮から文学の最高栄誉を受けるとは思ってもいませんでした。韓国には友人がいますが、北朝鮮にはいません。いるはずがありません。それでも、こうして手紙を寄越していただいたことに感激しており、これが日朝間の諸問題を解決する糸口になってくれることを願っています。今後も世界平和を願っています」
Oは喜びひとしおといった表情で、そう締めくくると、後は記者会見の想定をして、何度も予行演習を行った。これで世界中の栄えある文学賞を軒並み受賞したことになる。だが、いまだにOの作品を評価していない国が世界で唯一ある。いわば、世界の「恥」だ。無論、ロシアや中国、北朝鮮ではない。
そんな折、吉報が続いていたOのもとに一本の電話が入った。Oの妻がその電話に出た。Oの妻はじっくりと電話主に耳を傾ける。そして、
妻:「あなた、電話!」
O:「誰からだ?」
妻:「日本の出版社」
それを受けたOは「何?」と思い、その電話に出た。