【チャリダー集合】モーリタニア国境付近−西サハラ
前回の記事の次の日の12月7日
結局もう一人のフランス人のミカエルとは合流できずに、西サハラとモーリタニアの国境まで来てしまった。
ガソリンスタンドでこれからを二人で考えていたが、とりあえず野宿やガソスタテントは危険だと周辺の人から聞いたので、ホテルを探すことにする。
西サハラ側国境の右側にあるカフェもあるホテルで、塀のある裏庭でテントを張らせてもらうことになった。が、ハエがウジャウジャパニックで端の方の生ゴミを見ると、ここは世紀末を迎えた場所にも見えた。
数分で慣れて二人はそれぞれゆっくりしていた。
オウトウィンはカフェでいままでの日記を書いていた。写真を今見てみると変な体制で書いている。
文明が発達した時代でも紙を使うのはとても好感が持てる。自分たちがこういうときに飲むのはコーラだ。何度も言っているかもしれないが、コーラがなければやっていけないときもあるほどコーラを好んで飲んでいる。
本当はアルコールを飲むたいところだが、イスラム教の地域なのでお酒は基本的に売っていないので、走り終わっても引き続きコーラを飲んでいた。
そうこうしていると、2日前に見た顔がカフェに現れた。
ミカエルと合流した!
ミカエルに二人で「どこいってたんだよ!!」「心配したぞ!」と嬉しさ混じりに声をかけると「途中で野宿していて、そこで先行かれたみたいだ笑」と再開を喜んだ。
夜はみんなで日本の米のような食べ物のクスクスを作って食べた。ほぼほぼ味がないので、塩をかけまくって食べた。それでも美味しかった。
【砂漠のチャリダーたち】ダフラ後−西サハラ
2018年12月8日
昨日ダフラとの交差点で、警察にしつこく進むことを止められたものの進むことを決めて10分ぐらい進んだ。
そこで後ろから重荷を背負った自転車が二台近づいていた。それは遠くから見ても自分と同じチャリダーとわかった。こういうとき嬉しいのかと言われるとそうでもなく、チャリダーだからといって必ずしも気が合うとは限らないからだ。
そうこうしていると、二人のチャリダーに追いつかれて挨拶をしようと思って自転車を止めた。
二人はフランス人で自分たちの国から始めて2ヶ月くらいだという。しかし二人は元々知り合いではなく、旅先で偶然出会ってで2週間の仲だ。
一人はプリズンブレイクの主人公似の若い男オウトウィン。
もう一人は教員の笑顔が素敵なおじさんミカエルで旅をしていた。
話した感じで気が合いそうなので、一緒に走ることになったが数キロ走ったところで、みんな仲良く警察に運ばれてしまうことになってしまった、、。
そして、今日警察に連れられた自分たちは、ガソリンスタンドの空き地でテントを張らせてもらって夜を越した。
なぜ警察に運ばれてしまったのかというと、ダフラとの交差点の警察がやっぱり危ないと判断して、応援をよこして60km先の地点まで送ってもらえることになった。一応危ない地域はスキップできたので良かった。
朝それぞれで用意していると、すでにおじさんのミカエルが準備が整っており先に出発すると言った。今日もなんだかんだ一緒に走ることになっていたがうずうずしたのだろう、先の町で合流する約束をして出発していった。
若いオウトウィンと自分は一緒に出発することにした。
オウトウィンがいつもどれぐらいで走っているのかはわからないが、かなりのハイペースだった。自分も勝手に”日本を背負っている”気がして、日本男児がへなちょこでなめられてはいけないと思い平静を装って、必死にペースを合わせた。
時速24km以上を保っていた。いつもは16kmぐらいだといえばいかにハイペースなのかわかるだろう。頭がおかしくなる錯覚に陥る。
かなり急な坂道にさしかわり、そのときに先頭を走っており内心「キツイ顔を絶対にみせるもんか!!」とポーカーフェイスを気取っていた。そのときに余裕はなく後ろを確認せずに走っていた。
坂も終わり、平坦で息が整ったところで後ろを振り返ってみるとオウトウィンと差が1kmほどできていた。ちょっとニヤッとして「勝った、、」と勝手に勝ち誇っていた。
↑休憩中の道路脇
それでも平坦はオウトウィンがかなり早く、すぐに追いつかれてしまった。オウトウィンが「今日は160km走るけど、行けるよな!(ぜえはあ)」自分も「ほんと余裕だよな(ぜえぜえ)」と平静を装って、オウトウィンも平静を装って、お互いにヘトヘトで意地を張っていた。
こんなペースがいつまでも続くわけないと、お互いが思っていた。自分でも驚いたが長く走っているうちにそういう実力があったみたいで、向かい風なのに160kmを日暮れまでには走りきれてしまって、体に疲労がのしかかるしんどさがあったが、半端ない達成感があった。
二人で走りきって町に着いたときには、オウトウィンも笑顔だった。なんとなくお前やるやんとお互いに思っていて、認めあっている気分だった。
肝心の先に出発したミカエルを探したが目撃情報がないため、疲れ切っていたため一旦休む場所を確保することにした。建物が20ほど砂漠の真ん中に建っているような場所なのですぐにわかるはずだ。
今日の寝床はホテルの中庭でテントになった。それも無料だ。西アフリカでは、テントをもっていれば中庭などを使ってもいい場合があるので、割と安全に安く済ませることができる。
夕食は俺がコメを炊いて、オウトウィンはツナを用意して、ツナご飯にして食べた。いつもと代わり映えはしないが、疲れた体に染み渡るようにエネルギーがしみわたり、生きている充実感がした。
それにしてもミカエルはどこにいったのだろう。
つづく
【捨てる神あれば拾う神あり】ダフラ−西サハラ
2019年12月8日
あの温泉の地を複雑な心境で出発した自分は、ひたすら走ればこのモヤモヤも晴れると思った。
しかし、一向に晴れる気配はなく「ああ、せっかくの旅だからこんな気持ちになりたくないのに」とモヤモヤを引きずり回しながら走っていた。
出発して一時間向かい風に吹かれ始めて辛くなってきたところに、ガソリンスタンドがあって寄ることにした。
朝食にオムレツとパンにハーブティーを頼んだ。とても質素な朝食だったが、少しやる気がでてきた。さっきまでの落ち込んだ気持ちは、お名が空いていたのもあったからかもしれない。
ガソリンスタンドを出発すると何日か前に見たような、海が見える崖の道だった。向かい風のようになっておりとても走りにくい。時速10kmぐらいだった。
30kmをやっとこさ走り、見えた人が住んでるのかわからない廃れた町があったので寄るものの、小さなお店も人影すらなく集会所のような建物の前で座ってサンドイッチを作る。
寂しく砂にあてられながら昼食を食べていると、すすけた黒い車がやってきてドライバーが話しかけてきた。「どこから来たんだ!」そんなかんじだったがフランス語はめっきりだったため、特に盛り上がらずにドライバーは諦めて立ち去ってしまった。
こういうことがあるから、言語はちゃんと学んでおけば良かったと後悔する。行ったら話せるようになるなんて幻想だ。
しかたないと気分を入れ替えて、昼食を食べ終えた。
出発しようとしたところ、砂にはまり進み難くなっているとろこにさきほどのドライバーがやってきて「なんなら乗っていくか?」意味は目と身振り手振りで理解した。
ダフラに住んでいるらしく、そっちは進行方向なので乗せてもらえることになった。乗せてもらった理由は3つあり、交流に飢えているというのと、向かい風で死にそうだったのと、ドライバーのお兄さんが親切な人特有の優しい目をしていたからだ。機能のおじさんとは明らかに違っていた。
ダフラとモーリタニアに続く交差点についた。ダフラは半島になっており、発達こそしているものの行ってしまうと戻るために半日使わなければならなかった。向かい風にもなっていたら、行ったっきり帰ってこれないかもしれない。
その交差点では警察がおなじみの検問をしており、いつも通りやり過ごそうとしたところしつこく止められる。お兄さんは知り合いなのか間を取り持ってくれて通してくれそうになる。
「この先に軍の施設があって危ない地域」ということまでしかわからない。あと警察にはホテルで泊まると言っているが、内心は見つからないところで野宿するから、無人地帯が続いていても大丈夫という自信があった。
あまりにも自分が譲らないので通してもらえることになった。
ドライバーのお兄さんに水や食料をもらい、感謝を重ねに重ねて出発した。
その後さらなる出会いがあった。
つづく
【有料の親切】Bonjdour〜Dakhla-西サハラ
2018年12月6日
この日のことは、やりきれなさが入り混じった複雑な感情があり、鮮明によく覚えている。
モロッコの港町カルタヘナを出発してからここまで、ちょくちょく小さな交流はあるものの、ただひたすらに走っては野宿して寝る生活を続けていた。
あまりの退屈に早く何か起こらないかと街を急ぎで目指していた。人でも食べ物でもなんでもいいから楽しみがほしかった。
今日の目標の半分まで走りきり、昼下がりにもなっていて「あともう一踏ん張りしよう」としたところに、小さな村が見えた。
その村は村と言うには建物が丈夫そうで、政府が立てた施設が固まった場所だった。
その一つの建物からおじさんがこっちに向かって歩いてきた。
「おい、あそこは警察だから寄ってけ」ちょっと説明が不足している大ざっぱな感じで来るように言われた。ここに来るまでに村や街に入るたびに警察や軍による検問がたくさんあったので、それだと思いついていった。
このおじさんは一般人にしか見えなかった。
建物に着くと、確かに警察がおりIDのチェックをされ「どこからきた」等の簡単な質問をされた。
一通り終わると先ほどのおじさんが「ここは泊まれるようになっていて、警察がいるから安心だ」と泊まるように勧めてきた。そして黄色いファイルを渡されて中身を見ると、さまざまな国の人たちがこの人たちに向けた感謝の言葉を書いた紙を入れたファイルだった。
それを見るに「ここはとてもいい場所なんだと」思い、泊まることを即決した。
出してくれたミントティーを飲みながらゆっくりしていると、おじさんが「温泉があるからついてこい」と言ってきた。
なんと温泉があるのか!!
温泉ジャンキーの自分はすぐさま準備して、おじさんについていった。
温泉の施設の管理している建物に旅人の写真や感謝の言葉が壁に書かれていた。
温泉はこのようになっており、モロッコでは基本的に掛け湯である。
さいっこう!!!フゥー!!!!
連日の顔に吹けつける砂嵐と日光にやられていた自分は、砂漠のオアシスならぬ温泉で一人で大はしゃぎした。
疲労もあってか、温泉をでたあとはぐったりまったりしていた。
なんとなくさっきの感謝ファイルを見返してみると気になる一文があった。
「ここはお金が必要」という文だった。
さっきのおじさんはさも無料で提供している風だっただけに、これがお金で提供されていると知って衝撃が走った。
無償の親切を期待しすぎてしまったという事が原因で、本来有料でも泊まっていたが後から知らされる有料という事実を詐欺のように感じてしまって嫌な気持ちになる。
さきほどおじさんからから言われた「あとでタジン鍋あるからたんまりたべてな」という言葉もそういうお金からきていると考えると、複雑な気持ちになる。
知らないふりをしていても良かったが、おじさんに聞いてみた。
「ここって有料なの?」なんとも言えない顔で「そうだ」と答えた。
感謝ファイルに相場も書かれていたが人によってマチマチなので、書かれていた最低料金を言ってそうそうに支払って終わりにした。
がどうしても感情は晴れない。さっきまでのおじさんの微笑みは嘘のようにさえ思えてきた。
美味しいはずの夕食のタジンも楽しめず、ベッドに早々に向かい寝た。
次の日早く目が覚めて、さっさと身支度を整えて出発しようとすると
「このファイルに書いてから出発してくれ」と言われたが「いや、やめとく」と思ってないことはできないので、断って出発した。
こういうことは提供してくれるだけありがたいが、せめてお金がかかることは初めに伝えてほしいやりきれない気持ちをこの出来事を思い出すたびに蘇る。
【アフリカ上陸】Algeciras〜Tanger−モロッコ
2018年9月29日
お久しぶりです。僕は元気にトルコからスペインまで、ヨーロッパを駆け抜けました。そして更新が滞っていましたが、アフリカ編からまた更新していこうと思っています。
ヨーロッパ編をやろうとすると膨大な量になるので、またの機会にしたいと思います。
続きを読む