新幹線 LXXI 0系 / 京都鉄道博物館 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

新幹線 LXXI 0系 / 京都鉄道博物館


京都鉄道博物館へ静態保存されている、初代新幹線電車 0系です。

流線形デザインは空力学的に突き詰めて行くと、無限に理想体へと近づきますが、航空機にしても自動車にしても、工業製品としては現実性として限界があります。

それは鉄道車両としても同様ですが、0系はその過渡期として成功した、世界をリードするデザインでした。

鉄道と言うシステムはイギリスで誕生し世界へ広がっていきましたが、より速くより強くという形が求められ、日進月歩の技術革新で進化してきました。




物体が移動する時、体感として1番に空気抵抗を感じることから、その対策に思考は巡ることになり、流線形デザインは自然的に発生しました。

空気抵抗を減らせれば、小さなパワーで大きなタスクを実行できると同時に、同じパワーなら膨大なタスクがこなせます。

鉄道車両ならタスクは、重量物や連結両数であったりより速い速度であったり、燃費効率や時間短縮そして物流量として恩恵が発生します。

そこで世界的に流線形デザインがブームとなり、日本でもC53形やC55形が試験的に流線形を纏うこととなります。





蒸気機関車としての流線形デザインはイギリスのマラード号が世界最速に輝き、表定速度としては満州国のパシナ形が一定の成績を修めました。

エネルギー転換政策は世界大戦後の近代化社会を席巻しましたが、ディーゼルエンジンそして電化によって、速度や仕事量は効率化が実現したものの、旧態依然とした技術システムの上に停滞していました。

そこで日本では空気摩擦を1から見直し、空気抵抗を低減させたことで発生する、脱線の原因である台車のローリング現象の抑制、高速域での加減速を自在とする動力分散式モーター。

そういった車体のシステムをコントロールする列車集中管理システムと、列車とコンピュータを結ぶ信号システム、その3点セットのパッケージを支える線路システムを開発します。




鉄道車両が200km/hを超えて営業運転をする世界初のシステムは、驚異と羨望の目を持って迎えられました。

鉄道の新しいカタチ••••••••それを世界に示したものが″シンカンセン″でした。

さて京都鉄道博物館の0系ですが、トップナンバー故に後の増備車にはない付属品が車体に付いていて、異彩を放っています。

走行距離 約556kmを200km/h以上で走り続ける体験は、人類にとって未知の世界であったため、後に安全確保のために使われなくなった付属品ですが、それは実はサボ受けでした。




試験車両には必要無かったために問題とならなかったサボですが、この一見無害な鉄道常用パーツが新幹線では、重大インシデントを巻き起こしかねない凶器でした。

この経験は後の車両開発において、とても大きな経験であったようで、後続の100系・200系・300系と続く車両開発では、ネジ1本にいたるまで空気摩擦を考慮する習慣が定着しました。

更に300km/hを超えると、別世界ではなく異次元となってくるため、500系以降の車両開発では可能な限り、シームレスに近づける設計となっています。

時速200km/hを超えて長距離を走り続ける鉄道車両の、その先駆けとなり見本そして手本となった0系は、まさに世界の高速鉄道のパイオニアとなりました。



さて、京都鉄道博物館では、インスタグラムにこんな投稿をしていました。

もし京都鉄道博物館から埼玉の鉄道博物館へ直通列車が走ったら?

まずは分断されている東京駅の線路を繋がないとダメですが、北陸新幹線が全線開業したら東京駅を介さず大宮駅へは、直通列車が運転されますよね。

将来へ繋がるカモ知れないネーミングなので、ちょっと夢がある面白いアンケートです。

ちなみに1号車の札の下へある銀色の額がサボ受けなんですが、そこへ列車名の札が差し込まれていました。


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